私がまだ小学生の頃、母方の祖父の故郷で体験した出来事についてここに記す。
祖父が他界して十年が経過した今、その出来事を公にすることにした。ここで語られる内容は古くからの因習と民間信仰が深く絡んでいるため、慎重にお読みいただきたい。
私の祖父は、東北地方の特定の町で生まれ育った人物で、その個性は非常に際立っていた。特に宗教や信仰に対して強烈な嫌悪感を抱き、それは家庭内においても一貫していた。例えば、祖父は地元で行われる「泣き相撲」という祭事に、家族の誰一人として参加することを許さなかった。この「泣き相撲」とは、赤ん坊を土俵に立たせ、先に泣いた方が敗者と見なされる儀式であり、村対抗で豊作の吉凶を占う伝統行事であった。しかし、祖父は私が赤ん坊の時、この行事に出場することを絶対に許さなかったのだ。
私が覚えている祖父の姿は、極めて慈愛に満ちたもので、孫である私に対して無条件の愛情を注いでくれた。しかし、唯一祖父が許さなかった行為が「泣くこと」であった。幼少時、転んで膝を擦りむいた際、泣き出した私に対して祖父は「ああ泣くな、泣くな!」と叱責し、拳骨で私を戒めた。このようにして、私は自然と「泣かない子ども」として育てられたのである。
祖父はまた、非常に独特な価値観を持つ人物でもあった。彼は伝統的な祭事や村の風習に強い反感を抱きつつも、自然と土地に対する深い敬意と、その地で生きる者としての誇りを持っていた。彼は「人は土地に根ざして生きるべきだ」とよく語っていた。その考えは、村の因習に反対する一方で、その土地に刻まれた歴史と繋がりを持ち続けることの重要性を示していた。
ある正月休み、私は祖父の家に里帰りしていた。その年の帰省は少し遅れており、祖父の家に着いたのは1月6日だった。祖父の家に着くと、いつもと変わらない暖かい笑顔で迎えてくれた祖父の姿に安堵した。しかし、ふとした瞬間に祖父の顔に浮かぶ陰りを感じたのを覚えている。それはまるで、何か重い秘密を抱えているかのような表情であった。
翌朝、私は幼少時からの友人である清助の家に遊びに行くことにした。清助の家は、祖父の家から約2〜3キロ先にあるアパートで、私は彼と久しぶりに会えることを楽しみにしていた。私たちは幼い頃からの友人で、彼と過ごす時間はいつも特別だった。彼は私が持っていない最新の玩具やゲームを持っており、彼の家に遊びに行くことは子供心に大きな楽しみであった。
しかし、早朝の薄暗い道を進むうちに、いつしか道が変わっていたことに気がついた。舗装されていたはずの道が砂利道に変わり、私が知っているはずの一本道がどこか異様な様相を呈していた。しかし、迷いながらもそのまま進んでいくと、次第に傾斜が急になり、山道へと入り込んでしまった。その時、私は何度も清助の家に行ったことがあるはずなのに、なぜか道を間違えたのだろうかという疑問が頭をよぎった。しかし、引き返すべきかどうかを迷っているうちに、先へと進むことを選んでしまった。
その先には、大きな岩が道を塞いでいた。その岩は直径が4〜5メートルほどもある大岩で、しめ縄が巻かれ、神聖な空気を纏っていた。その岩を前にした瞬間、私は圧倒的な存在感に襲われ、何か異様な感覚を感じた。周囲の空気が歪んで見え、まるで濃密なエネルギーがその場に漂っているかのようであった。空気の密度が変わったかのように息苦しさを感じ、体の芯に重圧がかかるような感覚がした。その感覚に導かれるように、私は岩に手をつけてその表面をなぞり始めた。
岩の表面は冷たく、異様に滑らかで、その冷たさが手から腕、そして体全体に広がっていくようだった。そして、なぜか私はその岩の周りを何周も回る行為を止められなかった。何かに導かれるかのように、岩の下に何かがあるという確信が胸の中に生まれ、次第に土を掘り始めていた。その時、突然辺りに鈴の音が響き渡り、遠くから女性の声で何かを歌うような音が聞こえてきた。「アターヌサキー、ワーセテ、バタクサ、バタクサ」。その声は私に恐怖と共に深い哀しみをもたらし、胸の奥から湧き上がるような不安感が私を覆った。その声はまるで、私の内なる何かを呼び覚ますかのようであった。
鈴の音と歌声が繰り返し聞こえてくる中、私は次第に涙が溢れ出しそうになるのを感じた。しかし、祖父の教えを守るべく必死に涙をこらえた。そうしているうちに、突然後ろから「バカ者が!」という怒声が響いた。振り向くと、祖父が鬼のような形相で走り寄ってきていた。普段杖をついている祖父があれほどまでに速く走ることができるのかと驚きながらも、その瞬間、私の手元に冷たい感触が走った。土の中から赤黒い「耳」のようなものが顔を出していたのだ。その異様な光景に私の意識は途絶え、気がつくと私は家の天井を見上げていた。
