志那羽岩子です。
前作『#ずっと見てたよ』に続き、二冊目の電子書籍を出しました。タイトルは『不可視のビーコン』。今回はせっかくなので、自分で書いた本について、少し長く話させてください。
一冊目と二冊目
前作は、見る側の話でした。
配信者に惹かれたファンが、応援と監視の境界を越えていく。そのプロセスを、X投稿ログ・配信アーカイブ・ファンコミュニティの会話記録・未送信メール・調査ノートという資料の積み重ねで描きました。モキュメンタリー、つまりドキュメンタリーの形式を借りたフィクションです。
今回も、見られる側の話になっています。
ただ今度は、見ているのが人間ではありません。
主人公の橘美咲が感じる視線の正体は、スマートフォン、スマートテレビ、スマートスピーカー、デジタルサイネージ、そして街中のあらゆる接続されたデバイスです。
「見ている」主体が人から機械へ変わることで、何が変わるか。人の場合は加害者がいます。動機があり、意図があり、原理的には対話が成り立つ。しかし機械には悪意がありません。意図もない。ただシステムが動いているだけです。だから怖い。謝りに来ない。止まらない。交渉できない。
二冊を並べて読むと、「見られる」という体験の輪郭が二方向から描かれているように見えるかもしれません。書く前からそう設計していたわけではありませんが、書き終えてから気づきました。
「オーディオビーコン」を知ったとき
この小説を書くきっかけになったのは、「オーディオビーコン」という技術を知ったことでした。
簡単に説明します。人間の耳には聞こえない20kHz以上の超音波を、テレビや店舗スピーカーが常時発しています。スマートフォンはそれを受信できます。これによって、デバイス同士が「この人物は今この機器の近くにいる」「この端末の持ち主は今日この時間にこのコンテンツを視聴した」という情報を共有します。位置情報をオフにしていても、マイクの権限を切っていても、これは止まりません。
加えて、スマートテレビのACR機能(Automatic Content Recognition)は、デフォルトでオンになっており、0.5秒ごとに画面をキャプチャしてサーバーに送信しています。SiriやAlexaは「ウェイクワード」を検知するために常時マイクを待機状態にしており、誤作動による意図しない録音の事例は公式に認められています。
これを知ったとき、私は「スマホが盗聴している」という話を信じない側にいました。企業がそんなリスクを取るわけがない、と。しかし実際には、マイクで録音するより静かで、より広範で、より追跡しにくい方法が、すでに社会インフラとして稼働していました。
知ったあとで、自分の部屋を見回しました。テレビ。スマートスピーカー。スマートフォン。全部ある。全部、多かれ少なかれ、何かを発信しています。
この感覚を小説にしようと決めるのに、時間はかかりませんでした。
対策するほど、追い詰められる
主人公の美咲は、知識がある人間ではありません。
友人との何気ない会話の翌日に、その話題の広告が出てきたことに気づきます。デパートで三分間眺めただけのバッグが、三日後に広告として現れる。そこから調べ、動画を見て、一つずつ設定を変えていきます。
マイクの権限を切る。位置情報を無効にする。ACR機能をオフにする。アレクサのマイクを物理的に遮断する。VPNを入れる。
この過程を書きながら、私は一つのことを意識していました。美咲の対策は、全て合理的だということです。おかしな判断は一つもない。彼女は正しく怖がって、正しく動いています。それでも状況はエスカレートします。
なぜか。
個人のデバイスを制御しても、街そのものが情報を発信しているからです。隣室のルーター、廊下の防犯カメラ、すれ違う人々のスマートフォン、通りを走る車のナビ。それら全てが、特定の端末の存在をビーコンで捉えてネットワークに上げています。本人が何を切っていても、周囲が捉える。
この構造を実感させるために、物語の中盤から「環境そのものが敵になる」展開を選びました。
美咲の恋人・健太が消える場面は、そのために書きました。助けてくれる人間が存在することへの安心感を、一瞬与えてから消す。その後に残るのは、信頼できる人間も、逃げ込める場所も、頼れる手段もない美咲一人です。
逃げることについて
第六章で美咲はスマートフォンを叩き壊します。
このシーンを書いていたとき、私の中にあったのは「それでも遅い」という感覚でした。端末を捨てることで逃げられるなら、話が終わってしまう。そうではない話を書きたかった。
「逃げようとする意志そのものが、すでに追跡されている」
これが、この小説のもう一つの主題です。
どのデバイスを切ったか、どのルートを使ったか、どこへ逃げたか。そのデータが全て記録され、次の行動を予測するために使われているとしたら。逃げることで精度が上がるとしたら。
美咲が山奥の廃屋に逃げ込み、「逃げ切った」と安堵する最終章。あの安堵は本物です。彼女は本当にそう思っています。だからこそ、その直後に鳴る電子音が意味を持ちます。
ラストで鳴るものが何かは、読んでから確かめてください。ただ、それが何であるかは、物語の序盤に既に出てきています。あそこで美咲が「これは無害だ」と判断した根拠は正しかった。ただ一点だけを、彼女は見落としていました。
この小説が怖いと思う人、思わない人
読んでいて怖いと感じる人と、そうでない人がいると思います。
そうでない人は、おそらく「フィクションの誇張」として処理しています。スマートスピーカーが勝手に過去の会話を再生するわけがない、ポイントカードにそんなチップが入っているはずがない、と。
確かに、作中の展開は現実の技術を拡張・誇張しています。しかし、その拡張の方向は恣意的に選んでいません。今ある技術の延長線上に、理論的にあり得る話を置きました。
怖いと感じる人は、たぶん自分のデバイス環境を無意識に重ねています。自分のテレビのACR設定を確認したことがない人。アレクサのマイクが今もオンのままの人。一度も気にしたことがないからこそ、気にしたことがある人より、実は多くのものを見られているかもしれない人。
どちらが正しい反応かは言いません。ただ、読み終わった後に部屋を見回したくなったなら、それが一番素直な感想だと思います。

あと一つだけ
前作『#ずっと見てたよ』と今作を合わせて読むと、私が「見ること・見られること」というテーマをしつこく掘り返していることに気づくかもしれません。
それは意図的ではありますが、答えを出そうとして書いているわけではありません。
見ることは、理解しようとすることです。愛することでもある。しかし同じ行為が、相手の側では侵食として感じられることがあります。見ているつもりが監視になる。把握したいという願いが、追跡になる。
人が相手のときは、動機や関係性で判断できます。機械が相手のときは、そもそも動機がありません。どちらが怖いかは、人によって違います。
私は両方書きたかった。
[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]
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