今でもあの冬の日の吐く息の白さを思い出すと、胸の奥がざわつく。
小学四年の十二月、北風が皮膚を刺すような寒さの中、友達と秘密基地へ向かった。場所は埼玉の郊外、低い林に抱かれた古びたホコラの裏手だった。夏に汗を流して作った基地は、落ち葉と土の匂いに包まれた小さな洞穴で、子供の背丈なら腰をかがめて入れる程度のものだった。雪は四十センチほど積もり、音を吸い込むように辺りはしんとしていた。
吐く息が曇るたび、胸の奥にかすかな期待と不安が交互に入り混じった。冬にあそこへ行くのは初めてだったからだ。靴下の中で足の指がかじかみ、手袋越しにかじった指先が痺れている。肩をすくめながら境内に差し掛かると、目に飛び込んできたのは見慣れぬ光景だった。ホコラの隣に、妙に新しく磨かれた小さな神社が建っていたのだ。朱塗りの柱は艶やかで、屋根には雪が柔らかく積もり、夕方の光に照り返していた。
「秘密基地、なくなっちゃったね」
誰かが口にしたとき、心臓が一拍強く鳴った。あの土と草にまみれた場所が、大人の手によって清められたことに、理由もなく居心地の悪さを覚えた。
そのとき、神社の扉が軋む音を立てて開き、白衣に狩衣をまとった神主らしき男が姿を現した。彼は穏やかに笑い、こちらに歩み寄ってきた。
「このおもちゃは君たちのかい? ここは神様の家だから、勝手に入ってはいけないよ」
差し出された手には、基地に置きっぱなしにしていた駄玩具が握られていた。懐かしい手触りに安堵しながらも、指で数えると、ビー玉とオハジキだけが見当たらなかった。胸の奥に小さな棘が刺さるような感覚があった。
神主の後ろには、小さな影があった。綿入れを着た四歳くらいの子供が、こちらをじっと見ている。その手に巾着袋が握られており、中にはビー玉とオハジキが透けて見えた。神主は少し困ったように言った。
「これだけは、この子がどうしても気に入ってしまってね。もらえないかな」
口の中に冷えた空気が貼りつき、返事を迷った。けれども、子供の無垢な目に抗えず、つい頷いてしまった。
その後、俺たちは神社の境内で遊び始めた。雪はふかふかに積もり、足を踏み入れるたびにギュッと音を立てる。おもちゃは賽銭箱の上に置き、代わりに鬼ごっこや雪合戦に夢中になった。凍てつく風の中で体は熱を帯び、吐く息が白く渦を巻いた。
やがて空から細かな粒が舞い落ちてきた。雪だと気付いたが、よく見るとそれはダイヤモンドダストだった。街灯もない林の空気の中で、降る光は宝石の粉のように散らばり、俺たちは歓声を上げた。その美しさに夢中になり、頬が痛む寒ささえ忘れていた。だが冬の日は短い。気がつけば林の影が濃くなり、空は群青に沈んでいた。俺たちは未練を残しながらも散り散りに帰った。
翌朝、学校の前で集まった俺たちは、昨日の神社におもちゃを取りに行こうと相談した。吐く息が白く立ちのぼり、足元の雪は夜のうちに固く締まっていた。林に入ると、昨日のような鮮やかな朱塗りの神社はどこにも見当たらなかった。そこにあるのは、苔むした小さなホコラだけだった。屋根は傾き、雪の重みで板がきしむ。まるで最初から何もなかったかのように。
「夢だったのかな」
誰かが呟いたが、皆答えられず、顔を見合わせるばかりだった。俺たちは気を取り直し、裏手の秘密基地へ回ることにした。ホコラの影に隠れるように口を開けた小さな洞穴。腰を折って入ると、湿った土の匂いと冷気が頬を撫でた。暗がりに目を凝らすと、置きっぱなしにした玩具のいくつかは確かにそこに残っていた。だが、ビー玉だけが影も形もなかった。
みんなで土を掘り返したり、隅を探したが、どこにも見当たらなかった。子供心に「やっぱりあの子に渡したんだ」と思いながらも、胸の奥に違和感が沈んでいた。神主や子供の姿が本当に現実だったのか、誰も確かめようがなかった。

