七年前の六月、夜十時ごろ、自宅の電話がなりました。
いつになく、どきっとする音だったのを覚えています。
ミュージシャンの馬場君からでした。
「どうもオカシイ、口では説明できない。夜分申し訳ないが、来てみてほしい」とのこと。
馬場君はバンドの合宿所として、川越に近い、ある一軒家に引っ越したばかりでした。
いつにない彼の深妙な声に、いやーな緊迫感を感じましたが、長い付き合いの彼の頼みなので、行ってみることにしました……
そして、出かけようと玄関にでた瞬間、目の前のドアを誰かがいきなりノック。
開けてみると、友人の茅野君が一升瓶をかかえて立っていました。
馬場君に呼ばれて出かける旨を話すと、
「馬場君とは面識も有るし、単独で行くべきではないと思うので同行する」
と言い出しました。
とりあえず車を出し、その車中で話し合いました。
その日はたまたま暇で、急に私の顔を見たくなったのだそうです。
茅野君はもともと感の鋭い人で、私の顔を見た瞬間、「何かあったな」とピンときたといいます。
馬場君はいくつかの因縁を抱えた人で、以前から問題を起こしやすいタイプの人でした。
茅野君は、私を通して、馬場君の波乱万丈ぶりを知っていましたが、今回は今までとは違うように感じる、という点で意見が私と一致しました。
車で三十分ほど走ったとき、茅野君が突然「うわぁーーっ」と声をあげました。
話を聞くと、「一瞬道路の前方に、身長50mはあろうかという真っ赤な仁王さんが、“来るな!”のポーズで立ちはだかった」と言うのです。
彼はその当時、仏像の知識をほとんど持ち合せておらず、「仁王」と表現しましたが、後日写真集を見せて確認したところ、明王部の中でも不動明王の立像に一番似ていたそうです。
初めての訪問だったので、馬場君に最寄りの駅前まで迎えに出てもらいました。
馬場君を駅で拾い、車中で「何事か」と問うと、「格安で二階家、いい物件だと思ったがどうもオカシイ、とにかく来て、見てから意見を聞かしてくれ」と言います。
到着すると、そこは目の前を高速道路が走り、雑木林に三方を囲まれた、十戸ほどの分譲住宅の中にある一軒でした。
囲まれていない開いた方の、道路に面した角にたっており、築十年位でした。
車を降りると、まず私はその家に向けてカメラのシャッターをきりました。
梅雨の中休みといった気候で、蒸し暑い夜でした。
「はまったな」
その場に立った時の素直な感想でした。
その家の外見で気になった点を挙げてみましょう。
・全ての敷地内の雑草が外側へ向かって伸びている。
・敷地内の南西の角に三本の木(高さは二階の軒とほぼ同じ)がある。
・三本の内、南よりの一本は立ち枯れになっている。
・分譲住宅なので、周囲の家屋と同時期の築のはずだが、それだけが傷みが大きい。
隣の住人が網戸ごしにこちらを覗いているのを気にかけながら中へ。
「むさ苦しいところだが、まあはいってくれ」
馬場君のさそいに、玄関へ一歩。
「く、くさい、何だ?」
……というのが内部を見た第一印象でした。
茅野君は開口一番、「猫、飼ってるのかな?」
私もそれに相槌をうつと、馬場君は、
「うちには居ないが、周りには何匹かいるよ。匂う?やっぱりなあ。いくら掃除しても、抜けないんだよね」
玄関から上がってすぐ左が階段。
玄関(西)から正面(東)へ真っ直ぐに廊下があり、突き当たり右(南東)がダイニングキッチンで、左(北東)が浴室。
私たちは、上がって右手(南西)のバンドの練習室に通されました。
「す、涼しい。いや、寒い。エアコンは?……な、ない!窓は?……閉じてる」
窓の外に妙に目立つものが……よく見ると枯れ木でした。
「この部屋が一階では一番まともなんだ」
マネージャーの女の子が茶を入れている時、やっと馬場君が話を始めました。
馬場君の話の概要は、
・一階で寝るとうなされることがある。
・二階に全員が居る時、一階から話し声が聞こえる。
・一階から上がってくる足音がしたのに誰も来ない。
・引っ越してきた時、押入の中にケース入りのゴルフクラブ一式が残されていた。
・台所に行くのをみな嫌がる。
といった現象なのですが、猫について次の様な体験を話してくれました。
「昨日、二階に居たら一階で物音がしたんで、買物に行ってたヤツが戻ってきたかな?と思って下へ降りてきたんだ。そしたら、玄関のドアは開いてたんだけど、誰も居ない……よく見ると、近所の猫が入り込んでたんだな。
ところが、そいつがなかなかつかまらない。ちょっと掴むと、必死で引っ掻いて抵抗する。この引っ掻き傷、見てみなよ。そこで、窓を開けてやったんだな。
