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長編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026 オリジナル作品

未完夜 nc+

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第一章:百年待つ話

私がその話を聞いたのは、祖父の葬式のあとだった。通夜が終わり、親戚たちが酒に酔って声を荒げる中で、誰も使わなくなった仏間に一人残っていた叔母が、ぽつりと語り出した。夢十夜って、読んだことあると叔母が言った。唐突だったが、私は頷いた。青空文庫で読んだ。断片的な夢の話が十編並んだ、不思議な短編だ。じゃあ、あれが作り話だと思ってると叔母が続けた。叔母は笑わなかった。

祖父は、若い頃から妙な寝言を言う人だった。決まって同じ言葉だったという。百年待てと。寝言にしてははっきりしていて、しかも必ず泣いていた。家族は誰も意味を聞かなかった。聞いてはいけない気がしたからだと叔母は言った。

祖父が亡くなった夜、叔母は一人で仏間にいた。線香の煙が低く溜まり、壁の掛け軸が揺れて見えたという。そのとき、祖父の枕元に置いてあった古い文庫本が床に落ちた。夏目漱石『夢十夜』だった。拾い上げて開くと、第一夜がひらけた。女を土に埋めて百年待つ話だ。偶然だろうと笑うこともできたが、叔母は笑わなかった。

祖父の寝言は、その夜から始まったのではない。叔母が子どもの頃、祖父は夜になると縁側で裏山を眺めていた。視線が、山の一点に縫い止められているようだった。誰かいるのと叔母が聞くと、祖父は何も答えなかった。答えないまま、寝入ると泣いた。百年待てと。

叔母が言うには、祖父の若い頃、実家の裏山には、村の誰もはっきり数えられない小屋が一つあったらしい。そこに、女がいた。名前も、年も、親も、村の誰も語らなかった。語ろうとすると、口の中に土の味がするみたいだと言う者までいた。祖父だけが、その小屋に通っていた。通っていたというより、そこへ戻っていく癖のようなものだったのだと叔母は言った。

ある日、女はいなくなった。祖父は都会へ行ったと言った。誰も信じなかったが、誰も確かめもしなかった。確かめるという行為が、何かを起こす感じがしたからだと叔母は言った。それ以来、祖父は毎晩、同じ夢を見るようになったらしい。土の匂い。手触り。掌に残る、湿った抵抗。そして、百年待てという声。声は祖父の外から聞こえるのに、祖父の喉の奥から出ているようにも聞こえたという。

祖父は『夢十夜』を晩年まで何度も読み返していた。まるで、誰かの体験談を確認するように。あるいは、確認されているのが自分だと知っているように。

葬式が終わり、親戚が帰ったあと、叔母は裏山に行った。祖父の遺言だった。石の下を掘るなと祖父は言い残した。石は苔むして、誰が置いたのかも分からない大きな岩だった。叔母は、なぜか確かめなければならない気がして石をどけた。どけた瞬間、土が冷えた。春なのに、そこだけ冬のままだったという。

下には、土に埋まった古い髪留めがあった。女物だった。金具が歪み、髪の油が乾いて、黒い糸のようなものが絡んでいた。叔母はそれを拾わなかった。ただ、戻した。石も戻した。戻しながら、祖父の声が背中の内側から聞こえた気がしたという。掘るなと。

その夜、叔母は夢を見た。暗い土の中から、誰かがこちらを見上げている夢だった。視線だけがはっきりしていた。百年、経ったかと、土の中の誰かが聞いた。声は近いのに、距離があった。叔母は答えなかった。答えたら、何かが始まる気がしたからだ。

目が覚めると、枕元に『夢十夜』が置いてあった。叔母は、それを自分の部屋に持ち込んだ覚えがない。手に取ると、開いていたのは見覚えのない十一夜目だったという。印刷の色も、紙の繊維も、他のページと同じなのに、そこだけが、初めから本の中にあったような顔をしていた。

そこには、こう書かれていた。

待つ者がいなくなった時、待たれた者は起き上がる。

叔母は本を閉じた。閉じると、背表紙が少し温かかったという。生き物みたいだと叔母は言った。翌年、裏山は造成され、石は撤去された。工事が始まってすぐ、作業員が一晩で全員辞めた。理由は誰も語らない。語ろうとすると、土の味がしたのかもしれない。