時は過ぎ、俺たちはそれぞれ大人になった。年月の流れの中で秘密基地の記憶は埃をかぶり、話題に上ることも少なくなった。けれども、ある年の同窓会で、地主の息子だった元担任がぽつりと語った言葉が、忘れていた記憶を鮮やかに呼び覚ました。
「あそこは狐様の社で、あのホコラは拝殿だ。本当の社は裏の洞の中にある」
酒場のざわめきの中で、その声だけが鮮明に耳に残った。胸の奥に冷たいものが走り、手のひらが湿っていた。俺たちが遊び場にしていたのは、神様の本殿だったのだと知らされ、思わず言葉を失った。
翌日、同窓会の流れで集まった数人と、懐かしい林へ足を運んだ。冬の空気は子供の頃と変わらず、乾いた冷気が肌を刺す。ホコラは昔のままそこにあり、雪に埋もれてひっそりと立っていた。手にしたLEDライトを頼りに、俺たちは久しぶりに洞の中へ身をかがめて入った。
狭い通路を抜けると、奥に小さな段差がせり上がっていた。ライトを向けると、そこに石の狐の彫り物が静かに置かれていた。白い顔は土埃に曇りながらも、瞳は鋭くこちらを射抜くように光を反射していた。
そしてその周囲には、俺たちが子供の頃に失ったビー玉やオハジキが散らばっていた。色とりどりのガラス玉は土に埋もれかけていたが、確かにあの時のものだった。中央には巾着袋が敷かれ、狐の彫り物がまるで座布団の上に鎮座するように置かれていた。
一瞬、息を呑んだ。誰かの悪戯にしては年月が経ちすぎている。土の匂いと冷気に包まれながら、俺たちは顔を見合わせ、言葉もなく頷き合った。
狐の像を囲むように散らばったビー玉を前に、俺たちはしばらく声を失っていた。LEDの光に反射して七色の火が小さく瞬く。洞窟の湿った空気の中で、その光はあまりに鮮やかで、生き物の目のように揺らめいて見えた。背筋に冷えが走り、思わず喉を鳴らした。
「……返してくれてたのかな」
誰かが呟いた。そう思えば納得できる気もしたし、逆に考えれば俺たちがあの日、狐に差し出したままのものが、今もここに残っているのかもしれなかった。
俺はポケットから取り出した。子供の頃、大切にしていたジャンケンゲームの金色のコインだ。いつかまた秘密基地で遊ぼうと仕舞い込んでいたが、今日ここに来ると決めた時から持ってきていた。磨り減った縁に指をなぞると、妙な決心が固まっていた。
「これ、置いていこう」
そう言うと、他の連中も黙って頷いた。俺は狐像の前にそっと金コインを置いた。土に冷たく沈む音が小さく響き、空気がわずかに震えた気がした。
その瞬間、洞の奥から風が抜けるような音がした。LEDの灯りが一瞬揺らぎ、狐の影が洞の壁に大きく伸び上がった。影はまるで笑っているようにも見えた。誰も声を上げなかった。ただ、納得するように黙って見つめていた。
帰り道、林を抜けた頃には、雪がまた舞い始めていた。子供の頃と同じように、細かい粒が街灯に照らされて輝く。ダイヤモンドダストかどうかは分からない。ただ、その光を見上げた瞬間、胸の奥に奇妙な安らぎが広がった。
俺たちは互いに多くを語らず、そのまま散り散りに帰った。だが翌日、一人で再びあの洞を訪ねると、狐像の前から金コインは消えていた。代わりに、あの時に渡したビー玉が一つ、巾着袋の上に置かれていた。ラムネ瓶の底にあった、あの独特の青いガラス玉だ。
掌にのせると、冷たいのにどこか温もりを感じた。まるで「交換だ」と言われているように。俺は思わず笑い、ビー玉を懐にしまった。
その日から、不思議とあの秘密基地のことを語るとき、誰も怖がったりはしなくなった。ただ、静かに「神様の家で遊んでしまった子供時代」の記憶として、胸に残っている。そしてビー玉は今も机の引き出しにある。時折手にすると、あの冬の日の光と空気が蘇るのだ。