体を壊したのは、パンじゃなかった。
「これ体に悪いから絶対食べない」
そう言っていた人間が、逆に体調を崩していった話だ。
四毒。
小麦、砂糖、植物油、乳製品。
ここ数年で一気に広まった言葉だ。
抜いたら治った、人生変わった、炎症消えた。体験談は山ほどある。
俺も最初は半信半疑だった。
転機は、ある医師の講演だった。
「思い込みが腸を壊す」
一瞬、意味がわからなかった。
だが調べ始めて、背筋が冷えた。
ノセボ効果。
プラセボの逆だ。有害だと信じるだけで、本当に症状が出る現象。
消化器領域では珍しくない。
特に過敏性腸症候群では、食品に対する強い予期不安が症状を増幅させることが確認されている。
脳と腸は直結している。
脳腸相関。これは比喩ではない。神経とホルモンで物理的につながっている。
「これ毒だ」
そう思いながら食べると、交感神経が優位になる。
コルチゾールが上がる。
胃酸分泌や腸の運動が乱れる。
腸管バリア機能が落ち、炎症反応が起こりやすくなる。
結果、腹痛、下痢、倦怠感。
そしてこう言う。
「ほらやっぱり悪いじゃん」
自己証明のループだ。
もちろん話は単純ではない。
本物のアレルギーやセリアック病は免疫学的疾患だ。
除去は必須で、精神論で片づけてはいけない。
だが問題はそこではない。
医学的必要性のない全排除。
恐怖駆動の極端な制限。
これがじわじわと体を削る。
オルトレキシア。
健康食への強迫観念。
極端な制限は、脂溶性ビタミン不足、カルシウム不足、エネルギー不足を招く。
女性なら無月経。
男性ならテストステロン低下。
慢性ストレスと栄養不足が重なれば、内分泌は崩れる。
興味深いのは、世界的に健康指標が高い地中海食だ。
小麦もオリーブオイルも乳製品も含まれている。
違いは何か。
食事を恐れていないことだ。
家族と食べる。
会話する。
ゆっくり噛む。
副交感神経が優位になる。
同じパンでも、罪悪感とともに食べるのと、笑いながら食べるのとでは、自律神経の反応が違う。
体は文脈に反応する。
ここで見落としがちな本質がある。
食品は善か悪かではない。
量と頻度と全体パターンの問題だ。
だが恐怖ビジネスは単純化する。
「これは毒だ」
「完全排除しろ」
二分法は拡散しやすい。
不安は売れる。
そして人は、恐れれば恐れるほど敏感になる。
体は防御モードに入る。
免疫は過敏になり、わずかな変化も「異常」として拾う。
本当に怖いのは、食品そのものではなく、
その食品に貼られた物語だ。
除去が必要な人はいる。
合わない人もいる。
だが全員に同じ思想を当てはめるのは危険だ。
俺が辿り着いた結論はこれだ。
食べ物が体を壊すことはある。
だが恐怖はそれを増幅する。
そして極端な思想は、どちらの方向でも身体に負荷をかける。
噂は半分本当だった。
体を壊すのは、小麦でも砂糖でも油でも乳でもない場合がある。
本当に体を壊すのは、
「毒だと信じきること」
その認知そのものかもしれない。
[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]