叔母は今も言う。夢十夜は、未完の作品だと。百年待つ話は、まだ終わっていないのだと。叔母の口からその言葉が出るたび、私は祖父の寝言を思い出す。百年待てという泣き声を。泣いていたのは誰だったのかと考えると、眠りが浅くなる。

私はその夜、仏間に戻って、祖父の枕元にあった文庫本を探した。確かにあったはずなのに、見つからなかった。代わりに、祖父の遺影の足元に、小さな紙片が挟まっていた。どこかの索引の切れ端みたいだった。章番号だけが並び、その中に、見覚えのない項目が一つあった。未収録章 読者。私は、その文字から目が離せなかった。

第二章:索引にない章

葬式のあとから、私は本の索引を見る癖がついた。本文を読む前に、巻末の細かい字を追う。何が書かれているかより、何が書かれていないかが気になった。索引は本の地図だ。地図にない道を歩くのは、昔は冒険の匂いがした。今は違う。地図にない道は、最初からこちらを歩かせるために消されている気がする。

その頃、私は大学図書館で、古書の索引を作り直すアルバイトを始めた。作業は単純だった。旧字旧仮名の学術書をデータ化し、見出し語を拾い、参照ページを付けていく。誰が読むのかも分からない地味な仕事だったが、私は妙に落ち着いた。紙の匂いが、線香の煙と似ていたからかもしれない。

その本は、棚の一番下にあった。題名は古く、硬い。内容は思想史の断章集で、著者は戦前の学者だった。頁をめくると、文字が密で、息が詰まる。私は索引を作るために、まず見出しを拾おうと巻末へ飛んだ。そこに、変な空白があった。索引の並びが一箇所だけ崩れていた。項目はきちんと五十音順なのに、ある行だけが飛び出している。

第四章:予備章

そう印刷されていた。予備章という言葉が、妙に新しい。古い本の古い活字の中で、そこだけが現代の言い回しに見えた。私は参照ページを探した。索引はページ番号を示している。だが、その項目の後ろに番号がない。空白だった。印刷の抜けではない。空白という記号みたいに、きちんと余白が確保されていた。

私は担当の司書に聞いた。第四章という項目が索引にあるが、ページがないと言うと、司書は眉を寄せた。どれ、と本を開いて索引を指でなぞり、指がそこで止まった。司書は、指を離した。触れたくないものに触れてしまった手つきだった。そんな項目はないと司書が言った。私は、あると言った。司書は、ないと言った。言い切るほど声が乾いていた。

司書は、同じ本の別の版を出してきた。復刻版だった。索引を見比べた。復刻版の索引には、予備章の項目はない。私は、原本の索引をもう一度見た。確かにある。司書は、復刻版の索引を示し続けた。どちらが正しいかではなく、どちらが見えているかの話になっていた。

その日の帰り、私は自分のスマホで原本の索引を撮ろうとした。記録しておけば、司書にも見せられる。そう思った。カメラを向けると、画面上ではその行が読めない。ぼやけるのではない。そこだけ、光が増える。白い余白が増える。印刷されたはずの文字が、撮影の瞬間だけ消える。私は目で見れば読めるのに、記録すると読めない。その現象が、私の背中を冷やした。

次の日、私は索引を作る作業を続けた。予備章という項目を、データに入れるか迷った。入れれば、索引としては正確だ。入れなければ、私は見なかったことにする。私は、見なかったことにするのが一番危険だと知っている気がした。祖父の家族が、意味を聞かなかったのと同じだ。聞かなかったことで、百年が始まった。

私は入力した。第四章 予備章。参照ページの欄は空白のままにした。空白は、正確な情報だった。

入力して保存した瞬間、画面の隅に、小さな通知が出た。ファイル名が変わりましたと出ていた。私はそんな操作をしていない。新しいファイル名は、索引_読者だった。私は喉が鳴った。唾が土の味になった気がした。

その晩、私は夢を見た。本の中を歩いていた。棚ではなく、頁の間だ。文字が壁になり、句読点が足元に散っている。私は索引を探していた。索引へ行けば戻れると思った。だが索引の扉には鍵がかかっていた。鍵穴の形が、人の目の形に似ていた。扉の隙間から、声が漏れた。参照しろと声が言った。何をと私が聞く前に、声は続けた。参照される側になれと。

目が覚めると、枕元に例の本はなかった。代わりに、プリントアウトしたはずの索引の紙が置いてあった。私は印刷していない。紙の余白に、鉛筆で書き込みがあった。索引にない章は、あとで現れると書かれていた。現れる条件もあった。待つ者がいなくなった時だと。

