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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

上を歩くもの ncw+143-0209

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三月の終わりだというのに、その夜の空気は妙に粘り気を帯びていた。

卒業式から三日後、二十人ほどの同級生が、級友Kの実家である山間の古刹に集まった。座敷は本堂の脇にある大広間で、襖を外して一つにした空間だ。寺の夜は暗い。街灯のない闇は、ただ黒いというより、湿った厚みを持ってそこに溜まっている。濡れたアスファルトの匂いではなく、腐葉土と杉皮と、古い木の埃が混じった匂いが、息を吸うたび肺の奥に沈んでいく。

場違いな熱気だけが浮いていた。スナック菓子の袋、ぬるい缶ジュース、どこから出てきたのかビールの空き缶。誰かが「コンビニまで車で三十分だぞ」と笑い、別の誰かが「じゃあ飲むな」と返す。若者の声は高く、やたら響いた。

私は、背後の襖の向こうに意識を持っていかれていた。広間は明るいが、一歩廊下へ出れば常夜灯だけの暗さになる。光が届かない奥の部屋、誰もいないはずの本堂、長く伸びる渡り廊下。それらが、巨大な生き物の内側みたいに静かに息をしている気がした。酒も入っていないのに、薄い酩酊があった。卒業という熱の裏で、明日からばらけていく不安が、寺の古い空気と混ざって膨らむ。

日付が変わる頃、騒ぐ者と眠る者に分かれ始めた。誰が言い出したのか「何か面白いことをやろう」と声が上がり、流れで怪談が始まった。

「Kんち、なんか出るんだろ」

茶化す声に、Kは曖昧に笑った。色白で線の細い男だが、目だけが時々、妙に落ち着きすぎる。

「知らない。でも雰囲気はあるだろ」
Kは顎で隣室を示した。
「あっち。ここ明るすぎる」

乗ったのは、私を含めて七、八人だった。襖一枚隔てた隣の部屋へ移る。八畳ほどの和室で、大広間ほど整っていない。漆喰は浮き、畳は湿気で黒ずみ、角のあたりに古い染みが残っている。Kが太い和蝋燭と古い燭台を持ってきた。

「電気消すぞ」

パチンとスイッチが落ち、白い光が消えた。マッチの擦れる音。硫黄の匂い。橙の炎が立ち上がる。一本の蝋燭を囲むと、部屋の隅はすぐ闇に沈んだ。顔は半分だけ照らされ、影が頬を別人のように歪ませる。襖の向こうからは宴会組の笑い声が聞こえてくる。これがあるうちは、まだ安全だと思えた。

怪談が一巡する頃、その感覚が薄れていった。隣の音が、遠くなっていく。距離は変わらないはずなのに、水の膜を挟んだ向こうみたいに鈍い。代わりに、この八畳間の音が際立つ。衣擦れ、喉の鳴る音、畳のい草が擦れる音。蝋燭が小さく爆ぜる音。

三番目の女子が震える声で話を結んだ瞬間、私は首筋に冷たいものが触れたような気がして腕をさすった。寒いのではない。湿った空気が肌にまとわりつき、離れない。Kは腕を組んだまま、じっと炎を見ていた。

次は私が話そうと口を開きかけた、その時だった。

ミシッ。

天井から音がした。全員の肩が跳ねた。古い家なら家鳴りはある。そう言い聞かせようとしたが、音は続いた。

ギシッ、ミシッ、ギシッ。

間が揃っている。木が勝手に鳴る音ではない。何かが、動いている。頭上の天井板一枚の向こうで、重さのあるものが歩いている。

ギシッ、ギシッ。

最初は部屋の隅の方だった音が、ゆっくり移動し始めた。円を描くように。私は天井を見上げた。竿縁天井の板目は暗く、木目だけが不気味な模様を作っている。そこに足がある。瓦の上ではない。屋根裏でもない。板のすぐ裏で、畳を擦るみたいな摩擦音が混ざる。