ところが、追い回したけど猫は窓を無視するんだね。そして、そのうち猫が玄関へ走ったんだ。やった、出てくぞ……そう思ったら、猫が変な行動をとったんだ。
玄関に降りるやいなや、ビタッと立ち止まって急に向きをかえたんだね。そして俺の足下をぬけて階段上がって、二階の窓から屋根越しに逃げたんだ。
でさぁ……その、玄関での行動なんだけど、本当に変なんだよね。
何か目の前に恐ろしいものでもいて、あわてて引き返した……という感じなんだ。
俺に追いかけられるよりは、よほど怖そうだったよ」
この話を聞いた茅野君は、「その猫、何かに操られてたんじゃないかなぁ」とコメント。
私はその話の間も、廊下を猫が行ったり来たりしている様な感じがしていました。
「その猫はたまたまそうなっただけで、普段は生きていない猫がうろうろしているみたいだね」
私がそう言うと、すかさず茅野君は、「うん、今も廊下をふっと影が通った様な気がしたよ」と意見が一致。
しかし、大切なのは、さっきの茅野君のコメントです。
私は茅野君の勘(感)を生かすつもりで、彼にたずねました。
「でも、本体は猫じゃないな。台所へ行ってみる?」
「いいや、今はよすよ。明後日は休みだから、明るいうちに来よう」
この後、馬場君からもう少し話を聞き、新曲のデモを聞かせてもらい、台所には足を踏み入れず、午前二時ごろ帰途につきました。
茅野君を送った後、私は自宅へ戻りました。
「ん?誰も居ないはずの弟の部屋でひとの気配がする……」
電気をつけて覗くと……やはりいない……
「来たな……」
私は「くるな!」と強く念じ、気配が消えたのを確認してから床に入りました。
明けて、すぐ私はフィルムを現像に出しました。その日の夕方には仕上がりますから。
職場へ行くと、弟(大輔)からの伝言がありました。
「今晩、帰る。友人を呼ぶ。酒、買っておいてくれ」
弟は職場が遠いので、その近くに下宿しており、およそ月に一度、衣替えに戻っていました。
私は仕事の帰りに、上がったプリントを引き取りました。
持ち帰るとまず、ネガで現像ムラや光線洩れ、傷などをチェックし、それからじっくりプリントを調べました。
枯れ木がとても目立ち、何枚かのカットに気持ちの悪い印象を与えていました。
と……よく見ると、そのうちの一枚に……
南西の角のブロック塀に小さい赤い光点(豆電球でも点いているかように見える)が写っているものを見つけました。
同アングルの他のカットにはなく、そのカットにだけ写っていました。
ネガにもきちんと写っており、物理的な処理の過程で出来たミスとは考えられません。
赤……一般に負のエネルギーです。
小さな光点……強い霊体です。
色の感じからも判断して……
結論……祟りじゃーーっ!
ちょうど写真を見終わった頃、大輔が友人の榎本君を連れて現れました。
そして、私がテーブルの上の写真を片付けようとすると……
「何写したの?」
「お化け……じゃ」
「へぇーー、どれ?見せて……家?……お化け屋敷?」
そのうち、私と大輔とのやりとりを見ていた榎本君が身を乗り出してきました。
「見せてもらっていいですか?」
彼が写真を捲っている間に、大輔が彼について教えててくれました。
学生の頃の剣道部の仲間だそうですが……何と彼は霊感が強く、それを見込まれ、密教系の寺院でアルバイトをしている……という変り種だそうです。
彼によると、
「こういう赤いのって、神仏の罰てぇことがあるんです。強いなあ……うかつなことは言えないので、これ、2・三日預っていいですか?師匠に相談して見てもらいます。僕だったら、ただですから……」
ネガがあるので茅野君には焼き増して見せればよい、ということで、私は例のカットの他、数枚を榎本君に預けました。
榎本君は遅くまで飲み、その日は一泊して帰りましたが、大輔は馬場君の家に興味を示し、翌朝……
「今日、茅野さんと行くんだろ?俺、明日も休みだからつきあうよ」と言いだしました。
「あぶねぇぞ……憑かれるぞぉ~」
「武道やってるからかも知れないけど、おれ、そんなの平気だよ」
約束の正午に茅野君が現れ、私たちは三人で馬場宅へ向かいました。
私は例の猫が気になっていたので、途中、鰹節のパックを買っていきました。
馬場君宅へ着くと、ちょうどバンドの練習中でした。
すぐに終わると言うので、待つ間に建物の周囲を調べることにしました。
林が切り開かれ、宅地として分譲された場所のようでは在りましたが……近くには古そうな農家が点在しています。
「わざわざ木を切らなくても農地があるのになぁ」
私はだんだん土地の成り立ちが気になり出しました。