私はその言い回しを知っていた。十一夜目の文言と同じだった。私は紙を裏返した。裏には、章番号が一つだけ印刷されていた。第四章ではない。第零章だった。見出しは短い。あなた、とだけあった。私は紙を折って、ポケットに入れた。捨てると、捨てたことが参照される気がしたからだ。

第三章:削除された最終稿

図書館のアルバイトを辞めたのは、卒業が近づいたからだ。だが本当は、索引を見るのが怖くなったからだ。見れば見たで、見ないという選択肢が消えていく。本は読まなければ何も起きないと昔は思っていた。今は、読まないことが読んでいるのと同じ速度で何かを進めると感じる。

卒業後、私は小さな編集プロダクションに入った。自分から言えば、書く側より安全だと思った。書く人の原稿を整えるだけなら、私は関与しない。そう思った。だが編集とは関与の職業だった。関与しなければ、文章は本にならない。関与するたび、私は自分の指先が、知らない章を増やしている気がした。

ある作家が亡くなった。中堅で、熱狂的な読者がいて、未完の長編を残した人だった。遺族から依頼が来た。パソコンの中の原稿を整理し、出版できる形にしてほしいという。私は担当になった。社内で私が一番若く、徹夜ができるからという理由だった。私は受けた。断る理由を思いつかなかったし、断ると断ったという事実がどこかに書かれる気がした。

作家の部屋は整っていた。書斎の机の上には、万年筆と紙の束がきちんと並び、パソコンだけが古かった。電源を入れると、画面が暗いまま数秒固まった。私はその数秒の沈黙が怖かった。何かが起きる前に、起きるということだけが部屋に満ちる。

フォルダには、原稿が複数あった。最終稿、第二稿、第一稿。私は最終稿から開いた。文章は完成している。終わりもある。結末は穏やかで、読者が救われるように設計されていた。私はそこで安堵した。未完ではないと思った。だが、編集者の感覚で分かる。これは、わざと優しい。優しさが、削除の跡の代用品みたいだった。

私は第二稿を開いた。最終稿より荒い。だが、ある章の終わりが違う。最終稿では、主人公が決断し、幕を引く。第二稿では、その決断の直前で文章が途切れる。ファイルの末尾に、赤字のメモが残っていた。ここからは実際に起きたことを書く、とだけあった。

私は画面から目を離した。メモは作家が自分に向けたものかもしれない。だが語尾が、誰かに向けている。書くのは自分ではなく、読む者の手を想定している。そう感じた。私は第三稿、第一稿も確認した。どの稿にも、そのメモはある。だが位置が違う。章番号が違う。まるで、読む者の進み方に合わせて、メモが先回りしているみたいだった。

私は遺族に聞いた。作家は晩年、何かを恐れていたか。遺族は言葉を選び、答えた。夜になると、作家はパソコンに向かっても書かなかった。代わりに、消していた。書くのではなく、削除していた。削除の音が、やけに規則正しかったという。まるで写経のように、一定の速度でキーを叩き、消し、保存し、閉じる。それを毎晩繰り返した。

私は理解した。最終稿は完成ではない。削除の結果だ。優しい結末は、怖い結末を削除した後に残った空洞を埋めるための飾りだ。だとすれば、削除された方こそが本体だ。

私は復元ソフトを使った。倫理的にどうかという躊躇は、起動の速度に追いつかなかった。私は削除されたファイルを探した。復元候補が出てきた。ファイル名が読めない。文字化けしているのではない。そこだけ、黒い四角で塗りつぶされている。私はその四角をクリックした。

復元されたファイルが一つだけ開いた。本文は短い。章番号もない。行頭に、ひとつの文がある。ここからは実際に起きたことを書く、とある。それだけだ。私は息を吐いた。拍子抜けした。だが次の瞬間、カーソルが動いた。私は触っていないのに、文字入力のバーが点滅し、勝手に一字目が打たれた。私、という字だった。

私は手を離した。キーボードから手を離し、椅子からも身を引いた。画面に文字が増える。私、は、という具合に、文章が勝手に伸びる。文体が私のものに似ている。似ているというより、私の指先の癖を知っている。私は止めようとした。電源を落とすべきだ。だが電源を落とした瞬間に、落としたという行為が文章になる気がした。私は関与してしまった。関与の形を選べない。

