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短編 r+ 民俗

記録されないもの rw+4,884-0114

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文化人類学の講義に出ていた先輩から聞いた話だ。

中部地方にある大学の民俗学研究室で、憑き物筋をテーマにしたフィールドワークが行われた。指導教官はその分野では名の知れた教授で、過去にも何度か調査報告を学会に出している人物だった。

参加したのは八人。対象ごとに班を分けることになり、初参加の錦子は、比較的知られている犬神を希望した。

だが教授は首を振った。

「犬神はまだ早い。怖いからね。そこは荒牧君と蟹沢君に任せよう。錦子君はオサキギツネをやりなさい」

理由はそれだけだった。

錦子は同級生の福子と二人で、北関東の旧家を訪ねた。教授が以前から世話になっている家で、地元では「狐さん」と呼ばれている一族だという。

訪れたのは台風接近中の秋の日だった。周囲の農家が慌ただしく備えを進める中、その家だけは妙に静かで、庭木の縄も窓の雨戸もそのままだった。

迎えに出たのは大旦那と呼ばれる老人だった。奥座敷に通され、録音機材を回すと、老人は淡々とオサキギツネについて語り始めた。

「小さな狐でな、手に乗るほどだ」

話の途中、老人はふと口を閉じ、欄間を見上げた。

「話をすれば、ほら。出てきとる」

錦子にも福子にも、何も見えなかった。

その晩は食事と部屋を用意され、泊まることになった。録音を止めた後、錦子が台風を心配して尋ねると、老人は穏やかに答えた。

「風も雲も、うちは避けて通る」

翌朝、帰り道には倒木や飛ばされた看板が点在していたが、狐さんの屋敷だけは、木の葉一枚乱れていなかった。

研究室に戻り、皆の前で録音を再生した。

人の声は入っていなかった。代わりに、低く引き延ばされたような声が、一定の調子で続いていた。

教授は黙って聞き、もう一度再生させた。

その途中で、能楽を研究している女子学生が青ざめて叫んだ。

「止めて。その声、狐憑きの声だ」

誰も言葉を挟めなかった。

教授だけが、軽く頷いた。

「記録されるのを嫌うんだよ。残念だけどね」

オサキギツネの調査は、ノートにまとめられたが、発表はされなかった。

一方、犬神の調査に向かったのは荒牧と蟹沢だった。

出発前、荒牧は何度も行くのをやめようと言い出した。

「自分が死ぬ夢を見た」

理由はそれだけだった。蟹沢は冗談だと受け流し、二人で山間の集落へ向かった。

犬神筋の家は立派で、迎えた老人は丁寧に応対した。ただ、荒牧は俯いたまま一言も発さなかった。

夜、用意された座敷で横になっても眠れなかった。深夜、廊下の向こうから無数の気配が押し寄せてきた。

次の瞬間、障子が破られ、ねずみのようなものがなだれ込んできた。

蟹沢は目を閉じたまま動けなかった。荒牧の様子が気になり、恐る恐る目を開けると、荒牧は座ったまま、虚ろな目で前を見ていた。

朝になると、部屋は荒れ放題だった。若奥さんはそれを見ても動じず、静かに言った。

「初めてのお客さまには、よくあることです」

別の部屋に案内され、支度を終えた二人に、老人はぽつりと呟いた。

「どうも、歓迎されなかったようですね」

帰宅後、翌朝になって荒牧の死が知らされた。目を見開いたまま、体が硬直していたという。公式には急性の発作とされた。

葬儀の後、蟹沢は研究室で言った。

「嫌がってたのに、無理に連れていった」

それきり彼は、犬神の話題を避けるようになった。

数年後、蟹沢は博士課程に進み、有望な研究者として評価されていた。だが、あるフィールドワークに出たまま、戻らなかった。

教授は何も語らない。

次の年度の調査テーマには、また新しい憑き物筋の名前が並んでいる。

(了)

[出典:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1475158566/]

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