昔、建築関係の仕事をしていた先輩が話してくれたことがある。
彼は住宅リフォームを専門にしていたが、請け負う現場の多くは、人が亡くなった後の部屋だった。いわゆる事故物件だ。自殺、孤独死、病死。理由は様々だが、共通しているのは、最後の時間をその空間が抱え込んでいるという点だった。
「現場に入ると、少しずつ何かを置いてこなきゃいけない気がする」
最初は冗談だと思った。だが彼は笑わなかった。
町外れの古いアパートで、首を吊った男の部屋を直したことがあるという。痕跡はほとんど残っていなかった。ロープの跡が鴨居に薄く残り、家具も片付けられていた。ただ、窓を開けても空気が動かなかった。
作業を終えたその日の夜、彼は帰宅してから、娘の名前がすぐに思い出せなかった。舌の先まで出かかっているのに、どうしても出てこない。翌朝には思い出したが、それ以降、現場から戻るたびに、何か小さなものが抜け落ちるようになったという。よく使う工具の置き場所、友人の電話番号、通い慣れた道の曲がり角。
「疲れだと思ってた」
次に請け負ったのは、室内で頸動脈を切った老人の部屋だった。壁紙の裏にまで血が染み込み、畳を剥がし、下地まで削る大掛かりな工事になった。清掃と補修を繰り返し、表面上は何事もなかったかのように整った。
だが、その現場が終わった頃から、彼は味を感じにくくなった。塩辛いのか甘いのか、判別に時間がかかる。医者に行っても異常は見つからない。
「別に困るほどじゃない。ただ、何かが少しずつ薄くなる」
決定的だったのは、海辺の別荘だった。
元の住人が二階からロープで命を絶ったと知ったのは、工事が終わってからだった。作業中、脚立に立った若い作業員が、ふと足元を見下ろして固まった。
「今、誰かいましたよね」
床には誰もいなかった。風もなかった。冗談半分に笑い合い、そのまま工事は続いた。
数日後、その作業員は原因不明の高熱で倒れた。三ヶ月後に退院したが、現場に戻ることはなかった。理由を聞くと、こう言った。
「天井を見上げると、どうしても高さが足りない気がするんです」
何が足りないのかは、自分でもわからないという。
その別荘の工事が終わった後、彼は自分の家の階段で立ち止まるようになった。上に上がる前に、一段目で必ず足が止まる。理由はない。ただ、そこから上は、誰かの高さに合わせて作られているような気がするのだと言った。
「俺は霊なんて信じてない」
そう前置きしてから、彼は続けた。
「でも、ああいう部屋を直していると、空間が少しずつ整っていく代わりに、俺の中のどこかが平らになっていく」
怒りや悲しみといった強い感情ではない。もっとどうでもいい、日常の輪郭のようなもの。夕焼けの色合い、米の匂い、娘の笑い声の高さ。そうした細部が、少しずつ曖昧になる。
事故物件はきれいに直せる。壁紙は張り替えられ、床は新品になり、臭いも消える。次の住人は、そこに何があったのか知らずに暮らす。
「でもな」
最後に彼は、私の部屋を一度だけ見回した。
「直す仕事をしてると、たまに思うんだ。この部屋も、誰かが何かを置いていった場所かもしれないって」
それが冗談なのかどうか、今でも判断がつかない。
あれから何年も経つが、私はときどき、自分の部屋で立ち止まる。階段の一段目や、鴨居の下で。
そこに何もないことを確認するために。
そして確認するたびに、何を確かめようとしているのか、うまく言葉にできなくなっていることに気づく。
(了)