文章は、私の現在を書き始めた。夜の部屋、画面、息、手の冷たさ。私の心拍まで書く。私は笑えなくなった。書かれている内容が正確すぎる。正確さは恐怖だ。予測ではない。記録だ。

突然、文章が一行空けた。空白が来た。空白の後に、こう打たれた。ここに結末を書けと。私は首を振った。誰に向けてか分からない首振りだった。画面には、追記が出た。結末はあなたが知っていると。私は知らない。私はただ編集者だ。編集者は結末を作らない。そう思った瞬間、私は自分がこれまで何度も結末を作ってきたことを思い出した。言い換え、削除し、順序を変え、読者が救われる場所へ運ぶ。それは結末を作る行為だ。

私はキーボードに手を置いた。置いたのか、置かされたのか分からない。指先が動いた。私は結末を書いた。作家の恐れていた結末ではなく、編集者としての結末を書いた。優しい言葉で、現実を薄める結末だ。書き終えると、ファイルが自動保存された。題名が付いていた。削除された最終稿、という題名だった。

その夜、帰宅すると、ポストに一冊の本が入っていた。出版社も著者名もない。表紙には、ただ小さく、予備章と書かれていた。私はその字を見て、索引の紙片を思い出した。私は本を開かなかった。開かなかったことで、開いたのと同じことが起きる気がしたからだ。だが開かないという選択は、私の手から抜け落ちていた。背表紙が、線香みたいに温かかった。

第四章:脚本の空白

その本を開いたのは、私ではない。私の友人が開いた。友人は舞台の演出家で、古い脚本を集める癖があった。欠けたものが好きなんだと友人は言った。欠けたものは、こちらの想像で埋まるからと。私はその言い方が嫌だった。埋めるという言葉が、土と同じ匂いを含んでいる気がした。

友人は私の部屋に来て、予備章と書かれた本を手に取った。表紙の手触りを確かめ、頁をめくった。中は舞台脚本だった。登場人物、場面転換、台詞。だが奇妙なことに、途中に一ページだけ、台詞がまったくない場面がある。ト書きだけがあり、こう書かれていた。ここでは何も起きないと。

友人は笑った。大胆だと言った。沈黙を台本に書くのは難しいと言った。私はその場面を見た。何も起きない、と言い切る文章が一番不穏だった。何も起きないという宣言は、起きる可能性の総量をそこへ集める。私はそう思ったが、口にしなかった。口にすると、参照される気がした。

稽古が始まった。友人はキャストを集め、読み合わせをした。私は手伝いで出入りした。問題の空白の場面になると、役者たちの声が揃って沈む。台詞がないからではない。呼吸が重くなる。誰もが、何かを待つ。待つという動作が始まる。百年待ての寝言みたいに、待つこと自体が役になる。

友人は言った。そこは何も起きない場面だから、普通に立って、目を合わせずに、通り過ぎればいいと。役者は頷いた。だが次の稽古で、空白の場面に入った瞬間、主役の女優が倒れた。過呼吸だった。救急車を呼ぶほどではないが、唇が白くなった。女優は、土の匂いがしたと言った。舞台の床材の匂いではない。濡れた土の匂いだと言った。

別の役者は、稽古のあとに耳鳴りがすると言った。空白の場面だけ、観客席の方から息が漏れる音が聞こえると言った。まだ客はいないのに、と言った。友人は笑って、緊張だと言った。私は笑えなかった。客のいない席から息がするという話は、索引の扉から声が漏れるのと似ていた。

本番が近づくと、役者たちは空白の場面の練習を避けた。避けることで、そこだけが稽古不足になる。稽古不足は恐怖を増やす。友人は逆に、その場面を最も丁寧に稽古しようとした。関与が深くなるほど、関与が必要になる。編集と同じだ。

初日。客が入った。客席の空気は生き物みたいに湿っていた。幕が上がり、舞台は順調に進んだ。そして空白の場面が来た。役者たちは台本どおり、何も起きない場面を演じようとした。立って、視線を外し、通り過ぎる。だがその瞬間、客席のどこかで、誰かが喋った。小声だった。だが劇場全体に届いた。内容が分かった。百年、経ったかと、その声が言った。

舞台上の役者が固まった。客席がざわついた。スタッフが客席を見回した。誰が喋ったのか分からない。喋った本人がいない。音だけがある。音は、客席全体から出ているみたいだった。