「おいK」
友人の一人が、笑おうとして失敗した顔で言った。
「二階に誰かいるのか」

常識的にはそうだ。Kの家族が上がってきたのか、宴会組の誰かが迷ったのか。しかし音は止まらない。むしろ、円が狭まっていく。歩調が上がる。

ギシッ、ギシッ、ギシッ。

追い詰めるみたいに、中心へ寄ってくる。天井板のすぐ上。そこに「いる」。

「なあ、誰か上がってんのかよ」
もう一度、友人が聞いた。声が震えている。

Kはようやく口を開いた。

「……火、見ろ」

促されて視線を戻すと、蝋燭の炎の形が変わっていた。縦に伸びない。押し潰されたように低く丸い。揺れもしない。橙の塊が、芯の先に貼りついている。光というより、目玉のように見えた。

「こうなるとき、上が近いんだ」

Kはそれだけ言って黙った。解説が足りないことが、逆に息を詰まらせた。

その瞬間、頭上の音が止まった。最後の一歩が、私たちの円陣の中心、炎の真上で踏み止まる。

静けさが落ちる。安堵ではない。覗き込まれている沈黙だ。天井板一枚の向こう側に、何かが居座っている。息遣いさえ聞こえそうな近さで。

私は耐えきれず、無理やり日常の理屈を組み立てた。

「……お前の母さんだろ。さっき洗濯してたし、取り込みに来ただけだよ。古い家なら音くらいする」

言っている自分の声が、薄い。隣の友人たちも頷こうとしたが、頷きが途中で止まった。Kが首を横に振ったからだ。動作がやけにゆっくりで、関節が錆びているみたいに見えた。

「来るとき、この建物、外から見たか」

「見たけど……」

Kは天井を指した。

「この部屋の上に、二階はない」

一瞬、言葉が意味を持たないただの音になった。次の瞬間、記憶が追いかけてくる。門をくぐった時に見えた屋根。母屋は高いが、この離れは低かった。平屋の瓦が、闇に近い位置で横に広がっていた。

「じゃあ……」
Aが呻くように言った。
「今、上にいるのは……」

答えを言わせないまま、部屋の空気が変わった。エンターテインメントの恐怖が、現実の手触りを持ってこちらへ滑り込んできた。逃げ場が消えた。

炎が、ボッ、ボッ、と呼吸みたいに明滅した。天井から、パラ……パラパラ……と音が降る。埃だ。板の隙間から白い粉が舞い落ち、蝋燭の光の中で雪のように見えた。そこに触れたのが怖くて、私は手を膝に押しつけた。

ミシッ。

天井板が撓んだ。錯覚ではない。中央の一枚が、下へと膨らんだ。柔らかいゴムみたいに、じわりと。木の繊維が悲鳴を上げる音が、耳のすぐそばで弾けた。

女子の短い悲鳴。誰かの呼吸が途切れる。全員の視線が撓んだ一点に吸い寄せられる。

そこに、節穴があった。黒い小さな穴。私は、穴が開いたのだと思った。だが違う。穴の向こうに、闇より濃いものが寄っている。光を返さない濡れた何かが、こちらを覗いている。屋根裏の隙間などないはずなのに、穴の向こうには奥行きがあった。底がない。

Kが、囁くように言った。

「通る」

通る。何が。どこを。こっちへ。

「ふざけんな」
私は叫んだ。
「出るぞ。出ろ」

その言葉で時間が割れ、全員が一斉に立ち上がろうとした。足がもつれる。膝が畳を打つ鈍い音。誰かの爪が畳を掻く音。パニックが伝染する。

その時だった。

ドォン。

部屋が揺れた。天井が落ちるのではなく、上から踏み抜かれる衝撃だった。埃が舞い上がり、視界が白く濁る。蝋燭の炎がプツリと消えた。

完全な闇。

直後、鼻を刺す臭いが流れ込んだ。獣臭に、腐った肉の甘さと、焦げた線香みたいな匂いが混ざっている。吐き気が喉の奥を押し上げた。暗闇の中で、湿った空気を啜る音がした。シュウ、シュウ、と低い音。すぐそばにいる。

