これは、ある女性が母親から聞いた話だ。
母親がまだ子供だったころ、村の近くの山道にある古びた廃寺が、夜な夜な丑の刻参りの現場として噂されていたという。何しろ丑の刻参りとは、呪いたい相手の体の一部――たとえば爪や髪を藁人形に織り込み、五寸釘で打ち付けて相手に災いをもたらすものだ。しかも、人に見られればその呪いが呪者自身に返る「呪返し」が待っている。だからこそ、見られれば相手を始末しなければならないという物騒な掟まである。村人の誰もがその話を知っていた。
夏祭りの夜、母親と友人は少し離れた町まで出かけ、夜遅くなってから村に戻ることにした。すでに林道は真っ暗で、誰一人いない。祭りの余韻に浸りながらペダルを漕いでいると、山の上の廃寺へ続く分かれ道に差しかかった。そこで友人が立ち止まり、「何か音がする」と耳を澄ました。かすかに聞こえる、カコン、カコン、という不気味な音。祭りの興奮もあって、二人は肝試しのつもりで分かれ道を上り始めた。
二十分ほど歩き、廃寺の境内に辿り着くと、そこには人影がひとつ。白装束の女が、寺前の古びた大木に向かって木槌を振りかざしている。カコン、カコンとその音が、闇の中に響いている。母親も友人も、「あれは丑の刻参りだ」とすぐに悟り、息を潜めてその場を立ち去ろうとした。しかし、逃げ出そうとしたその瞬間、母親の下駄が砂利を踏み、音を立ててしまったのだ。
「お前たち……見たのか!」
女は不気味な低い声でこちらを睨み、ゆっくりと近づいてくる。母親と友人は一瞬足がすくんでしまったが、母親は友人の振袖を掴んで、必死に石階段を駆け下り始めた。後ろを振り返る余裕もなく、ひたすら無我夢中で逃げたという。
分かれ道に辿り着いたとき、突然「この自転車、きみたちのかい?」と声がした。そこには夜警の駐在が立っていて、二人の自転車を見つけて声をかけてきたのだった。母親と友人は駐在にしがみつき「おばけが、白装束の女が……」と泣き叫んだ。駐在は笑いながら二人を村まで送り届けてくれたが、その夜、母親は恐怖のあまりに高熱を出し、三日間寝込むことになった。
それから数十年後――。五年ほど前、あの大木は枯れて危険だからと切り倒された。その幹には、数え切れないほどの五寸釘が打ち込まれていた。まるで古木の中に恨みの層が堆積していたかのように、一本一本が呪いの印のようだったという。