ロボトミー殺人事件再考
――これは「人間」が壊れていった記録である。
警視庁刑事部の退職者から、奇妙な話を聞いた。話の舞台は昭和五十四年、秋の東京。
現場に足を踏み入れた刑事が最初に目にしたのは、血のりに濡れた応接間のカーペットだったという。深紅の毛羽立ちの上に、倒れた中年女性二人の遺体。まるで互いに抱き合うような体勢で、目は大きく見開かれたまま動かず、ただ一点を見つめていた。
その家の主である精神科医は、不在だった。皮肉にもそれが、命を救ったのだ。
事件の犯人、S。元スポーツライターにして、通訳、翻訳家、土木作業員、果ては反政府運動の亡命者――。肩書の多さは人生の破綻を物語っていた。
青年時代は正義感にあふれ、親の介護のためにキャリアを捨てて帰郷。その後、口止め料を受け取ったことで会社から訴えられ、刑務所に送られる。
それが彼の歯車を狂わせる最初の引き金だったのかもしれない。
そして精神病院での「処置」。妹夫婦と口論の末、精神鑑定にかけられ、本人の同意も曖昧なまま、ロボトミー手術の一種である「チングレクトミー」を施された。
当時の記録には「暴力性と幻聴が顕著」とある。だが実際に彼の訴えに耳を傾けた医師は、わずか一人、しかも面談は十五分程度だったという。
手術後の彼は、感情を失った。怒りも悲しみも、喜びも薄れ、記事一つ満足に書けなくなった。ライターとしての命も絶たれたも同然。
手術によるものか、それともその後の薬物治療によるものかは分からないが、数年のうちに、別人のようになってしまったと周囲の証言は一致している。
怒りの炎を再び灯したのは、同じ精神病棟で知り合った女性の自殺だった。
彼女も同じ手術を受けており、術後、人格が激変。「誰でもない何か」になったという。その「何か」は、数日後に病棟の天井から首を吊った。
Sは「彼女を殺したのは、あの医者だ」と信じた。
いや、そう信じることでしか、自分の人生に意味を見出せなかったのかもしれない。
昭和五十四年九月某日、東京都内の閑静な住宅街。
医師の帰宅を待つつもりだったSは、予想外の時間のずれに焦り始めたという。拘束された妻と母親が、震えながら祈るようにうつむいていたのを、近隣住民が目撃している。
だが医師は戻らなかった。
……夜九時過ぎ、押し入りからすでに五時間が経過した頃、Sは二人の首に包丁を突き立てた。
理由は、「もう待てなかった」。その一言だけが、取り調べで語られた動機だった。
逃走中、池袋駅で職務質問を受けた際、所持していたナイフのことで銃刀法違反が発覚。そこから事件の全容が暴かれた。
調べを進めるうち、脳内に手術器具の破片が残留していたこと、異常な脳波パターンなどが明らかになったが、裁判では「責任能力あり」と判断された。
最終的に下されたのは「無期懲役」の判決。
Sは納得しなかった。
「無罪か死刑でなければ、この手術の恐ろしさを司法は理解していない」
そう叫び、上告するも棄却された。
服役後、彼は「生きていても仕方がない」と言い出し、国家に対して「自殺する権利」を認めろという異例の訴訟を起こした。
判決は棄却。「自死権は法的に認められていない」という一文だけが、彼の主張に蓋をした。
現在、Sは未だ服役中だが、その消息を知る者は少ない。
面会に訪れる者も、家族もすでに絶えて久しいという。
ただ一つ、彼が刑務所の図書館から何度も借りていたという分厚い本――
『精神を切る手術』
そのページの端には、かすれた鉛筆でこう書かれていた。
「ぼくの脳を返せ」
(了)