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なんも聞いてないな rw+4,123-0122

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2006年の夏、高知県香南市赤岡町を訪れた。

目的は二つあった。一つは夜の闇の中、ろうそくの火だけで絵を見るという「絵金祭り」を自分の目で確かめること。もう一つは、赤岡周辺に残るという土地の噂だった。

差別的な意味合いに興味があったわけではない。ただ、閉じた地域で長く守られてきた風習や、理由を語られなくなった禁忌に惹かれる癖があった。説明されないものほど、こちらの想像力を試してくる。

赤岡の町は、空港から近いにもかかわらず不思議なほど静かだった。時間が止まっているというより、最初から余計なものが削ぎ落とされているような印象だった。

到着して最初に立ち寄ったのは、星神社という小さな社だった。名前に惹かれただけで、特別な由来を期待していたわけではない。境内は整えられていたが、どこか落ち着かず、長居する気になれなかった。

その後、地図を見て気になった場所へ車を走らせた。
長者ヶ森、平家ヶ森、三辻森。
由来を知らなくても、並び方だけで十分に不穏だった。

夕方、宿に戻る前に近くの集落で聞き込みをした。最初は曖昧な昔話ばかりだったが、最後に訪ねた古い家で、空気が変わった。

年老いた夫婦は、しばらく顔を見合わせたあと、静かに話し始めた。

昔、猫を連れた身分の高い男がこの地に来たこと。
猫を使った何かを「試した」こと。
森の名前が増えた理由。
そして、人が使われたこと。

詳しいことは語られなかった。途中で言葉を切り、「わしが話せるのはここまでじゃ」と老人は口を閉じた。理由は分からない。ただ、それ以上を口にすること自体が禁じられているように見えた。

別れ際、老人は祭りの話を振り、唐突に言った。

猫だけは殺すな。
もし、間違ってでも死なせたら、何も言わず逃げろ。

その言い方は忠告というより、確認に近かった。

その夜、絵金祭りは静かだった。
血の色をした絵が、ろうそくの揺らぎに照らされる。
周囲の人々は楽しんでいるはずなのに、どこか緊張が解けない。誰もが、絵ではなく別の何かを見ているように感じられた。

翌朝、宿を出て空港へ向かった。
途中、道に迷い、広場のような場所に車を止めた。自動販売機の裏にベンチがあり、そこで地図を確認していた。

そのとき、急ブレーキの音がした。
短い音だった。続いて、何台かの車が止まる気配。

覗くと、十人ほどの男たちが集まっていた。
ランニング姿の者、作業着の者、年齢もばらばらだった。

断片的な言葉が聞こえた。
儀式、確認、逃がすな。

気づけば、彼らは自分のレンタカーを囲んでいた。
ナンバーを見、下を覗き込み、タイヤを確かめる。

血はない。
凹みもない。
この車じゃないかもしれん。

恐怖より先に、違和感があった。
彼らは「犯人」を探している様子ではなかった。
何かが起きたかどうかを、確認しているようだった。

声をかけるしかなかった。

自分が借りた車だと伝えると、男の一人が聞いた。

猫を轢いたか。

轢いていない。
迷って地図を見ていただけだ。
そう答えると、彼らは互いに顔を見合わせた。

他所もんだ。
関係ないだろう。
それでも仕方がない。

その言葉の意味が分からないまま、道を教えられた。
立ち去ろうとしたとき、一番年嵩の男が近づいてきた。

なんも聞いてないな?

返事をしようとすると、同じ言葉が繰り返された。
な?
な?
な?

何度も。
返事は求められていないと、直感的に分かった。

視線が一斉にこちらに向いた。
笑っている者もいた。
だが、目だけは全員、同じだった。

喉が鳴り、声が出なかった。
それでも、無意識に頷いた。

その後の記憶は曖昧だ。
空港までどう走ったか、はっきり思い出せない。

帰宅して数日後、洗濯をしていると、靴の裏に乾いた汚れが残っているのに気づいた。
黒く、こびりついたような跡だった。

高知の土だろう。
そう思おうとした。

だが、あの場所で靴を車から降ろした記憶がない。
ベンチに座っていただけだ。

今でも、猫の鳴き声を聞くと、あの男たちの目を思い出す。
自分が何を見て、何を聞き、何に頷いたのか。
確かなことは一つもない。

ただ、あの土地では、今も何かを「確かめて」いる。
それだけは、なぜか確信している。

(了)

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