これは、大学時代の友人Aから聞いた話だ。
Aの祖母は、数年前から認知症が進んでいた。
徘徊するわけでも、大声を出すわけでもない。ただ、古びた大きな籐の椅子に横たわり、厚着をしたまま、赤ん坊のような顔で一日を過ごしていた。

Aが帰省するたびに「婆ちゃん、元気?」と声をかけると、祖母はいつもにこにこと笑って、「ありがとうございます」と返した。
それは孫に向けた返事ではなかった。誰が相手でも同じように笑い、同じように頭を下げる。Aも家族も、祖母はもう何もわからなくなっているのだと思っていた。
それでもAは、祖母のことを嫌いではなかった。
ある年の正月、Aの父方の親戚が久しぶりに集まることになった。

Aの父は長兄で、普段は親戚づきあいに淡白な人だったが、その年だけは妙に機嫌がよかった。イギリス赴任から末弟が帰ってくるからだと、前日から酒や料理の準備をしていた。
末弟の名はシゲルといった。
祖母は座敷の上座に置かれた籐の椅子に寝かされていた。ふだん使っている椅子を、そのまま宴席に運んできたのだという。座卓が二つ並び、親戚たちがその周りを囲んだ。子供たちは廊下を走り、大人たちは酒を注ぎ合い、Aの父はやけに大きな声で笑っていた。
途中、Aの父が亡くなった祖父の口まねをした。
「気をつけぇ!」
昔、祖父が子供たちを叱るときにそう言ったらしい。兄弟たちはそれを聞いて、手を叩いて笑った。シゲル叔父も笑っていた。
そのとき、Aは祖母の顔が変わったことに気づいた。
さっきまで柔らかく笑っていた口元が、きゅっと結ばれていた。目は半分ほど開いていて、座卓の下のどこかを見ている。唇だけが小さく動いていた。
「婆ちゃん、大丈夫?」
Aが声をかけても、祖母は返事をしなかった。
近くにいた従兄弟が、「疲れたんじゃないか」と言った。叔母の一人が「そろそろ寝かせようか」と言い、Aの母が立ち上がりかけた。
その前に、誰かが写真を撮ろうと言い出した。
せっかく久しぶりに集まったのだから、全員で撮っておこうという話になった。祖母を中心にして、子供たちは前にしゃがみ、大人たちはその後ろに並んだ。Aはカメラを渡され、少し離れたところに立った。
父は祖母のすぐ右後ろに立っていた。シゲル叔父は左端にいた。
Aはファインダー越しに家族を見た。
祖母だけが、笑っていなかった。
「はい、チーズ」
シャッターを押した瞬間、フラッシュが光った。
祖母の目が、急に見開かれた。
「シゲル」
その声は、Aの知っている祖母の声ではなかった。
低く、太く、はっきりしていた。
座敷の空気が止まった。誰かが笑いかけた顔のまま固まっていた。
祖母はゆっくりと腕を上げた。骨と皮だけのような指が、Aの父を指した。

「この男じゃ」
誰も動かなかった。
「父様を殺したのは、この男じゃ」
Aの父は、笑っていた口を閉じた。
祖母の目は、父だけを見ていた。認知症で、誰の顔もわからないはずの祖母が、そのときだけは間違えようのない目でAの父を見ていた。
「カワシマの藪で、父様をうっ殺して」
祖母の喉が、ごぼ、と鳴った。
「シゲルを捨てろ言うたんも、この男じゃ」
シゲル叔父の顔から血の気が引いた。
それから祖母は、同じ言葉を何度も繰り返した。
「この男じゃ」
「人殺し」
「シゲル、許してくれ」
「父様は藪におる」
「この男じゃ」
Aの母が祖母に駆け寄り、叔母たちも慌てて体を押さえた。祖母は見たこともない力で椅子の肘掛けをつかみ、Aの父を睨んだまま離さなかった。
Aの父は何も言わなかった。
違うとも、やめろとも、黙れとも言わなかった。ただ、祖母を見下ろしていた。怒っているようにも、驚いているようにも見えなかった。
祖母が奥の部屋へ連れていかれるとき、最後にもう一度だけ振り返った。
「人殺し」
その声は、もうかすれていた。
その夜の宴会は、そこで終わった。
親戚たちはろくに挨拶もせず帰っていった。子供たちは大人に急かされ、車に押し込まれた。Aも何かを聞ける空気ではなかった。
ただ、Aは一つだけ覚えているという。
祖母が運ばれたあと、父が籐の椅子の前に立っていた。誰も座っていない椅子を、しばらく見下ろしていた。背もたれの籐が少し切れて、ほつれたところが何本も外へ飛び出していた。
翌日、Aが母に聞くと、母は最初、「お婆ちゃんの昔の記憶が混ざっただけ」と言った。
それでもAが食い下がると、母は声を落として、少しだけ話した。
祖母には、Aたちの知る祖父と結婚する前に、別の夫がいたという。村の地主だった人で、戦後すぐに亡くなった。死んだ場所は、カワシマと呼ばれる藪だった。
鉈のようなもので殺されていたそうだ。
犯人は見つからなかった。
その後、祖母は今の家に嫁ぎ、連れていた幼い子供はどこかへ預けられた。誰の子だったのか、なぜ預けられたのか、Aの母は詳しく知らないと言った。
「昔のことだから」
母はそう言った。
Aが父に聞こうとすると、母は少し強い声で、「それはやめなさい」と言った。
その年の春、祖母は施設に入った。
家では「介護が難しくなったから」と説明された。実際、それは嘘ではなかったのだろう。祖母はもう立つこともできず、食事も一人では取れなくなっていた。
ただ、Aはその後、一度も祖母に会わせてもらえなかった。
シゲル叔父は、それ以来正月に来なくなった。
親戚が一堂に会することもなくなった。
Aの父は、祖母の言葉について一度も話さなかった。否定もしなかった。怒りもしなかった。まるで、あの正月そのものが家になかったことのように過ごした。
しばらくして、Aは押し入れの奥であのときのカメラを見つけた。
フィルムは入ったままだった。
母に現像していいかと聞くと、母は一瞬だけ黙り、「もう古いから写っていない」と言った。
それでもAが持っていこうとしたら、父が廊下の向こうから来て、カメラを取り上げた。
「いらん」
父はそう言った。
それだけだった。

数日後、カメラはなくなっていた。
祖母が座っていた籐の椅子も、いつの間にかなくなっていた。粗大ごみに出したのか、人に譲ったのか、誰も教えてくれなかった。
Aは大人になってから、一度だけカワシマの藪の場所を調べようとしたことがある。
母に聞くと、「そんな場所、もうない」と言われた。
父に聞くと、返事はなかった。
ただ、父はその日の夜からしばらく、居間で寝るようになったという。寝室ではなく、テレビを消した居間のソファで、明け方まで目を開けていた。
Aは言っていた。
「婆ちゃんが本当のことを言ったのかどうかは、今でもわからない。ただ、あの日の父は、驚いた顔をしなかったんだ」
それから少し黙って、こう続けた。
「あの写真、もし残っていたら、見たい気もする。でもたぶん、写っていたのは婆ちゃんの顔じゃない。父の顔だったと思う」
Aの家では今も、正月に集合写真を撮らない。
親戚が集まることもない。
ただ、Aの母だけは、毎年正月になると、座敷の上座に座布団を一枚だけ置くという。
誰も座らない。
けれど、そこだけは毎年、最初から空けてあるらしい。
(了)