短編

七人みさき【ゆっくり朗読】5880

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私は四国の田舎の村出身ですので、幼、小、中と同じ地区の子供が集まりほとんど面子が変わることはありません。

これは二〇年近く前(1980年代初頭)、私が中学生だった頃聞いた話で、事件の一年後くらいに本人に確認を取っています。

959 :埋め立て:2003/06/26 00:24

私の二つ下に清助という男の子がいた。

清助は取り立てて変わったところも無い、ごく普通の男の子だった。

ある八月の夏休みの夕方、夕食までの間、清助は家で昼寝のような感じで眠っていた。

そのうち、清助はおもむろに目が覚め、帽子をかぶって懐中電灯を片手に庭先へ出た。

この時の清助の意識は、半分寝ぼけた状態で、何故目が覚めたかは判らないとのことだ。

清助が庭先に出て行ったことに家族の一人が気づいたが、ちょっと出ただけだろうと気にも止めなかった。

家族の人の証言では、時刻は七時頃とのことらしい。

清助が庭先に出ると、六人の『人』がそこに立っていた。

性別・年齢・容姿など一切清助は覚えていないのだが、六人の『人』だと思ったそうだ。

六人は清助を認めると、山の方へ歩き始めた。

※清助の家自体が山の斜面に建っていた。

清助は寝ぼけた状態にもかかわらず、また見も知らずの人のはずなのに、何の恐怖も感じず、むしろ、ああついていかないといけないんだな、と思い、吸い込まれるように彼らについていった。

裏の山といっても、結構標高はある。

六人は清助を囲むようにして歩いていった。

いつの間にか、周囲は真っ暗だ。そして清助を囲む六人も、もはや人ではなく、周りにつきまとう気配のようなものになっていた。

清助は、意識の上ではもはや『人』でないことを完全に理解していたが、別段恐怖心を感じる事も無く歩を進めていく。

まだ寝ぼけた状態が続いていたのだ。

周りの「気配」はなにやらずっとヒソヒソ、ボソボソとしゃべっていたのだが、その内容までは聞き取れず、そのまま歩き続けていた。

そのうち、コンと懐中電灯に虫が当たった。光につれられた虫のようだ。

その瞬間、周りにいた六人は一瞬にして消え去り、声も聞こえなくなった。

ここで清助はハッと正気に戻った。

周りを見渡すと、来た事も無い山奥の道をただ一人でいる。

光といえば、自分の懐中電灯の灯りだけだ。

突如猛烈な恐怖に襲われた清助は一目散に家へと走り帰った。

そして清助を探す家族の人に出会い、安全を感じたのは夜中の十二時ちょっと前だった。
後に太夫(たゆう;いざなぎ流の祭司)が清助の家族に言ったことには、その六人は『七人ミサキ』に引っ張られた者達で、清助を七人目として迎えに来たのだという。

そして十二時までに帰れなかったら、死んでいただろうと言った。

しかし、清助のおばあさんが毎日熱心に神棚を拝んでいたので、そのおかげで神様が『虫』を使って助けてくれたのだと。

確かに私の住む地域では、昔、男に捨てられた女が身投げして『七人ミサキ』となったと言われる所がある。

身投げ後、立て続けに男ばかりが、転落したり、酔って眠って凍死等で死んだので太夫にお祓いしてもらったのだが

「強すぎて私の力では落とせない」

とサジを投げてしまっていた所だ。

しかしその女性が身を投げたのは昔の事だし、かなりの人が死んだとの事なので、私達は「七人死んでるだろう」とすっかり安心してそこで泳いだりしていた。

結局、「何故清助を迎えに来たのか」という事は判らずじまいであった。

清助はその後、怪奇現象にあうことも無く現在に至っているが、当時の私はいつか自分の所に迎えに来るのでは……と思うと非常な恐怖を感じていたものだった。

[出典:http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/occult/1056018416]

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七人ミサキとは

高知県を初めとする四国地方や中国地方に伝わる集団亡霊。

災害や事故、特に海で溺死した人間の死霊。

その名の通り常に七人組で、主に海や川などの水辺に現れるとされる。

七人ミサキに遭った人間は高熱に見舞われ、死んでしまう。

一人を取り殺すと七人ミサキの内の霊の一人が成仏し、替わって取り殺された者が七人ミサキの内の一人となる。

そのために七人ミサキの人数は常に七人組で、増減することはないという]。

この霊の主は様々な伝承を伴っているが、中でもよく知られるものが、『老圃奇談』『神威怪異奇談』などの古書にある土佐国(現・高知県)の戦国武将・吉良親実の怨霊譚である。

安土桃山時代、吉良親実は伯父の長宗我部元親の嫡男・長宗我部信親の死後、その後嗣として長宗我部盛親を推す元親に反対したため、切腹を命ぜられた。

そのときに家臣たち七人も殉死したが、それ以来彼らの墓地に様々な怪異があり、親実らの怨霊が七人ミサキとなったと恐れられた。

それを耳にした元親は供養をしたが効果はなく、怨霊を鎮めるために西分村益井(現・高知市)の墓に木塚明神を祀った。これが現存する吉良神社である。

また『土陽陰見奇談』『神威怪異奇談』によれば、親実と共に元親に反対した比江山親興も切腹させられ、妻子たち六人も死罪となり、この計七人の霊も比江村七人ミサキとなったという。

また広島県三原市には経塚または狂塚と呼ばれる塚があったが、かつて凶暴な七人の山伏がおり、彼らに苦しめられていた人々が協力して山伏たちを殺したところ、その怨霊が七人ミサキとなったことから、その祟りを鎮めるためにこの塚が作られたのだという。

ほかにも土地によってはこの霊は、猪の落とし穴に落ちて死んだ平氏の落人、海に捨てられた七人の女遍路、天正十六年(千五百八十八年)に長宗我部元親の家督相続問題から命を落とした武士たち、永禄時代に斬殺された伊予宇都宮氏の隠密たちなど、様々にいわれる。

山口県徳山市(現・周南市)では、僧侶の姿の七人ミサキが鐘を鳴らしながら早足で道を歩き、女子供をさらうという。

そのために日が暮れた後は女子供は外出しないよう戒められていたが、どうしても外出しなければならないときには、手の親指を拳の中に隠して行くと七人ミサキの難から逃れられたという。

[出典:Wikipedia]

(了)

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