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カワシマの藪 rw+2,979-0509

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これは、大学時代の友人Aから聞いた話だ。

Aの祖母は、数年前から認知症が進んでいた。

徘徊するわけでも、大声を出すわけでもない。ただ、古びた大きな籐の椅子に横たわり、厚着をしたまま、赤ん坊のような顔で一日を過ごしていた。

Aが帰省するたびに「婆ちゃん、元気?」と声をかけると、祖母はいつもにこにこと笑って、「ありがとうございます」と返した。

それは孫に向けた返事ではなかった。誰が相手でも同じように笑い、同じように頭を下げる。Aも家族も、祖母はもう何もわからなくなっているのだと思っていた。

それでもAは、祖母のことを嫌いではなかった。

ある年の正月、Aの父方の親戚が久しぶりに集まることになった。

Aの父は長兄で、普段は親戚づきあいに淡白な人だったが、その年だけは妙に機嫌がよかった。イギリス赴任から末弟が帰ってくるからだと、前日から酒や料理の準備をしていた。

末弟の名はシゲルといった。

祖母は座敷の上座に置かれた籐の椅子に寝かされていた。ふだん使っている椅子を、そのまま宴席に運んできたのだという。座卓が二つ並び、親戚たちがその周りを囲んだ。子供たちは廊下を走り、大人たちは酒を注ぎ合い、Aの父はやけに大きな声で笑っていた。

途中、Aの父が亡くなった祖父の口まねをした。

「気をつけぇ!」

昔、祖父が子供たちを叱るときにそう言ったらしい。兄弟たちはそれを聞いて、手を叩いて笑った。シゲル叔父も笑っていた。

そのとき、Aは祖母の顔が変わったことに気づいた。

さっきまで柔らかく笑っていた口元が、きゅっと結ばれていた。目は半分ほど開いていて、座卓の下のどこかを見ている。唇だけが小さく動いていた。

「婆ちゃん、大丈夫?」

Aが声をかけても、祖母は返事をしなかった。

近くにいた従兄弟が、「疲れたんじゃないか」と言った。叔母の一人が「そろそろ寝かせようか」と言い、Aの母が立ち上がりかけた。

その前に、誰かが写真を撮ろうと言い出した。

せっかく久しぶりに集まったのだから、全員で撮っておこうという話になった。祖母を中心にして、子供たちは前にしゃがみ、大人たちはその後ろに並んだ。Aはカメラを渡され、少し離れたところに立った。

父は祖母のすぐ右後ろに立っていた。シゲル叔父は左端にいた。

Aはファインダー越しに家族を見た。

祖母だけが、笑っていなかった。

「はい、チーズ」

シャッターを押した瞬間、フラッシュが光った。

祖母の目が、急に見開かれた。

「シゲル」

その声は、Aの知っている祖母の声ではなかった。

低く、太く、はっきりしていた。

座敷の空気が止まった。誰かが笑いかけた顔のまま固まっていた。

祖母はゆっくりと腕を上げた。骨と皮だけのような指が、Aの父を指した。

「この男じゃ」

誰も動かなかった。

「父様を殺したのは、この男じゃ」

Aの父は、笑っていた口を閉じた。

祖母の目は、父だけを見ていた。認知症で、誰の顔もわからないはずの祖母が、そのときだけは間違えようのない目でAの父を見ていた。

「カワシマの藪で、父様をうっ殺して」

祖母の喉が、ごぼ、と鳴った。

「シゲルを捨てろ言うたんも、この男じゃ」

シゲル叔父の顔から血の気が引いた。

それから祖母は、同じ言葉を何度も繰り返した。

「この男じゃ」
「人殺し」
「シゲル、許してくれ」
「父様は藪におる」
「この男じゃ」

Aの母が祖母に駆け寄り、叔母たちも慌てて体を押さえた。祖母は見たこともない力で椅子の肘掛けをつかみ、Aの父を睨んだまま離さなかった。

Aの父は何も言わなかった。

違うとも、やめろとも、黙れとも言わなかった。ただ、祖母を見下ろしていた。怒っているようにも、驚いているようにも見えなかった。

祖母が奥の部屋へ連れていかれるとき、最後にもう一度だけ振り返った。

「人殺し」

その声は、もうかすれていた。

その夜の宴会は、そこで終わった。

親戚たちはろくに挨拶もせず帰っていった。子供たちは大人に急かされ、車に押し込まれた。Aも何かを聞ける空気ではなかった。

ただ、Aは一つだけ覚えているという。

祖母が運ばれたあと、父が籐の椅子の前に立っていた。誰も座っていない椅子を、しばらく見下ろしていた。背もたれの籐が少し切れて、ほつれたところが何本も外へ飛び出していた。

翌日、Aが母に聞くと、母は最初、「お婆ちゃんの昔の記憶が混ざっただけ」と言った。

それでもAが食い下がると、母は声を落として、少しだけ話した。

祖母には、Aたちの知る祖父と結婚する前に、別の夫がいたという。村の地主だった人で、戦後すぐに亡くなった。死んだ場所は、カワシマと呼ばれる藪だった。

鉈のようなもので殺されていたそうだ。

犯人は見つからなかった。

その後、祖母は今の家に嫁ぎ、連れていた幼い子供はどこかへ預けられた。誰の子だったのか、なぜ預けられたのか、Aの母は詳しく知らないと言った。

「昔のことだから」

母はそう言った。

Aが父に聞こうとすると、母は少し強い声で、「それはやめなさい」と言った。

その年の春、祖母は施設に入った。

家では「介護が難しくなったから」と説明された。実際、それは嘘ではなかったのだろう。祖母はもう立つこともできず、食事も一人では取れなくなっていた。

ただ、Aはその後、一度も祖母に会わせてもらえなかった。

シゲル叔父は、それ以来正月に来なくなった。

親戚が一堂に会することもなくなった。

Aの父は、祖母の言葉について一度も話さなかった。否定もしなかった。怒りもしなかった。まるで、あの正月そのものが家になかったことのように過ごした。

しばらくして、Aは押し入れの奥であのときのカメラを見つけた。

フィルムは入ったままだった。

母に現像していいかと聞くと、母は一瞬だけ黙り、「もう古いから写っていない」と言った。

それでもAが持っていこうとしたら、父が廊下の向こうから来て、カメラを取り上げた。

「いらん」

父はそう言った。

それだけだった。

数日後、カメラはなくなっていた。

祖母が座っていた籐の椅子も、いつの間にかなくなっていた。粗大ごみに出したのか、人に譲ったのか、誰も教えてくれなかった。

Aは大人になってから、一度だけカワシマの藪の場所を調べようとしたことがある。

母に聞くと、「そんな場所、もうない」と言われた。

父に聞くと、返事はなかった。

ただ、父はその日の夜からしばらく、居間で寝るようになったという。寝室ではなく、テレビを消した居間のソファで、明け方まで目を開けていた。

Aは言っていた。

「婆ちゃんが本当のことを言ったのかどうかは、今でもわからない。ただ、あの日の父は、驚いた顔をしなかったんだ」

それから少し黙って、こう続けた。

「あの写真、もし残っていたら、見たい気もする。でもたぶん、写っていたのは婆ちゃんの顔じゃない。父の顔だったと思う」

Aの家では今も、正月に集合写真を撮らない。

親戚が集まることもない。

ただ、Aの母だけは、毎年正月になると、座敷の上座に座布団を一枚だけ置くという。

誰も座らない。

けれど、そこだけは毎年、最初から空けてあるらしい。

(了)

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