同居していた頃、姑との間には度重なる摩擦が生じていた。
そのような中、近くに住む友人が私を訪ねてきた際の出来事である。
友人が到着するや否や、姑は彼女が占い師であることが気に入らない様子で、容赦なく文句を並べ立てた。友人は終始穏やかな笑顔を崩さず、姑の攻撃を受け流していたが、話題が私の妊娠にまで発展した。当時、私は妊娠中で、胎児の性別は女の子と医師から告げられていた。
姑は「私は跡取りをこの手に抱きたいのよ!」と激昂したが、それに対して友人は微笑を浮かべ、穏やかに姿勢を正しながら静かに言った。「お姑さんは、お孫さんを抱くことはできないと思いますよ」と。その自信に満ちた言葉に姑は驚愕し、言葉を失ってその場を去り、ご近所の家へと逃げていった。
その後、あの衝突の緊張がようやく落ち着き、夫の栄転が決まったことで、東京への引っ越しが決まり、姑との同居は解消された。娘が生まれてからも、姑の過去の暴言が夫の怒りを買ったことから、姑には一度も娘を会わせていない。友人の予言通り、姑は孫に触れることが叶わなかった。時折遊びに来る友人は「当たってよかったね」と笑みを浮かべる。彼女の職業は占い師だ。姑がどのようにその言葉を受け取ったかは定かではないが、確かに彼女の予言は的中した。
姑の私に対する暴言は、常軌を逸していた。「女を産むなんて役立たず」「無駄飯食い」「男を産めないなら離婚しろ」など、執拗に攻撃された。ある時、夫が風呂から出てきた瞬間、「お前みたいな女から生まれる娘なんて、お前同様ろくなもんじゃない」と姑が発言するのを夫が耳にし、大激怒した。それが引き金となり、夫も姑との関係に見切りをつけ、私たちは東京に移住することとなった。それ以来、姑とはほぼ絶縁状態である。
後日談
姑は友人の予言通り、孫に会えないままだった。しかし、その状況を受け入れることができず、姑は私たちの新住所を手に入れ、突然押しかけてきた。幸い娘は幼稚園で不在だったが、姑は強引に部屋に入り込み、父の位牌を盗んで「孫に会わせてほしいなら返す」と義実家へ逃げ帰った。
翌日、夫と共に義実家に赴き、位牌の返却を求めたが、姑は「孫を会わせないなら返さない」と一歩も引かず、挑発的な態度を崩さなかった。夫が憤怒のあまり家中を探し回ったが位牌は見つからず、姑は「もう捨ててきたわ。どこに捨てたか知りたい?」と冷笑を浮かべながら言った。その瞬間、私の心臓は強く締め付けられ、足元が崩れるような感覚に襲われた。父の大切な位牌が失われたかもしれないという絶望が胸に広がった。
そのとき、友人から私の携帯に電話がかかってきた。私が「今は取り込み中」と答えると、友人は「それ、お父さんの位牌の件じゃない?」と言った。その言葉に驚いた私は「そう!そうだよ!」と答えると、友人は「義実家にいるんだよね?位牌を持っていくから、下手なことしないで」と告げた。
しばらくして、友人が義実家に到着し、父の位牌を確かに持ってきてくれた。友人は姑の前に立ち、「不思議でしょ?どうして私が位牌を持っているのかって」と問いかけた。そして「お父さんが夢に現れて、助けてほしいと言ったんです。嘘じゃないことはあなたが一番分かっているはずですよね?」と続けた。その瞬間、姑は腰を抜かし、声も出なかった。
さらに友人は「お父さんは、娘を苛めるだけでなく、孫にまで迷惑をかけることを非常に怒っています。次に何かしようとすれば、どうなるか分かっていますよね?」と告げた。姑はその場で失禁し、夫に怒鳴られて二度と来るなと言われた。
その後、友人と共に義実家を後にし、近くのファミレスに入り、友人からさらに詳細を聞いた。話の内容は姑に言った通りで、友人が夢で父から位牌の捨てられた場所を教えられたという。そして「娘夫婦と孫を守っている」と姑に伝え、これ以上手を出せば許さないと伝えてほしいと言われたそうだ。
位牌が捨てられていたのは、山裾の藪の中で、人が倒れていても気づかれないような場所だった。友人の話を聞きながら、父が私たちを守ってくれていることを改めて感じ、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
友人は最後に「これ以上手出しができないようになるよ。近々、あなたたちにとって良い変化がある」と予言した。その言葉は私の胸に希望の光を灯した。これまでの困難から解放される未来があるのだと感じ、その予言が実現する日を待ちわびた。その通り、夫の栄転で首都圏に引っ越すことが決まり、新たな生活をスタートさせることとなった。
もう姑と関わるつもりはない。父の位牌も大切に持っていく。友人には心から感謝しているし、亡き父の愛と守りを伝えてくれたことにも感謝している。これからも孫娘を大切に育てることが、亡き父への恩返しだと感じている。友人、そして父に深い感謝を捧げる。
[出典:399 :名無しさん@HOME :2007/02/27(火) 16:54:33]