そして、しばらく歩き回るうち、「ん?水の気配がする……」
池か井戸か……溜まった水のようです。
場所は限定できませんが、どこかにあったと思われます。
そのうち馬場君宅が静かになり、女の子(船井さん)が呼びに出てきました。
中へ入ると、まず使わない皿を二つ貸してもらい、一つには水を入れ、もう一つには鰹節をのせました。
猫の気配がもっとも多い階段の下に、それらを置きました。
そして、しゃがんで手を合せると、「ここにとどまるな、去りなさい……」と念じました。
それから五分位後でしょうか……練習室でお茶を飲んでいると、廊下の方から、「ニャン」という鳴き声がしました。
「また猫がはいってきたか?鰹節狙ってるんだろう」
馬場君が立ち上がって、廊下を覗きました。
「ありゃ、いない。今ないたよなぁ……」
馬場君が首をかしげながらもどり、また元の雑談になりました。
そしてその後、猫の気配はぱったりと途絶えました。
ところが、この猫供養が、本体をつついたようです……
さて、三人でキッチンへ……
六畳の広さがあるダイニングキッチンでしたが、だれもそこで食事を取らないため、テーブルなどの家具もなく、広々としていました。
まずは写真撮影……
「ん?なんだぁあれは……」
柱の上部に、貼っていた紙を剥がしたあとがある……きちんとはがさずびりびりになって、中央部が残った状態です。
黄ばんでいて古そう。
しかも、そこだけでなく、部屋の四方に同じものがある……
御札で何かを封じた……しかし破れた……
最も剥がれていないものに近寄って見てみると、真ん中が妙に黒い……
絵?……黒犬。御嶽山か……?
「足がちくちくする……いるな」
私は茅野君へ向かって、「何か感じない?」
「何か足がひりひりするよ」
「そう……俺と同じだね。どの辺がひどい?」
「この流しの前のあたりかな」
「そうだろう……」
またしても意見が一致。
それまで黙していた弟の大輔が口を開きました。
「すごい……殺気がある。目を閉じると、今にも誰かが斬りかかって来そうな気配があるよ。それに、昔痛めた腰が痛くなった。弱いところをつついて来るみたい。この感じ……修学旅行で関ケ原へ行った時以来だな。普通は俺、こういうの平気なんだけど……ここは別だよ。何がいるんだぃ?」
「ここで「見る」と危ないな。帰ってからな」
私は、これは猫のようなわけには行かないな……無理だなと思い、馬場君に転居を勧めることにしました。
そして、私がもう二十三枚写真を撮ろうとすると、茅野君が「何か気持ちが悪くなりそうだから、向こうで御茶飲んでるね」と言って台所をでました。
「俺もそうするよ」
大輔も同じことを言いだしたので、私も出ることにしました。
練習室へ戻ると、馬場君が横になって寝ていました。
「明け方までかかってバンドスコアを書いたって言ってたからね。
でも、何か安眠してるようではないみたいね」
船井さんがタオルケットを馬場君にかけながらつぶやきました。
しばらくすると、うつ伏せの馬場君がうなされ始めました。
なにやら寝言で、「うん、うん」といっています。
「あれ?」
よーーく馬場君の方を見ると……何か気配があります。
彼の上に、影の様なモノがのっているようです。
私は茅野君に、「どう思う?」と意見を求めました。
「これ、金縛りじゃぁないの?押さえ付けられてんのかな?」
茅野君の直感は当てになります。私は確信しました。
「馬場君は、意思が強く、行動力もあり、覚醒時は強い……したがって、疲れてうとうとしている様な弱い時につけこんで憑依してくるんだ」
船井さんが「起こそうか……」と、馬場君の肩をゆすりました。
でも起きません。相変わらずです。
「あっ、ちょっと待って、もし意識が飛んでいたらマズイ。帰還に失敗するかも……無理に起こさないで」
私は、強く揺すろうとした船井さんを制しました。
その時、茅野君が……
「あれぇ……何か動いたよ。馬場君の背中の上……」と言い出しました。
そして馬場君の背中の上、30cmほどのところに、手をもって行こうとして……
「おーーーっ」
彼は、あわてて手を引っ込めました。
「ああ、ぞっとした……ちょっと、やってみなよ」
私にも促します。
なんと、茅野君にも見えたのです。
「やばいな。俺たちも影響をうけてるな……」
私はそう思いながらも、彼に倣いました。
そおーっと手を出す。
動いている影の輪郭を抜け、突っ込む……ひんやりとしています。冷蔵庫に手を入れたときのようです。
それでもヤツは動こうとしません。
そおーっと手をひっこめる。
冷たさは消えます。ヤツはうごきません。
「ねっ、冷たいだろ?」
