中学の頃から妙に歴史が好きで、気がつけば郷土史の古文書を集めるのが趣味になっていた。
五十九になった今でも、休日には高尾の古道や神社を歩き回っている。元警察官という肩書きよりも、物好きな歴史好きと呼ばれるほうが自分には似合っている。柔道も剛柔流も黒帯だが、強さを誇りたい気持ちはとっくになくなった。ただ、土地に残る声や痕跡を確かめることにどうしようもなく惹かれる。
それでも八王子城だけは避けている。理由を問われても、きちんとした説明はできない。ただ、あの場所の入口に立った瞬間、頭の奥に冷たい手を突っ込まれるような感覚が走り、喉がひりつくのだ。川の水が、ありえないほど真っ赤に見えたこともある。血のように濃く、鉄の匂いさえ鼻先を刺した。
職場の防災センターには毎年ふたりの新人が入ってくる。そのうちのひとりが八王子出身だと知り、ふとした雑談の中で八王子城の話をした。彼はにやりと笑い、心霊スポットだと知っていて、仲間と深夜に出掛けたことがあると言った。
「女の泣き声を聞いたんですよ。あれは……絶対に人じゃなかった」
彼の声が震えていた。さらに別の日には川が真っ赤に見えたとも言った。奇妙に思うだろうが、赤い川を見たのは自分だけではなかったのだ。
あの土地には確かな理由がある。
天正十八年六月二十三日。豊臣秀吉の小田原攻めの別働隊が一万五千の軍勢で八王子城を襲った。籠城する者は千人に満たず、農民や職人、その家族まで動員されての数だった。抗う術もなく、城は一日で落ちた。降伏すら許されず、非戦闘員までもが無残に刃を浴びた。捕らえられた女や子供は首を刎ねられ、その首は小田原に運ばれて晒された。小田原で戦う北条方の将兵の士気を挫くために。
妻や娘の首が晒されるのならと、婦女子たちは自ら短刀を喉に突き、御主殿の滝に身を投げた。滝壺から流れる川は三日三晩、血で赤く染まったと伝えられている。歴史の書物で読んだことを、自分は何度も反芻してきた。
けれど、歴史は紙の上で閉じられるものではない。あの川の色を実際に目にしたとき、文字は肉に変わった。過去の惨劇が、土地に焼き付いたまま消えずにいるのだと理解した。
その晩のことだ。防災センターの夜勤で仮眠を取っていた。耳に微かな水音が入り込んできた。高尾に川の音は多い、気に留めることではないはずだった。だが水音の奥から、すすり泣きが混じっていた。
誰かがうつむき、嗚咽している。近づけば近づくほど声は重なり、何十人、何百人もの女たちの泣き声が胸の骨を叩いた。息を吸うたびに生臭い鉄の匂いが漂った。
目を開けると、天井の蛍光灯が赤く滲んで見えた。自分は跳ね起き、周囲を確かめた。新人は隣の部屋で仮眠を取っている。静かすぎるほど静かだった。
それから、赤い川を思い出すたびに、耳の奥に水音が忍び込む。眠ろうとすると、誰かが肩に手を置き、沈んだ声で囁く。「見たな」と。
八王子城にだけは足を踏み入れないと決めている。あれはただの歴史の跡ではない。
新人の目も、同じ色を見てしまった者の目をしていた。血に染まった川は、いまも消えてはいないのだ。
それでも時折、夢に滝が現れる。水の落ちる轟音に混じり、白い腕が何本も水面から伸び、こちらに縋ろうとする。目を逸らしても、耳を塞いでも、その泣き声だけは必ず追いかけてくる。
もしかすると、あの川の色を見た者は皆、やがて同じ場所へ引きずり込まれるのかもしれない。自分が最後にあの滝を目にするのは、夢の中か、現実か――どちらなのか、今ではもう区別がつかなくなっている。
(了)