アンティーク好きの彼女と骨董市を回るのは、ここ最近の週末の習慣だった。
俺は古着やファミコン目当て、彼女は古い玩具や置物。見る棚は違っても、同じ空気の中にいるのが楽しかった。
その日も一通り見終え、帰ろうとしたときだった。会場の外れ、解体寸前の倉庫のような店が目に入った。看板は錆びて読めない。
彼女は足を止めなかったが、俺が声をかけた。
「ちょっとだけ覗こう」
店内は狭く、湿った紙の匂いがした。棚は古本ばかりで、奥に小さなケースが一つあるだけだった。
彼女がしゃがみ込み、何かを拾い上げた。
黒い正二十面体。掌に収まる大きさ。
光沢はなく、吸い込まれるような質感だった。
「……これ、変」
変、と言いながら、彼女は目を離さなかった。
レジに持っていくと、店番の老人はそれを見た瞬間、わずかに視線を逸らした。
値札はない。老人は奥から古びた紙を持ってきて、それを俺たちに見せた。
読める言語ではなかった。ただ、三つの図形が描いてある。
多面体。
何かの頭部。
そして、水中の輪郭のようなもの。
「触れると、変わるらしい」
老人はそれだけ言った。
彼女が撫でた。
乾いた音がした。
一つの面が、わずかに持ち上がった。
俺たちは笑いながらそれを買った。
月曜の夜、彼女から電話が来た。
「動いた」
開口一番、それだった。
写真が送られてくる。
確かに変形している。だが、紙に描かれていた形とは微妙に違う。
火曜、また写真が来る。
今度は翼のようなものがある。だが昨日の写真と比べると、角度が違うだけでは説明がつかない。
「これ、昨日と形違くない?」
そう送ると、彼女はすぐ返信した。
『同じだよ』
写真を見比べる。
同じ、と言われれば同じに見える。
だが、何かがずれている。
木曜の深夜、彼女からの着信。
「三十秒おきに電話がくる」
表示は番号ではなく、文字だけ。
『彼方』
出ると、ざわめきのような音。
遠くで何人も同時に何かを話しているような、言葉にならない音。
「ねえ、リンフォンってさ」
彼女がぽつりと呟く。
「変形、順番じゃないかも」
金曜、彼女の家へ行った。
テーブルの上にそれはあった。
もう多面体ではない。
だが完成もしていない。
触れていないはずの面が開いている。
ぬらりとした質感に見えるのは、照明のせいかもしれない。
「昼にも電話きた。今度は声、聞こえた」
「何て?」
彼女は少し考えてから言った。
「出して、って」
俺たちはそれを新聞紙に包み、テープで巻き、ゴミ捨て場へ持っていった。
彼女は振り返らなかった。
数週間、何も起きなかった。
電話もない。夢も見ない。
彼女も笑うようになった。
俺も忘れかけていた。
三ヶ月後、会社の同僚が言った。
「この前、リサイクルセンターで変なの見ましたよ。黒い立体。触ったら気持ち悪くて」
その日の夕方、俺はそこにいた。
古道具の山の下から、新聞紙が覗いている。
破れ目から黒い面が見えた。
触れていない。
触れるつもりもない。
だが、店員が言った。
「それ、さっきまで向き違ったんですよね」
俺は何も言わなかった。
帰宅してから、彼女に電話した。
「似たの、あった」
沈黙のあと、彼女は言った。
「私のは、もうないよ」
「捨てたろ」
「ううん。なくなった」
その言い方が気になった。
「昨日、棚に置いてあったのに、朝見たら空だった。代わりにさ」
彼女は少し笑った。
「私の部屋、三十秒おきに音するの」
乾いた音。
カチッ。
そのとき、俺の部屋でも鳴った。
机の上。
何も置いていないはずの場所。
そこに、黒い影がある。
触れていない。
持ち帰っていない。
なのに、形が一つ、増えている。
それは熊でも、鷹でも、魚でもない。
名前をつける前の形だった。
今も、三十秒おきに鳴る。
音のたびに、何かが開いていく。
俺はもう確かめない。
ただ一つ、分かっているのは。
あれは、捨てられるものではなかったということだ。
そしてたぶん。
最初から、俺たちのどちらの物でもなかった。
――あなたの部屋にある黒い物も、いつからそこにありましたか。
[出典:183 本当にあった怖い名無し 2006/05/13(土) 13:10:26 ID:d6nOfoGU0]
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