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玄関を閉めない家 rw+1,940-0311

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俺が子供の頃、祖父の家には一匹の犬が居ついていた。

コロという名だった。柴犬の血が混じっていると聞いたが、どこかそうは見えなかった。野良にしては不自然なくらい真っ白で、晴れた日に庭へ出ると、毛並みだけが光を返して輪郭がぼやけた。抱くと軽いのに、撫でた手のひらには冷たい水気みたいな感触だけが残った。

祖父の家にコロがいたこと自体が、今になって思えばおかしい。

もともとコロは、この町では知らない者のいない犬だった。いつも何匹もの野良を従えて歩き、細い路地でも商店街でも、あいつが通るとほかの犬が道を空けた。子供だった俺でも何度か見たことがある。五匹、七匹、多い時は十匹以上を引き連れて、先頭を一度も振り返らずに歩いていた。誰かに餌をねだるような犬じゃなかったし、誰かの家先で腹を見せるような犬でもなかった。

そんな犬が、ある朝、祖父の前に一匹で現れた。

教師をしていた祖父が駅のホームで電車を待っていると、端のほうにコロが座っていたらしい。縄張りから外れた場所だった。しかも取り巻きが一匹もいない。祖父が名を呼ぶと、コロはゆっくり顔を上げて、じっと祖父を見た。それから、喉の奥で小さく鳴いたという。威嚇でもなく、甘えるようでもなく、誰かに遅れたことを知らせるみたいな声だった。

祖父はそのまま仕事へ行き、帰りにもまた駅でコロを見た。朝と同じ場所にいたという。その時、祖父は理由もなく、この犬はうちの娘を待っている、と思ったらしい。理屈ではなく、そう思わされたと言ったほうが近いのかもしれない。

その夜、祖父は高校生だった母を連れて駅へ行った。コロは母の姿を見ると立ち上がり、ほかの人間には見せたことのない仕草で足元へ寄った。母がしゃがんで「うちに来る?」と言うと、コロは短く一度だけ吠えた。その声を境にしたように、祖父の家に住み着いた。

翌朝、庭には野良犬が並んでいた。

塀の外から門の前まで、色も大きさもばらばらな犬が黙って座っていた。吠えもせず、じゃれもせず、ただ家のほうを見ていた。コロはそのあいだを通って縁側へ上がったが、ほかの犬は一匹も敷地に入らなかった。門は開いていたのに、誰も越えない。見えない杭でも打たれているみたいに、前脚を揃えたまま線の外で止まっていた。

祖母が怖がって追い払おうと箒を持って出ても、犬たちは祖母のほうを見なかった。みんな、家の中だけを見ていたという。

そんなことが半年ほど続いた。

昼間、コロは家の中にいた。人の言葉をよくわかる犬で、母が呼べば来たし、祖父が座敷へ入るなと言えば敷居の前で止まった。だが奇妙なのは、ほかの犬が一度もコロを迎えに来ないことだった。毎日、庭の外で待っているのに、連れ戻そうとはしない。ただ日が落ちると数が増えて、夜更けまで黙って座っていた。

ある晩だけ、様子が変わった。

庭の犬たちが、夜通し鳴いたのだ。遠吠えとも違う、腹の底から絞り出すような声だった。唸り声も混じっていたし、どこかで子犬が潰されるみたいな短い悲鳴も聞こえたと祖母は言った。家族は誰も外へ出なかった。障子の向こうを影が何度も横切ったのに、祖父でさえ戸に手をかけなかったらしい。

朝になると、庭にはコロしかいなかった。

ほかの犬は一匹もいなかった。糞も足跡も残っていないのに、土だけが一面、夜のあいだに何度も掘り返されたみたいに柔らかくなっていた。その日から、町では別の犬が群れの先頭を歩くようになったという。けれど、その犬も祖父の家の前だけは通らなかった。

しばらくして祖父はコロに首輪を買った。革の赤い首輪だった。昼に着けると夜には外れている。金具を替えても、紐で結んでも、朝には首からなくなっていた。なのに、母が自分の手で着けた日からだけは外れなくなった。

その日、母は冗談半分で「もう勝手にどこかへ行っちゃだめだよ」と言って首輪を締めたらしい。コロはその声を聞いて、なぜか一度も目を逸らさなかったという。以来、誰が触ろうとしても首輪だけは触らせなかった。祖父が外そうとすると低く唸り、祖母が手を伸ばすと歯を見せた。俺も子供の頃に一度だけ触ろうとして、あの優しい犬に初めて噛みつかれかけた。皮膚には届かなかったが、鼻先が指のすぐ手前で止まった時、首輪を守っているのは犬じゃなくて、首輪のほうなのだと妙に思ったのを覚えている。

コロは長く生きた。長く生きすぎた、と言ったほうが正しいのかもしれない。

俺が小学校二年の頃にはもう立ち上がれなくなっていて、家族みんながそろって最期を看取った。息は浅く、目だけが開いていた。母が首輪に触れながら名を呼ぶと、そのたびに耳だけがかすかに動いた。夜更け前、とうとう呼吸が止まり、祖母が泣き崩れた。祖父は何も言わず、しばらくしてから玄関の戸を少し開けた。

誰が言い出したのでもない。けれど、その夜は家族全員が、戸を閉めてはいけないと思っていた。理由を口にした者はいないのに、閉めようとする者もいなかった。

朝、コロの体はなかった。

敷いていた毛布だけが少しずれていて、餌皿の上に首輪が丸く置かれていた。赤い革の裏に、泥とも煤ともつかない黒い汚れが指の跡みたいについていた。動けるはずがない。持ち上がれるはずもない。祖父はすぐに庭を見に出たが、足跡はなかった。

その日の朝、祖父は首輪を捨てようとした。

門の外のごみ箱に入れたのを俺は見ている。だが夕方、餌皿の上にまた戻っていた。祖母は誰も触っていないと言った。母は黙って布で拭いたあと、何も言わずに下駄箱のいちばん下へしまった。それ以来、あの家では夜の玄関をきっちり閉めない。台風の日でも、冬でも、指二本ぶんだけ隙間を残す。

一度だけ、祖父が鍵までかけて寝たことがある。

翌朝、玄関の内側のたたきに濡れた土が点々と落ちていて、下駄箱の扉が開いていた。しまってあるはずの首輪は外に出て、きちんと餌皿の上に置かれていた。祖父はそれを見てから、二度と夜の戸締まりを確かめなくなった。

今、祖父も祖母ももういない。家は人が住まなくなり、管理だけを親族で回している。俺も年に何度か風を通しに行くが、あの家へ入るたび、最初に見るのは玄関だ。癖みたいなものだと思っていたが、違うらしい。去年、小学生の息子を連れて行った時、そいつが玄関に上がるなり、誰もいないたたきの隅に向かって「ただいま」と言った。

なぜそんなことを言うのか聞くと、息子は不思議そうな顔で、「だって白いのがいたから」と答えた。

その夜は泊まらなかった。帰る前、下駄箱を閉めたはずなのに、車に乗る時にふと振り返ると、玄関の戸が少しだけ開いていた。暗い隙間の奥で何か白いものがしゃがんでいた気がしたが、見直した時にはもう何もいなかった。

ただ、家を離れてしばらくしてから、後部座席で息子が言った。

「ねえ。なんであの犬、まだ首輪してないの。」

[出典:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1454518647/]

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