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七人みさき r+6000

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四国の山間部に位置する小さな村で育った友人から聞いた話である。

この村では、幼少期からほぼ同じ子どもたちが共に過ごし、学齢期を通じて顔ぶれが変わることはほとんどなかった。これは彼が中学生の頃、つまり四十年ほど前に聞いた話であり、後に当事者に直接確認を取ったという。

清助という少年がいた。彼は二歳年下で、特に変わったところのない、ごく普通の子どもだった。

ある八月の夕刻、清助は夕食前に微睡んでいた。目を覚ますと、特に理由もなくふと立ち上がり、帽子をかぶり、懐中電灯を手に庭へと出た。自身の証言によると、その時はまだ半ば夢の中のような状態で、なぜ目覚めたのかも分からなかったという。

家族の一人が七時頃に清助が外へ出るのを目撃したが、「すぐ戻るだろう」と特に気に留めなかった。

庭には六人の「人影」が立っていた。

性別も年齢も曖昧で、ただそこに六つの存在があると認識したのみであった。

六人は清助を視認すると、無言のまま山の方へと歩き出した。不審な光景であるにもかかわらず、清助の心には恐れも疑念も生じなかった。むしろ、彼らについて行かなければならないという不可解な確信が芽生え、理性の働きを押しのけるように足が勝手に動いた。まるで何かに導かれるように、彼らの後を追った。

清助の家は山の斜面に位置していた。高度を増すにつれて周囲は闇に沈み、ふと気づくと六人の姿は不鮮明になり、やがて人の輪郭を失い、ただの「気配」としてそこにあるようだった。

六つの影は清助を取り囲み、低い声で囁き続けていた。その内容は聞き取れなかったが、その響きだけが静寂を支配していた。

その時、不意に「コン」と鋭い音が響いた。

懐中電灯の光に引き寄せられた虫がレンズに激しく衝突したのだ。その瞬間、まるで張り詰めていた糸が断ち切られたかのように、六人の気配が一瞬で霧散し、囁き声も跡形もなく消えた。

清助はその場で意識がはっきりし、現実に引き戻された。

気がつけば、見知らぬ山中に一人で立っていた。光源は自らの懐中電灯のみ。得体の知れない恐怖が背筋を駆け上がり、彼は一目散に家へと走った。

家族が必死に捜索を続ける中、清助が発見されたのは深夜十二時直前だった。

後日、村の太夫(いざなぎ流の祭司)によれば、あの六人は『七人ミサキ』に取り込まれた存在であり、清助を七人目として迎えに来たのだという。

「もし十二時を過ぎていたら、もう戻れなかっただろう」

太夫はそう告げた。

しかし、清助の祖母が長年にわたり熱心に神棚を拝んでいたことが功を奏し、神が虫を介して彼を救ったのだとも語られた。

清助の村には、昔、恋人に裏切られた女が身を投げ、それ以来、七人の男が不可解な死を遂げたという伝承があった。事故や凍死など原因は様々だったが、太夫が祓いを試みても「力が強すぎて私には落とせない」と匙を投げるほどの存在だった。

しかし、村人たちは「既に七人の犠牲が出ているのだから、もう大丈夫だろう」と楽観し、その場所で遊泳を楽しむことすらあった。

だが、もし七人ミサキの数がまだ足りていなかったとしたら――。

では、なぜ清助が迎えに来られたのか。

その理由は今も不明のままである。

幸いにも、その後の清助には特段の怪異は起こらなかった。しかし、この話を聞いた友人は「次に迎えに来るのは自分ではないか」と長く恐怖を抱え続けたという。

[出典:959 :埋め立て:2003/06/26 00:24]

七人ミサキとは

高知県を初めとする四国地方や中国地方に伝わる集団亡霊。

災害や事故、特に海で溺死した人間の死霊。

その名の通り常に七人組で、主に海や川などの水辺に現れるとされる。

七人ミサキに遭った人間は高熱に見舞われ、死んでしまう。

一人を取り殺すと七人ミサキの内の霊の一人が成仏し、替わって取り殺された者が七人ミサキの内の一人となる。

そのために七人ミサキの人数は常に七人組で、増減することはないという]。

この霊の主は様々な伝承を伴っているが、中でもよく知られるものが、『老圃奇談』『神威怪異奇談』などの古書にある土佐国(現・高知県)の戦国武将・吉良親実の怨霊譚である。

安土桃山時代、吉良親実は伯父の長宗我部元親の嫡男・長宗我部信親の死後、その後嗣として長宗我部盛親を推す元親に反対したため、切腹を命ぜられた。

そのときに家臣たち七人も殉死したが、それ以来彼らの墓地に様々な怪異があり、親実らの怨霊が七人ミサキとなったと恐れられた。

それを耳にした元親は供養をしたが効果はなく、怨霊を鎮めるために西分村益井(現・高知市)の墓に木塚明神を祀った。これが現存する吉良神社である。

また『土陽陰見奇談』『神威怪異奇談』によれば、親実と共に元親に反対した比江山親興も切腹させられ、妻子たち六人も死罪となり、この計七人の霊も比江村七人ミサキとなったという。

また広島県三原市には経塚または狂塚と呼ばれる塚があったが、かつて凶暴な七人の山伏がおり、彼らに苦しめられていた人々が協力して山伏たちを殺したところ、その怨霊が七人ミサキとなったことから、その祟りを鎮めるためにこの塚が作られたのだという。

ほかにも土地によってはこの霊は、猪の落とし穴に落ちて死んだ平氏の落人、海に捨てられた七人の女遍路、天正十六年(千五百八十八年)に長宗我部元親の家督相続問題から命を落とした武士たち、永禄時代に斬殺された伊予宇都宮氏の隠密たちなど、様々にいわれる。

山口県徳山市(現・周南市)では、僧侶の姿の七人ミサキが鐘を鳴らしながら早足で道を歩き、女子供をさらうという。

そのために日が暮れた後は女子供は外出しないよう戒められていたが、どうしても外出しなければならないときには、手の親指を拳の中に隠して行くと七人ミサキの難から逃れられたという。

[出典:Wikipedia]

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