ある男が、ひとりで登山に出かけたまま戻らなかった。
山岳信仰が今も残る、山間の静かな地域だった。捜索はすぐに始まったが、足跡も装備も見つからず、男は山に溶けたように消えた。
三年後、湿地帯の奥で遺骨が発見された。骨の周囲には、登山用具や衣類が散乱していた。その中に、古いテープレコーダーが一台あった。
電源は入らなかったが、内部のテープは無事だった。
再生すると、男の声が録音されていた。
一日目
「夜になると……声がする……」
息を詰めるような話し方だった。
「誰もいないはずなのに……呼ばれてる……」
二日目
「助けて……」
声は弱く、何度も途切れる。
「夜になると……近くで……」
言葉が途中で止まり、長い沈黙が入る。
「……いる」
三日目
「助けて……」
ほとんど囁きだった。
「近い……」
荒い息だけが続く。
何かを言いかけて、途中で言葉が潰れる。
「……」
そこで、男の声は止まる。
次の瞬間、音が入る。
「オイ」
短く、はっきりした一言だった。
それで録音は終わっている。
(了)