と、茅野君が同意を求めてきました。
「隙間風なんか通ってないよね……やっぱり居るんだね」
彼はいつになく真顔です。
私は乗っているヤツがいまだ退こうとしないので、除霊九字を切りました。
そしてそれが効いたのか、ヤツの気配は消えました。
いや、一時的に退いただけですが……切った後、馬場君を揺すると、彼はすぐに目を覚ましました。
起きるなり彼は、
「ああーーっ、疲れた。おれ、うなされてなかった?揺すったでしょ。分ったんだけど、夢がさめないんだ。これで四回目かな。同じ夢見たのは……二階じゃ見たことなくって、いつもここで寝た時にだけ見るんだ。おれ、何か寝言を言ってた?」
と、目をこすりながら一気に話しました。
「うん、うん……っていってたよ」
船井さんが答えると、
「そうか?おれ、うんう……って……自分では首を振ってたつもりなんだけどなぁ……聞いてもらえる?」
そう言って、馬場君は夢について語り始めました。
馬場君が見た夢の要旨は次のとおりでした。
気がつくと座敷に座っている。
広い座敷で三〇畳ほどはある。電燈もなく、造りも古い。時代劇のセットのようである。
しばらくすると少女が現れる。五、六才で可愛らしい。
赤っぽい振り袖を着ている。七五三参りに行く姿のよう。髪もキチンと結ってある。
時代劇でなら、武家の娘という役がら。
少女が、「おにいちゃん、あそんで」とせがむ。
遊んであげたいが、自分はここを動いてはならない。動くと帰れなくなるかも知れない……という不安感がある。
そこで、少女に「外で遊んできなさい」と勧める。
しかし聞き分けない。
「あそんで。あそんで」と繰り返しせがむ。
しかたがないので、少しだけこの場所で……と思うと、それを察したのか少女はニコッとして、持っていたお手玉を差し出す。
さて、どうしようかな。そう考えながら、受け取ろうとする。
と、その時、座敷の奥の方から、「遊んでいてはイケマセン」という母親らしき声が響く。
その途端、少女の笑顔は消える。
蒼白となり、自分(馬場君)の陰に隠れようとする。
「呼んでるよ。行かないと叱られるよ」と言うと、少女はおびえ始め、今にも泣き出しそうである。
そしてついに、母親が座敷のはずれから姿を現す。
和服を着込み、すらっとしている。
初めは遠くではっきりしないが、近付くにつれ、綺麗な顔だちであることがわかる。
優しそうな母親じゃないか。そう思って後を振り向くと、少女は消えている。
あれ?不思議に思いながら、母親の方を向く……
先ほどの顔だちはかき消え、なんと般若になっている。
恐怖に捕らわれ、にげなきゃ……そう思った時、夢からさめる。
馬場君が話を終えた時、バンドのメンバーが二階から降りてきました。
ライブの打ち合せに皆で出かけるそうです。
腰をあげて私たちも帰る支度をはじめると、天井から……いや、二階から、タッタッタ……と誰かが走り回る様な足音がしました。
全員聞こえたようで、一瞬、皆動きを止め、顔を見合せました。
「聞こえた?これで二度目だな?今、二階には誰もいないよなぁ」
馬場君が言うと、メンバー全員がうなずきました。
茅野君がすかさず、
「大人だとドスッドスッという足音になるから、あれは子供だな。
実際、二階で子供が走り回ると、あんな足音になるよ」
とコメント。
しばらく皆沈黙し、次の音を待ちましたが、もう足音は聞こえませんでした。
皆が出かけ、私たちも帰路につきました。
自宅へ戻ると、写真などをもとに背後関係を見てみました。
一階を歩き回っている「本体」は、千数百年前の怨霊です。
※何であるかは伏せておきます。土地へ縛られてはいますが、出張して動くこともあるのでうかつに波長があうと危険ですから。
本来はこの土地のものではなく、因縁を背負った不幸な一族に執り憑いた状態でやってきた悪霊のようです。
一族を惨死に追込みながら、強烈な結界を形成し、自らを土地に呪縛してしまった形となりました。
負の結界はその吸引力により、捕まえられるものは何でも取り込んでしまいます。
写真の中には、犠牲となった浮遊霊などが多数みられました。
そしてその中に、決定的な取り込みがあります。
ある時、気がおかしくなった住人がいて、とんでもない大変なことをしでかしてしまいました。
屋敷を増改築する際に道祖神が邪魔になり、なんと石仏を井戸に投げ込んでしまったようです。
現代ならまだしも、普通の昔の人がそんなことをするはずはありませんから、余程狂った状態だったのでしょう。
オマケにその井戸は、その後そのままの状態で埋められてしまいました。
榎本君が神仏の罰かも知れないと言っていましたが、正にその可能性は大です。