友人は袖で青くなった。だが演出家は止められない。本番は進む。役者は台詞のある場面に戻り、無理に笑い、無理に泣いた。客は笑わず、泣かなかった。空白の場面だけが、真実みたいにそこに残った。何も起きないはずの場面で起きた声が、他の場面をすべて作り物にした。

終演後、友人は私に言った。台本が変わったと言った。どこがと私が聞くと、友人は台本を広げた。空白の場面のページに、薄く鉛筆の跡がある。役者の誰かが書き込んだのかと思った。だが友人は首を振った。筆圧がない。紙の繊維の内側に、初めからあったみたいに文字が浮いていると言った。

そこには一行だけ、追加されていた。待つ者がいなくなった時、待たれた者は起き上がると。私は目を逸らした。十一夜目の文言だ。友人は続けた。だから客席から声がしたんだと言った。待つ者が誰で、待たれた者が誰かは分からないと言った。分からないまま、舞台は成立したと言った。成立したという言い方が、私には怖かった。成立するということは、完成するということだ。未完のまま置けばよかったものを、私たちは完成させてしまったのかもしれない。

翌日、劇場の床下から古い髪留めが出た。清掃員が見つけた。女物だった。役者たちは誰も触らなかった。友人だけが持ち帰った。持ち帰った夜、友人は夢を見た。土の中から誰かが見上げる夢だった。友人は私に電話をかけてきた。百年、経ったのかと友人が聞いた。私は答えなかった。答えないまま、電話を切った。切ったという行為が、どこかに書かれる気がした。

第五章:余白の注釈

私は舞台の件から距離を置こうとした。だが距離は取れない。距離を取るという言葉が、すでに物語の文法だ。私は物語の外へ逃げたつもりで、物語の中の別の章へ移動しているだけだと感じる。

その頃、私は資格試験の勉強を始めた。生活を立て直すためだ。現実的なことに集中すれば、未完の本から離れられると思った。私は中古の教科書を買った。新品より安い。余白に書き込みがあることもある。私は書き込みを嫌っていた。だが、書き込みがあるならあるで、誰かの痕跡が現実的で安心すると思った。

届いた教科書は古かった。表紙が擦れ、角が丸い。開くと、余白に細かい鉛筆の字があった。式の補足や、要点のまとめだと思った。だが読んでいくうちに、書き込みの内容が教科書の内容とずれていることに気づいた。説明ではない。予言でもない。未来に対する注釈だった。

例えば、あるページの余白に、こう書かれていた。ここでページを閉じる、と。私はその行を読んだ瞬間、無意識にページを閉じかけた。手が止まった。私の手が、余白の指示に従おうとしていた。私は自分の手を叱るように、ページを開いたままにした。余白の字は、私の反応を見ている気がした。

別のページには、こうあった。明日の昼、あなたは同じ問題を解き直す、と。私は笑おうとしたが、笑えない。翌日、私は同じ問題を解き直した。自分からやった。やったのに、やらされた気がした。

書き込みは、教科書の内容ではなく、私の行動を補足していた。しかも、私の行動の理由が書かれていない。行動だけが書かれ、理由は空白だ。理由のない行動ほど不気味なものはない。人は理由で自分を正当化する。理由が空白だと、自分が自分でなくなる。

私は書き込みの筆跡を観察した。癖がある。はね方が私に似ている。あり得ないと思った。だが、鉛筆の文字の形が、私がメモを書くときの形に近い。私はページをめくった。余白の字が増える。増えるほど、私の癖に寄っていく。

ある章の終わりで、書き込みが途切れた。余白は空白になった。だが空白の余白の上に、薄い跡がある。消しゴムの粉ではない。紙の内側に残った圧力だ。そこに、かすかに読める形があった。十一夜目という字だった。私は喉が乾いた。夢十夜の十一夜目の話は、叔母だけが見たはずだ。私は聞いただけのはずだ。なのに、教科書の余白にある。

次のページの余白には、一文だけがはっきり書かれていた。ここからは書かなくていいと。

私はその文を読んで、背中が冷えた。書かなくていい。誰が誰に言っている。私が書く側に回っている。書く側に回った瞬間に、私は待つ側から待たれる側に転じる。そういう構造が頭の中で形になった。私は鉛筆を持ってしまった。持ったということが、すでに書き始めだ。