目を覚ますと、祖父が両親を部屋から出し、私と二人だけで向かい合う形になった。そして祖父は静かに語り始めた。「わしが子供の頃にも、一度同じ経験をしたことがある」と。祖父もまた、私と同様に正月の時期に山へ入り、大岩の下を掘ったという。その時祖父は、友人の五郎と共に洞窟を覗き込み、その中から「泣け、泣け」と繰り返す甲高い声を聞いたのだという。五郎は恐怖に泣き出し、祖父はその恐怖に駆られて一人で逃げ帰った。五郎はそれ以来、村に戻ることはなかった。
祖父によれば、その大岩の下には「御業様」と呼ばれる存在が封じられているという。この「御業様」は、かつて村を支配していた鈴城の当主であり、反乱によって洞窟に幽閉された男の怨霊だとされている。祖父の話によると、鈴城の当主はその耳が異様に大きく、口が小さな人物であり、村人たちから畏れ敬われていたが、一部の反乱者によって謀反に遭い、その後洞窟に閉じ込められたという。
以降、村では「泣き相撲」という儀式を通じて生け贄を捧げ、この怨霊を鎮めるための祭事が行われてきたのだ。この儀式は赤子を土俵に立たせて泣かせ、泣いた方を敗者として選び、生け贄とすることで御業様の怒りを鎮めようというものであった。その行事が村の伝統として続けられてきた背景には、村全体が怨霊の恐怖に支配されていたという現実があった。
祖父の話を聞いた私は、その土地に根付く因習と怨霊信仰の深さに恐怖を覚えた。「御業様」は今なお生け贄を求め、泣いた者を連れ去るという。祖父の友人である五郎も、私の友人であった清助も、彼らの運命は「御業様」によって決定づけられたものであったのだ。清助がいなくなった後、私は村の中でその名を聞くことを恐れ、誰にも彼のことを尋ねることができなかった。その存在があまりにも現実離れしている一方で、非常に現実的な脅威であることを痛感したからである。
こうした因習や怨霊信仰は、日本各地に未だ残存している。「御業様」について、私はこれ以上知りたくないし、関わるつもりもない。ただ一つ確かなことは、このような存在が今なお人々の間で恐れられ、静かに祀られているということである。それは、祖父が命を懸けて私に教えようとしたことであり、この地に生きる者たちの深層に刻まれた恐怖と信仰の象徴であった。
それ以降、私は祖父の教えを胸に刻み、この地を訪れることはなかった。日本には未だに、因習と深い信仰が根付く土地がある。そして、その土地には何かしらの怨念が息づいており、我々が踏み込むことを決して許さないのだ。
(了)
参考資料
芹 薺 御行 繁縷 仏の座 菘 蘿蔔 これぞ七草
290 :本当にあった怖い名無し:2013/10/07(月) 19:23:58.04 ID:7CVRzeyYO
最後いきなり七草が意味わからん
655 :本当にあった怖い名無し:2013/10/19(土) 17:19:47.56 ID:KR80LT3q0
>>290
当主は7文字の名前で、七草の中に1つゴギョウがある。
という事は他の七草の名前の中にその名前か…ゾワッ
鈴城がヒントになってるな
675 :本当にあった怖い名無し:2013/10/19(土) 21:13:48.93 ID:LGpCBRxx0
>>655
その話に関しては、意味がわかると怖い話スレの住人が解析してる。
403 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:2013/10/10(木) 01:26:34.36
御業 (ゴギョウ)様か
東北で泣き相撲といえば青森の浪岡八幡宮か岩手の花巻「毘沙門まつり」だが
◇◇◇◇◇◇◇なんだろうね?
びしゃもんてん・・・ちがうか
420 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:2013/10/10(木) 09:30:27.48
>>416
競り 泣くな
御業様はこの辺り
岩ノ下
鈴鳴る 鈴城
是ぞ七草
という御業様に気をつけろという警句になっている
仏の座は神道の磐座と結びつけているっぽい
と考えるとこれぞと言っている「春の七草」が答えかと思うけど
最後の句を逆から読むと「サクナナゾコ」
豊"作"を占うナナゾコのバケモノのことだろう
というのが自分の考察 非常に良く出来ていた面白い話だと思う
文字数は最初に御をつけるだの最後に様をつけるだのでいくらでも調節できるから
目安にはなってもぴったりあわせることは実質不可能
それっぽい7文字の言葉をあげて自己満足するのがいいとこ
425 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:2013/10/10(木) 14:59:28.11
なるほど、
ゴギョウは五行に読み替えて、5-7-5-7-7の短歌だから
1行=セリナズナ
2行=ゴギョウハコベラ
3行=ホトケノザ
4行=スズナスズシロ
5行=これぞ七草→サクナナゾコ
みたいな感じですかね?
>420見てて、今気づいたんだが、アナグラムで置き換えると
(これぞ七草)
これぞななくさ
↓
なくこなぞされ
(泣く子なぞ去れ)
つまり泣く子は死ねって文になるんだが…