「本体」を核とする結界内で、井戸の石仏が新たな強い核と化し、いわば二重ブラックホールを形成していることになります。
例の少女は、これらの吸引にひっかかってしまった、もっと新しい一族のひとりです。
今から百数十年前のものだと思われます。
母親が怨霊にやられたため、苦しい目にあったようです。
病気になり他の場所で亡くなりましたが、念だけはここに残りました。
例の猫は、その娘が可愛がっていた猫です。
いずれにしても、浄化できるような代物ではありません。一日も早く転居すべきです。
私は電話で馬場君にその旨を伝えました。
しかし彼等は、転居の際に持ち金を使い果たしたらしく、すぐには越せないとのこと。
彼等も重なる不穏な現象に嫌気がさしていたが、お祓いなどでおさまるのならば……と思って、私に相談をもちかけたもようです。
私が「だめだ……」と告げると、「そうか、やっぱりね……」と納得し、出来るだけ頑張ってバイトをして金を貯め、急いで転居することを約束してくれました。
その後二ヵ月ほどで彼等は転居に至りますが、その間に随分と失うものがありました。
霊障が原因の人間関係のもつれです。
さて、私たちの方ですが、やはり霊障を免れることは出来ませんでした。
翌日の晩、榎本君から連絡がありました。次の様な内容です。
あの後バイト先へ行くと、師匠が彼の顔を見るなり「どこ行ってきたの!」ときつい口調で言った。
そして、彼を本堂へ連れて行くと、
「祓うからそこへ座って。自分の背後は見えにくいものだからなぁ」
といって除霊をしてくれた。
浮遊霊がついてくることはよくあるが、普通は寺に居るうちに自然に落ちてしまう。
わざわざ祓ってくれるのはめずらしいことである。
その後、「かなり危ないことに関わってるね。やめなさい……」と言うので、預っていた写真をみせ、知っていることを話した。
師匠の鑑定の結果は……
「お地蔵さまが抜魂をしないまま捨てられ埋っている。その下には水脈があり、お地蔵さまは泥にまみれている。その結果、この土地には仏罰がくだっており、その後、性質が逆転して怨霊の住み家と化した。
また、惨殺された者がおり、その殺傷因縁が凄じい。意識を飛ばしただけで、その怨霊が斬りかかってくる。ある部屋にお札が貼ってあるが、まったく効果なし。
命懸けで対峙すれば怨霊はなんとかなるかもしれないが、仏罰の方は手の施しようがない。ここに関わるのは命を捨てる様なものである。自分なら頼まれても絶対に拒否する。
出てきたもの憑いてきたものを、祓ったり追い返したりすること、即ち除霊は可能だが、浄霊は難しい。ましてや土地の浄化などとんでもないことである。そっとしておくしかない。障らぬ神に祟りなし。
一日も早く手を引かないと命にかかわる。日本で有数の祈祷師であっても、現状では無理だろう。そこ一帯を穿くり返して整地する覚悟があれば、可能性が見えなくもないが……
それにしても、わざわざ命をかけて浄化するメリットが見当たらない。それに、この土地がそのようになってしまったそもそもの原因は、日本史以前にまで遡る。もちろんそれを調べる必要性はない。この様なスポットは所々に存在するので気をつけよ。
しかしながら、この様な土地に引き摺り込まれたのには、やはり何等かの因縁がある。部外者にとっては考えようによってはいい経験だが、当事者つまり住人にとっては死への誘いである。因縁を自覚しないと、またどこかで引き寄せられるであろう。
引っ越しの際にはすべての家具に荒塩をふり、出来るだけ早期に除霊の祈祷を受けなさい」
というものである。
死人がでない内に、手を切ったほうがよい。
榎本君はこの他にも、自分の考えなどを教えてくれました。
この内容は茅野君にも伝えました。
そして、もう行くのはよそう……という話になったのですが、実際には問題が持ち上がり、一週間後、もう一度だけ足を運ぶことになります。
それはさておき……しばらくは悪影響が続きました。
私の自宅で最も頻繁だったのは、弟の部屋です。
誰も居ないはずなのに人の気配がする。ぼそぼそと話し声が聞こえたこともあります。
何等かの関連がある浮遊霊のようでした。
電灯をつけたり、「帰れ」と念じたりするとすぐに消えました。
週に一、二度そんなことがありました。
また、私が行(読経)をしていると、背後に気配がする……
しかも、鳥肌が立つような気配がする……ということが数回ありました。
これは「本体」(親玉)でなく、付属霊(手下)のようです。
気合いを入れて行を続けるとその内に消えました。
