現代に大東亜戦争時の日本海軍の軍艦の名前を聞くと、真っ先に『大和』が上がると思うが、『大和』は当時極秘に建造されていたために、国民には存在は知らされておらず、有名になるのはむしろ戦後だろう。
1 :名無し三等兵:2005/08/05(金) 20:34:39 ID:yMFUFqBX
逆に戦前戦中にかけて帝国海軍の軍艦と国民に聞けば、間違いなく『長門』と答えたのである。
長門は昭和13年から17年まで連合艦隊の旗艦まで勤めた、帝国海軍のシンボルであった。
しかも、大和が戦中末期に撃沈されたのに比べ、長門は数々の戦いを潜り抜け、終戦時まで残った唯一の巨大戦艦であった。
しかし、戦後米軍に接収された長門は、原爆実験の標的艦として最後を迎える。
一回目の実験でも無傷で残り、2回目の実験でも僅かに傾いただけで、他の米軍戦艦が沈む中で唯一水上の上で悠々と残っていた。
これには米国実験者は驚嘆し、長門の構造を調べ上げようとした矢先、長門は忽然と海上から姿を消した。
(1946年7月29日沈没)
日本が2発の原爆で降伏したのに対して、長門は2発の原爆にも耐え、アメリカによる解体からをも許さず、まるで自決するかのように自ら沈んでいった……
まさに、大日本帝国海軍の最後の意地を見せた最期であった。
3 :名無し三等兵:2005/08/05(金) 20:36:40 ID:yMFUFqBX
戦艦長門の性能、武装
公試排水量 4万3580トン
全長 224.94メートル
最大幅 34.6メートル
最大速力 25ノット
航続距離 8650海里
主砲 40センチ2連装砲塔4基(8門)
副砲 14センチ砲18門
高角砲 12.7センチ2連装8基(16門)
機銃 25ミリ3連装20基(60門)
馬力 82000馬力
乗員数 1368名
[出典:http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1123241679/]
参考資料
戦艦長門の最期
終戦後、1945年8月30日に、連合国軍の1国であるアメリカ軍に接収される。
長門は空襲によって中破したまま修復されておらず、煙突とマストは撤去されていた。
9月15日附で除籍。
アメリカ海軍による詳細な調査の後武装解除され、1946年3月18日にクロスロード作戦に標的艦として参加するためマーシャル諸島のビキニ環礁へ出発した。
艦長はW・J・ホイップル大佐で、180名のアメリカ海軍兵が乗り込んだ。
しかし破損のために使用できるボイラーの数が限られ長門は毎時数ノットという低速しか出せず、途中、応急修理のためエニウェトク環礁に立ち寄っている。
1946年(昭和21年)7月1日の第一実験(ABLE、空中爆発/予定爆心地を大きくはずしてしまう)では戦艦ネバダが中心に配置され、長門は爆心予定地から400mのところに置かれた。
爆弾は西方600mにずれてしまい、結果爆心地から約1.5 km(1,640ヤード)の位置となった。
この時長門は殆ど無傷(爆心地方向の装甲表面が融解したのみで航行に問題なし)であった。
長門と同時に実験標的にされた阿賀野型軽巡洋艦酒匂はほぼ真上が爆心地となったために大破炎上、翌日に沈没した。
7月25日の第二実験(BAKER、水中爆発)では爆心地から900-1000mの位置にあり、右舷側に約5度の傾斜を生じた。
それでも長門は海上に浮かんでいた。
しかし、4日後の7月29日の朝、原爆実験の関係者が長門のいた海面を見てみると、既に同艦の姿は海上にはなかった。
7月28日深夜から29日未明にかけての夜間に、艦内への浸水によって転覆し沈没したものと見られる。
ただ一説には、長門の浸水を食い止めるなど、保存などの為に緊急修理をする予定が立てられていたが、最終的には行われず沈没したという逸話も有る。
長門が二度被爆してなお4日後まで沈まなかったことは、当時の日本では「米艦が次々沈む中、最後まで持ちこたえた」「長門が名艦だった証拠」「日本の造艦技術の優秀性の証明」と喧伝された。
もっとも、被爆を耐えた艦は長門以外にもおり、沈没を免れた米戦艦ネバダ、アメリカの軽空母インディペンデンス、ドイツの重巡洋艦プリンツ・オイゲン(後日座礁放棄)等、多数存在する。
さらに長門とほぼ同じ距離にいた米駆逐艦ヒューズ(DD-410)ですら二度の被爆を沈まずに耐え抜いている。
しかしながら第二実験(BAKER)の実施前に長門の艦首部に穴が開けられており、さらに機雷が艦体に装着されていたとされるなど大型艦の中では不利な条件であったとも言える。
現在、長門の沈没地点はダイビングスポットとしてこの地の貴重な観光資源となっている。
しかし、核実験の放射線の影響のため艦体に直接ダイバーが触れる事は許可されていない。
沈没状態とはいえ、ビッグ7の中で現存しているのは長門だけである。
現状は上下逆さまで沈没しており、艦橋部分は折れている。
クロスロード作戦
クロスロード作戦(クロスロードさくせん、Operation Crossroads)は、1946年夏にアメリカ合衆国がビキニ環礁で行った一連の核実験のこと。
21キロトン級原子爆弾を2つ用いた本作戦は、結果的にエイブル (ABLE)とベーカー(BAKER)とに分けられる。
核爆弾はエイブルでは7月1日に高度158mで、ベーカーでは7月25日に水深27mで爆発した。
3番目としてチャーリー (CHARLIE)が予定されていたが、ベーカーの示した放射能が予想よりも激しかったため中止された。
クロスロード作戦は1945年7月のトリニティ実験、8月の広島、長崎に続く史上4番目と5番目の核爆発である。
またマーシャル諸島で行われた、および事前に実施通告がなされた最初の核実験であった。なお本作戦に引き続いては、サンドストーン作戦が実施されている。
一連の実験の目的は艦船、機器、各種物質に対する核兵器の威力を検証することであり、約70隻の艦艇からなる艦隊が標的としてビキニ諸島に集められた。
この艦隊はアメリカ海軍の老朽艦やドイツや日本から接収した艦、アメリカ海軍の余剰な巡洋艦・駆逐艦・潜水艦・補助艦などから構成されていた。
接収艦としては日本からの戦艦長門、ドイツからの重巡プリンツ・オイゲンなどが有名である。
核爆発現象を研究するための技術的な実験も行われ、生きている実験用動物も使用された。
150隻以上の実験支援艦艇は隊員の宿舎や実験施設として利用され、42,000人(このうち37,000以上は海軍の人員)からなる第一統合任務部隊(Joint Task Force 1)の仕事場となった。
[出典:Wikipedia]