四国の大学で地質学の卒論を書いた。
特定地域の地層構造を調べ、地質図を作成するのがテーマだった。何度も山に入り、露頭を探してはフィールド帳に記録し、自分の歩数とコンパスでルートを引き直す。国土地理院の地図が多少ずれていても、現地で補正すれば迷うことはない。少なくとも、そう思っていた。
あの日も朝八時に山へ入った。川沿いを上流へ進み、尾根を越え、盆地へ下る予定だった。二時間ほど歩いた頃、視界が急に開けた。小さな集落があった。
持参した地図には載っていない。
田んぼは手入れされ、家々は戸締まりされている。廃村ではない。それなのに、音がない。犬も鶏もいない。風すら通らない。自分の足音だけがやけに響いた。
押し車を押した老婆が現れた。挨拶すると、目を見開き、何も言わず家に消えた。そのとき、どこかで見られている気がした。集落全体がこちらを測っているようだった。
道端の家の電気メーターが目に入った。何気なく覗き、息が止まった。ケースの中身がない。機械が抜かれている。向かいの家も、その隣も同じだった。
集落は通電していない。
それでも田は青く、家は整っている。
山手へ進むと公民館のような建物があった。中からざわざわと人の声がする。横手に回ると、盛り土があり、白い紙人形が無数に立てられていた。割り箸に刺さり、風もないのに揺れている。
引き返そうとしたが、来たはずの道が見つからない。T字路に出たと思えば行き止まり。北へ向かえばまた公民館に戻る。盆地は閉じていた。
公民館の戸が開いた。出てきたのは小学生くらいの子供たちだった。無表情で、声を出さず、こちらを見ている。平日の午前中だ。
遅れて大人の男たちが出てきて、「なにしてる!」と怒鳴った。逃げた。田んぼを横切り、斜面をよじ登る。振り返ると、誰も追っていない。
高台から盆地を見下ろした。外へ通じる道が一本もない。公民館の裏手には、紙人形よりも背の高い白いものが並んでいた。十字架のように見えたが、距離があって形は判然としない。
どうにか車まで戻り、役場で最新の地図を確認した。該当する集落はないと言われた。自分のルートを説明すると、そんな盆地は存在しないと言われた。
フィールド帳を見返した。確かにその集落を記録している。メーターのことも書いてある。だが、地図に引いたルートは、盆地を迂回している。通過していないことになっていた。
そのまま卒論を提出した。地質図は問題なく受理された。盆地も集落も、図には描いていない。
一年後、後輩が同じ地域で調査をすることになり、相談を受けた。何気なく、広い盆地はなかったかと尋ねた。
「ああ、ありました」と後輩は言った。
「一面が更地で、白い便器が大量に捨てられていました。全部トルコ式です。山の上から見ると、白い穴が点々と並んでいるんです。意図的に配置されたみたいに」
思わず、紙人形の数を思い出した。フィールド帳を開き、数え直した。あの日、無意識にメモしていた数字と一致していた。
後輩は続けた。
「ただ、変なんですよ。地図にはその盆地、ちゃんと載っているんです。先輩の地質図にも」
そんなはずはない。
卒論の控えを取り出した。自分の描いた地質図を広げる。そこには、はっきりと盆地が描かれている。中央に四角い建物の記号。周囲には、白抜きの小さな印が規則正しく並んでいる。
凡例には、その記号の説明がない。
見覚えがある。
あの電気メーターの、空になったケースの形だった。
[出典:303 本当にあった怖い名無し 2006/12/30(土) 05:22:55 ID:KBX3g9GS0]