お帰り願っただけで、決して浄化しようとしたわけではありません。
この様な付属霊だけならなんとかなるのですが、手を出すと芋蔓式に出てきますから、いずれ「本体」と接触しかねません。
浄化などとんでもないことです。悪影響は茅野君にも及びました。
彼が仕事から帰ってうとうとしていると、自分が畳の上に座っている感じがしたそうです。
いやーーな感じだと思った時、周りの様子が見えてきました。
どうも、馬場君が語った夢の中に出てくるあの座敷のようです。
茅野君は、少女が現れ、やがて恐ろしい母親が出てくることを予想しました。
ところが……その気配はありません。
これは夢だから覚めなくては、しばらくそう考えているうち……
ついに……座敷の奥の方から近付いてくる足音が聞こえてきました。
般若面の母親か……
彼は筆舌し難い恐怖感を覚えたそうです。
しかし、現れたのは母親ではありませんでした。
「……!」
この時点で茅野君は、「それ」が「本体」であることを知りませんでした。
でも彼は見てしまったのです。「それ」を……
「それ」はだんだん近付いてきました。
彼は恐ろしさのあまり、「神よ仏よ……お爺ちゃん!」と助けを請いました。
「うわっ……!」
危機一髪、祈りは通じたようです。彼はなんとか夢から覚めることができました。
茅野君はすぐに私に連絡をくれました。
聞いてみると……
彼が話す特に「本体」の描写は、私が想像していたものよりリアルでした。
※その描写については、記述を控えます。ご容赦ください。
私が「それが本体だよ」と伝えると、彼は「げ!例の斬りかかってくるヤツ?マジかよ~」と、しばらく絶句してしまいました。
でも有難いことに、彼がこの夢を見たのはこれっきりです。
私の見解と茅野君の描写を合せると……オソロシイ……今でも思いだしたくないくらいです。
※実は、私自身が書くのを嫌がっているのです……
悪影響は身体にも現れました。
私自身では、妙に肩が重い、指先が痺れる、などの症状がでました。
もちろん、透き通った「お客さん」がその原因です。
普段なら弾き飛ばすし、乗ってきても振り落してしまうのですが、仕事帰りに電車で居眠をしていたり、疲れてうとうとしている時を狙ってくるので、つい背負ってしまいました。
このタイプは浮遊霊ばかりなので、落とすのは簡単……とは言っても、落とすまでは吐き気を伴った肩こりに悩まされます。
この肩こりがもとで体調を崩してしまうと、ヤツらの思う壷ですから、健康管理には妙に神経質になってしまいました。
また、めったに遭わない金縛りにも、その当時だけは続けて二十三度見舞われました。
弟の大輔には、昔痛めた腰の傷みが復活しました。十年以上前の症状の再発です。
彼には元々ある因縁があり、その影響で腰痛を患ったのですが、ヤツらはそこにつけこんできました。
弱点をつつき回すのは、ヤツらの常套手段です。
腰が痛いと言う大輔をうつ伏せに寝かせ腰を診ると、そこだけが吸熱されていました。
「お客さん」を祓い落とし、気の通りを促すと傷みが消える。
数日するとまた痛みだすので、自宅へ戻って私に気の流通を修復させる。
つまり、しばらくは痛んだり直ったりの繰り返しでした。
これは、皆があの土地と縁を切るまで続きました。
しかしながら、彼はそのことをきっかけにして、自分の弱点と因縁をはっきり認識したようです。
それ以来、彼はたいへん謙虚なものの考え方をするようになりました。
さて、茅野君ですが……
怖い思いをしたわりには、影響が最も軽かったようです。
軽い肩こりと鼻づまりで済みました。
彼には強い守護の力が働いているためです。
で、最後のお呼出……
馬場君宅へ二回目に行った一週間後のことです。
私の自宅へ茅野君が寄っている時に、大輔が榎本君を連れて帰宅しました。
当然、榎本君を囲んだ「お化け屋敷からの撤退」という臨時作戦会議になりました。
結論は、「影響下から離脱したら、綺麗さっぱり縁を祓い落とす」ということです。
そして、もう関わらないぞ……と決心した時、電話が鳴りました。
馬場君からの連絡でした。
「状況が悪化したのですぐに来てくれないか。家の中の様子も不穏だし、バンドが分裂の危機にあるんだ」とのこと。
もちろん、断るつもりでしたが、馬場君の頼みは強く……つまり断り切れず……
茅野君と私の二人で出かけることになりました。
大輔と榎本君は、何かの時に備えて待機です。
出発に際し、榎本君が警告をしてくれました。
「あるものが見えてて、それはとても危険なものです。
しかし、見間違い、勘違いをしやすいものなので、何であるかを言う訳にはいきません。言うとかえって危険です。