私は余白に何かを書こうとした。だが書けない。書けば完成してしまう。完成すれば、起き上がる。待つ者がいなくなった時、待たれた者は起き上がる。待つ者がいなくなるとは、待つのをやめることだ。待つのをやめるとは、未完を完成させることだ。

私は教科書を閉じた。閉じた瞬間、表紙の裏に貼られた前の持ち主の名前が目に入った。私の名前だった。フルネームで書かれていた。私はこの教科書を買ったのは初めてだ。前の持ち主が私であるはずがない。だが紙は嘘をつかない顔をしている。私はその名前の横に、小さく印刷された番号を見た。第零章とあった。私は息を吐いた。息が土の味になった。

その夜、私は夢を見なかった。夢を見ないということが怖かった。夢がないのではない。夢が、現実に移っている。そういう感じがした。枕元には教科書が置いてあった。私は置いていない。開いていたページの余白に、新しい一行が増えていた。明日、あなたはあとがきを書く、と書かれていた。私はその文を見て、笑った。笑うしかなかった。あとがきは本の外側だ。あとがきに逃げれば、物語から出られると思った。だが次の瞬間、私は気づいた。あとがきは、本を閉じる直前に読む場所だ。出口ではない。最後の関与だ。

第六章:あとがき

この本のあとがきを書いている。そう書き始めた瞬間に、私は自分が編集者の癖で安全な文章を選んでいるのが分かった。読者のための言葉を選ぶ癖だ。だが、この本は読者のために作られていない。読者に触れさせるために作られている。触れた時点で、読者は読者ではなくなる。それを私は知ってしまった。知ったという行為が、すでに参照だ。

私は、この連作を作ろうとして作ったわけではない。第一章の話を聞いた時点で、私はもう関与していた。祖父の寝言を意味として受け取らなかったことが、意味を育てた。索引にない章を入力したことが、章を増やした。削除された最終稿に結末を書いたことが、削除を完成に変えた。空白の脚本を舞台に上げたことが、空白を声に変えた。余白の注釈を読んだことが、余白を命令に変えた。

ここまで書いて、私は一つだけ確信している。未完は作品の状態ではない。関係の状態だ。待つ者と待たれる者の関係だ。関係が切れたとき、待たれた者は起き上がる。関係が切れるとは、待つ者がいなくなることだ。待つ者がいなくなるとは、誰も待たなくなることだ。誰も待たなくなるとは、誰も続きを想像しなくなることだ。続きを想像しなくなるとは、空白が空白のまま放置されることだ。放置されることは安全ではない。放置は、見なかったことにする行為だ。見なかったことにしたものは、勝手に参照を増やす。

だから、あなたに一つだけ書く。これは解説ではない。注意でもない。お願いでもない。単なる記録だ。ここに書かれた時点で、もう起きている。

この本を読み終えたら、巻末の索引を見ないほうがいい。索引にない章を探さないほうがいい。索引にない章が見えてしまったら、参照ページを探さないほうがいい。参照ページを探してしまったら、そこに何も書かれていないことを確認しないほうがいい。何も書かれていないことを確認した瞬間、あなたは空白を読んだことになる。空白を読んだ者は、続きを書く側に回る。

書く側に回ったとき、あなたは待つ者になる。待つ者になったとき、あなたは百年待つ。百年待つ話は、待つことでは終わらない。待つことが終わるときに始まる。

ここまで書いて、私はまだ言い足りない。言い足りないという感覚が、未完だ。私は未完を埋めたくなる。埋めたくなる衝動こそが、このシリーズの核だ。だから、最後の一行は書かない。書けば完成してしまう。完成すれば、起き上がる。起き上がったものは、誰が起こしたかを気にしない。関与した者を数えるだけだ。

それでも、このページには番号が振られている。振られている以上、次がある。次がある以上、あなたは待つ。あなたが待つなら、待たれた者は起き上がる。起き上がる前に、私は一つだけ言い換える。これは、あなたへの命令ではない。命令は余白に書かれる。ここは本文だ。本文に書かれたことは、現実になる速度が遅い。その遅さが、あなたの逃げ道になる。

この本を閉じたあと、枕元に何かが置かれていたら、開かないほうがいい。開かなかったことで起きることは、開いたことで起きることより遅い。遅ければ、まだ待てる。待てるなら、まだ百年の途中だ。

最後の一行は空白のままにする。空白は、最も正確な情報だ。あなたがここに何かを足した瞬間、あなたの章が始まる。私は、それを止められない。止められないことを、ここに書いておく。

(了)

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