あの靭帯を切った日から、左足だけが他人のものみたいに冷たい。
痛みはない。動かそうと思えば動く。けれど、足首の奥に、何か余計なものが入り込んでいる感じが消えない。骨と骨の隙間に、指を差し込まれているような感覚だ。
それが怪我の後遺症だと思っていた頃、昼休みに何気なく眺めていたネットで、東京の将門の首塚の話を知った。
大手町に役所を建てた途端、事故や不調が相次いだという有名な話だ。触れてはいけない場所がある。そこに、制度や合理性の名目で踏み込むと、形を変えて返ってくる。
読み終えた瞬間、うちの役所のことを思い出した。
市の職員として配属されたのは三年前。関東の外れにある、人口も少ない自治体だ。
役所の庁舎は古く、二年前に隣の敷地へ新庁舎が建てられた。予算がつき、耐震だのバリアフリーだの、正しい理由はいくらでも並んでいた。
建設予定地については、説明も一応あった。
江戸時代、藩の重臣の屋敷があった場所だという。敷地の隅に古い石碑が残っていて、名のある家臣が処罰された、とだけ刻まれていた。処罰の内容も理由も書かれていない。そこから先は、記録が欠けているらしい。
新庁舎が完成し、私はそちらへ移った。
最初に怪我をしたのは広報課の佐野さんだった。
三階から二階へ降りる階段で、踏み外して骨折した。滑り止めも手すりもある場所だ。本人は「足裏の感覚が、一瞬抜けた」と言っていた。
次は清掃のパートの人。モップをかけていて足首をひねった。
その週のうちに、住民課の伊藤さんが駐車場で転び、膝を割った。
共通していたのは、誰も段差につまずいていないことと、「引かれた気がした」と言っていたことだった。
冗談半分で、誰かが「お祓いでもしたらいいのに」と言った。
その翌週、昼休み明けの廊下で、私が転んだ。
二階の直線廊下だった。歩いている途中、左足だけ床に沈んだ気がした。
次の瞬間、足首が内側に折れ、床に叩きつけられていた。誰かに足を払われた、という表現が一番近い。
診断は前十字靱帯断裂。
松葉杖での勤務が始まった頃から、庁舎の空気が変わった。誰も何も言わないが、歩く速度が揃い、階段では必ず手すりを掴むようになった。足元を見る癖が、部署を越えて広がっていった。
ある夜、忘れ物を取りに一人で戻った。
照明は落とされ、懐中電灯の光だけが机の間を動いた。
階段の踊り場で、視線を感じた。
見上げると、人影のような濃淡があった。形は定まらず、立っているのか、壁に染みているのかもわからない。瞬きをしたら消えた。
それ以来、夢に庁舎が出るようになった。
廊下を歩いている。走っている。逃げている。後ろから足音が迫る。振り返っても誰もいない。
目が覚めると、左足だけが冷え切っていた。
郷土資料館で司書と雑談をしたとき、新庁舎の土地の話を振ってみた。
司書は少し考えてから、曖昧に言った。
「処刑場だった、とは断定されていません。ただ……処刑場でなかった、という記録もないんです」
それ以上は語らなかった。
リハビリを終えても、左足の違和感は残った。
骨の間に、余っているものがある。自分のものではない感覚だ。たまに、内側から引っかかる。
今も市の公式サイトには、新庁舎の写真が載っている。
整った外観だ。だが、窓のひとつに、誰も写っていないはずの影が映り込んでいる。
あの建物は、何かを収めるために建てられたのではない。
踏み越えた結果として、そこにできてしまった器だ。
今も、何も知らずに階段を上る人がいる。
足元を見る癖がない人が、いる。
転ぶ順番が決まっている、とは思わない。
ただ、次に足を取られる理由は、もう用意されている。
[出典:492 :本当にあった怖い名無し:2012/06/12(火) 22:03:09.95 ID:gwiA5cGj0]