知らないで行けば、おそらく見た瞬間にそれだと気付きます。
それは動かない物体です。気をつけてください。
そうだ、よく効くお守りがあるから貸してあげましょう」
彼が言う物体が何であるかは、私にはわかりませんでした。
借りたお守りは茅野君が身につけ、私は水でシャワーを浴びて気を引き締め、夜九時ごろ車で出発しました。
「こりゃぁ、あの土地に呼び寄せられてるな。おいで~~、おいで~~って、手で招いてるみたいだな。たぶん馬場君も魅いられていて、俺たちを引き摺り込む手先になってるんだよ。何が危ないかって……そりゃぁ最も用心が必要なのは、行き帰りの車の運転だな。簡単に体を切り刻むとしたら、交通事故がいちばん手っ取り早い……」
そう話しながら、私は安全運転に集中しました。
助手席の茅野君も真顔です。
ときどき助言をしたりして、彼自身もハンドルを握っているつもりで注意を払ってくれました。
馬場君宅に近付くにつれ、緊張感が高まりました。茅野君も同感のようです。
彼の言葉を借りると、
「敵陣深く乗込んで行く……てぇのは、映画だとわくわくするんだが……違うんだよなぁ。背筋がぞくぞくするのは同じなんだが、緊張感がすごいね。神経がバリバリに張りつめてる。ずっと鳥肌が立ちっぱなしだよ」
といった感じでした。
そして、もう二、三分で到着……というところで通行止。
工事中につき迂回せよ、とのこと。
「ありゃぁ。よりにもよって、こういう時に工事しなくても……」
茅野君は不平をいいましたが、こういう時にこそこういった障害が出てくるものなのです。
「コの字型の迂回路が書いてあるよ。注意して行こう」
私は矢印のとおり、ハンドルを右に切りました。
順路に従って進むと、前方に交差点。迂回路を示した地図にあったとおり左折。
その先をもう一度左折すれば、いずれもとの道と交差するはずです。
300mほど進むと、舗装が跡切れ、砂利道になりました。
「あれぇーー。やばいかな」
私は警戒しました。
しかし、少し行くとまた舗装路に戻りました。
で、ほっとして前方を見ると……路肩に白い車が止っています。
嫌な感じがしたので、私はスピードを落とし徐行しました。
嫌な感じはさらに増しました。
「何か違うな、戻ろうか……」
私がそう言うと、茅野君も同意しました。
道幅が狭いので、Uターン出来る場所を探すと……
前方のその白い車の先は、少し広くなっているようです。
私はそのまま車をすすめ、白い車に4、5mの所まで近付きました。
そして、ライトを上向きにして車を照しだしました。
廃車のようです。フロントグラスが割れ、車体には蔦が絡んでいます。
そのとき、背筋をぞーーっと冷たいものが走りました。
「これは!」
近付かない方が良いようです。
私がブレーキを踏もうと思った瞬間、茅野君が「うわっ、ダメ!止って!戻ろっ!」
と叫びました。
茅野君も同じものを感じたようです。
「バックで戻るぞ!そっちの路肩、見てて!」
私は車を後退させ、そのまま砂利道を抜けました。
そして、舗装路にもどると道幅も少し広がり、なんとかUターンすることが出来ました。
来た道を逆に戻ると、途中で別の迂回路を見つけました。
未舗装なので路地と勘違いし、さきほどは見逃していたようです。
道を確かめていると、通行止の方から地元のものと思われる軽トラックがやってきました。
そして、その道へ入って行きました。
「それ、ついて行くぞ」
一分ほどついて走ると元の道へぶつかり、まもなく馬場君宅が見えました。
着くと、まず先ほどの道について馬場君に尋ねました。
図を書いて、例の廃車の位置を示すと……
「あれ?その道、高速道路にブチ当たって行き止まりのはずだよ。高速の壁とか、見えなかった?おれは、行ったことないけど……でもさぁ、その辺の道って、両脇が畑だったりするからな。路肩が崩れたりすると、ハマルかもなぁ……」
馬場君にはわからないようです。
すると、バンドのメンバーの後藤君が口をはさみました。
「その廃車の先……道……ありました?俺、バイクでそこの道に入り込んだことがあるけど、廃車で行き止まり……その先は薮になってたはずですよ。昼間だったから辺りもよく見えたし……でも、へんだなぁ、その廃車のところのおよそ10mだけが舗装、いや、アスファルトでなくコンクリート敷きだったな……あ、そうそう、近くに廃屋がありませんでした?見るからにお化け屋敷ってやつ……そうか、夜だと判らないか……でも、確かに嫌な感じの場所ですね。墓でもあるのかなぁ?」
私は榎本君の言葉を思い出し、電話を借りました。
