夜、薄闇を裂くようにして蛍光灯の明かりが街を汚していた。
寝付けず、喉も渇いて、近所のコンビニに向かった。午前二時過ぎ。車も人もまばらで、アスファルトの冷たさが靴底から伝わってくる。
交差点の角を曲がったときだった。突然、鋭いライトの眩しさと、耳を裂くような急ブレーキの音。何かがこちらに向かって来るのが見えた。跳ね飛ばされたのか、地面が回転し、視界が白く濁った。
それが、最後だった。いや、最後だと思った。
気がつくと、白い天井を見上げていた。病院だった。体が重く、口も乾いていたけれど、生きている実感だけは妙に鮮明だった。事故ったんだな、と理解して、重い体を引きずってベッドから降りた。
ナースコールも押せず、フラフラと廊下に出た。無人の病院は異様に静まり返っていて、遠くから機械の電子音だけが律動的に響いていた。
しばらく歩くと、見慣れた顔ぶれが目に入った。従兄弟の家族だった。叔母に叔父、従妹たちもいた。僕の事故を聞いて駆けつけてくれたのだろう。安心して近寄った。
「ありがとう、来てくれたんだね」そう言った。けれど、誰もこちらを見ない。まるでそこに僕がいないみたいに、家族だけで会話をしていた。
不安がこみあげてきた。何度も呼びかけたが、誰ひとり、僕に反応しなかった。そうこうしているうちに、耳にした言葉が凍りつかせた。
「明日、会社に連絡しておかないとね」
「香典、いくらくらいがいいかしら」
「まだ二十代だったのに、かわいそうに……」
「喪服、出しておいて」
足元が崩れる感覚だった。ああ、これは――僕の葬式の相談だ。
心臓が速く打ち始め、呼吸が荒くなった。逃げるようにその場を離れ、元いた病室に戻った。ドアを開けた瞬間、目の前の光景に凍りついた。
そこに「僕」がいた。いや、「僕の身体」が、機械だらけのベッドに横たわっていた。酸素マスク、点滴、心電図……見たこともない医療器具に囲まれ、まるで死体のようだった。
理解するのに時間はかからなかった。これは幽体離脱だ。僕の意識だけが肉体を離れ、さまよっている。
慌てて、自分の身体に戻ろうとした。倒れ込むようにベッドに重なり――その瞬間、また意識が途切れた。
目が覚めたとき、窓の外には朝の光が差していた。看護師が「良かった……」と涙を浮かべていた。医師は「峠は越えましたよ」と言った。一時は本当に危険な状態だったらしい。
でもね、本当に怖かったのは、あの車じゃない。
まだ死んでいないのに、すでに「死んだもの」として扱っていた従兄弟の家族だ。
涙のひとつも流さず、金のこと、服のこと、予定の調整ばかり。まるで長年飼った犬が死んだかのような、感傷と段取りのバランス。
あのとき、僕がまだ生きていると知っていたら、果たして、あんな言葉を口にしただろうか?
いや、たぶん、同じだったのだと思う。
人は、あまりに簡単に他人の死を処理する。
今も夢に見る。機械の音が鳴る病室。静まり返った廊下。家族の無表情。そして、黒い服。
生きているのに、死んでいたあの夜のことを。
(了)