「あ、大輔?榎本君と代って……あ、榎本君?もしかして、例の物体って車?」
「ええ、ありました?僕に見えたのは、白い車が止ってる所です。物凄い霊気があるから、近付くと捕まるかも……でも、すぐわかったでしょ。え?そんなに近くまで行ったのですか?わぁ……危なかったですね。そっちにいると、見る力が弱まるか曇るかするんで、気をつけて下さい。あえて言わなかったのはね、白い車ってどこにでもあるから、全部に気を取られると見落す可能性があって、かえって危険だと思ったからなんですよ」
残念ながら?この場所の真相はわかりません。
この後、確かめる機会がなかったからです。
また、そうしようとも思いませんでした。
馬場君宅と関係があるのは、間違いなさそうです……
霊障を受けないように気持ちをしっかりさせていたつもりですが、土地の邪気は強く捕まりかけたようです。
バンドの他のメンバーが夜食の買出しに出た後、馬場君が話し始めました。
彼が訴えたこの一週間の間に起った現象は、次のとおりでした。
① 三日前の雨の時、近くに落雷があり、その影響でシンセサイザーとシーケンサーのデータがとんでしまった。
特にシンセは完全に駄目になり、買い換えねばならない。
とりあえずはレンタルでしのぐが、余計な出費であり、引っ越し費の積み立てが滞る。
場合によっては、来月のライブを諦めねばならない。
② ギタリスト兼アレンジャーの葉山君が、郁恵さんとデキているが、その影響で音楽への熱意が別の方向へ向いている。
どうも、他のバンドに声をかけられているようだ。
※注:郁恵さんの写真があったので見せて貰ったところ、すごいすごい、なかなかの因縁持ちでした。
その内の不要な一枚をもらい受け持ち帰って、榎本君に見せたところ……
「この人の目……人間ではない……操られてますね」という感想が返ってきました。
あとで判ったことですが、馬場君宅を仲介したのは、郁恵さんに紹介された不動産屋でした。
③ 一階では寝ないので例の夢は見なくなったが、二階で寝ていると胸の上に重みがかかってくるようになった。
それほどの重みではなく、目を開けると消える。あの子供ではないか?
④ 蒲団を敷いた後しばらく一階に行き、用を済ませてもどったところ、蒲団の中に誰かが居たように感じた。
シーツを触ってみると、寝汗をかいた後のようにほのかな湿り気が残っていた。
⑤ 階段を上ったり下ったりする音が二度聞こえた。二回とも深夜二時ごろだった。
⑥ 家の周囲を歩き回ると、足を掴まれるような感触がして歩みが遅くなる。
ぼうっとしていると、いつの間にか足が釘付けなってしまい、はっと我に返るとその場に立ち尽くしていた。
……ということが、バンドのメンバーのそれぞれに数度ずつあった。
私は馬場君に、
「とにかく命にかかわることだから、引っ越しを第一優先しろ。死んでからでは音楽活動もできないぞ。ここにいる内は、全てが裏目裏目にまわるから何も成功しない。おれももうここには来ないぞ。来たら最後かもしれん。今度会うのはお祓いに行く時だからな」
と釘を刺しました。
そしてさらに三十分ほど引っ越しの際の諸注意をし、帰途につきました。
立ち去る際、家から10mほど離れたところで九字を切りました。
振返ると、例の立ち枯れの木が妙にゆらゆら揺れていました。
この後、二ヵ月を待たずに彼等は転居、つまり脱走に漕ぎ着けました。
幾らかは借金が残ったそうですが、大事に至らずに何よりでした。
しかし、バンドは解散しました。
葉山君は別のバンドへ参加し、馬場君とベーシストの後藤君は、新たなバンド結成へと動きだしました。
ここで気になることがあります……
葉山君と郁恵さんを除いた関係者全員が、わたしの目の前でお祓いを受けました。
しかし、その二人だけは別の所(神社らしい)に行って祓ったそうです。
その後、彼等とは縁がないので、きちっと切れたのかどうかはわかりません。
まあ、悪い噂も聞こえては来ないので、死んだりはしていないでしょう。
問題は、葉山君がどれほど郁恵さんに食われるか……です。
ナンマンダブ……
完!
この話の読後、よく周囲で「浮遊霊」が動くことがります。
ですが、それは大方この話とは関連がないものです。
意識を「相手」ではなく自分自身に向ければ、簡単に切れます。
言い方を変えれば、「気にしなければ消える」ということです。
しかしながら、一応気の弱い方のために……オマジナイを。
自分の気力を強める効果があります。
次の言葉を三回唱えるか、心の中で強く念じてください。
「ギャーテイ、ギャーテイ、ハーラーギャーテイ、ハラソーギャーテイ、ボージーソワカー」