誰かが叫んだ。私たちは襖へ殺到した。手探りで襖を掴み、力任せに引いた。

光が溢れた。大広間の蛍光灯の白々しい明るさ。テレビの音。スナック菓子の匂い。何も知らない友人たちの間の抜けた顔。

「うわ、どうしたんだよ」
「顔真っ青だぞ」

私たちは光の中に転がり込んだ。心臓が肋骨を殴り続け、喉がヒューヒュー鳴る。助かった、と脳が言った。境界を越えたのだから、と。

だが私は見た。最後に部屋を出る瞬間、反射的に振り返ってしまった。襖の隙間から覗く闇に沈んだ八畳間。天井の中央から、白く細長いものがだらりと垂れていた。腕みたいに細い。指が五本、ゆっくり蠢いている。何かを探すみたいに。

床にへたり込んで息を整えながら、私は掠れた声で言った。

「……Kは」

「え、Kならずっとこっちだろ」
友人が空き缶を揺らして言った。
「さっきまで俺と大貧民やってたぞ。負けて罰ゲームどうするか迷って、とりあえずトイレ行った」

思考が止まった。あの部屋で蝋燭に火を灯し、炎を見ろと言い、二階はないと言った「K」は誰だ。

廊下からスリッパの音がして、本物のKが現れた。手ぬぐいで手を拭きながら、眠たげな目をしている。あの部屋の横顔の冷たさはない。いつものKだ。

「なんだよ、騒がしいな」

私は指差した。

「お前、さっき……あっちで……」

Kは首を傾げた。

「あっち。俺は行ってない。お前ら怪談やるって言うから、怖いし遠慮したんだよ。で、どうだった。何か出たか」

出たか、ではない。お前がいた。そう言いかけて、言葉が喉で潰れた。

私は開け放たれた襖の向こう、八畳間を見た。蛍光灯の光が届く範囲で目を凝らす。そこには誰もいない。蝋燭も燭台もない。畳には埃が白く積もっているだけだ。天井の中央に節穴はない。撓んだ板もない。

全員が同じ夢を見たのか。集団幻覚か。そう思おうとして、鼻の奥に残った臭いが否定した。獣と腐臭が、まだ粘りついて離れない。指先に、畳を掻きむしった感触が残っている。

「……帰ろう」

誰かが言った。誰も反対しなかった。私たちは荷物を掴み、Kの制止も聞かずに寺を出た。靴を履く時、足元に一瞬ひっかかりを感じたが、確かめる勇気はなかった。門を出て車に滑り込んだ瞬間、バックミラーに映った本堂の屋根が、口を開けているように見えた。私は目を逸らし、見なかったことにした。

十年が過ぎた。

あの夜の話を、当時の仲間とすることはない。疎遠になったわけではないのに、誰かが触れかけると沈黙が落ちる。私たちはそれぞれ社会人になり、生活を持った。私も結婚し、郊外の古いアパートの二階に住んでいる。

平凡な日々だ。だが、鏡を見る時、瞳の奥に橙の点が揺らめくことがある。雨の前の湿った空気に、ふと寺の埃と、あの臭いが混ざる夜がある。そのたび胸の奥が乾き、理由のない渇きが増す。

今夜、妻は実家に帰っていて、部屋には私だけだった。ひとりで酒を飲み、静かな夜を過ごしていた。ふと階下から物音がした。下には若い大学生のカップルが住んでいる。話し声ではない。息を殺した気配が、板を通して伝わってくる。

私は立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。

ギシッ。

床が鳴った。古いフローリングの音のはずなのに、違う。もっと湿って、重い。薄い板一枚の下に空間があって、その上を踏みしめているような頼りなさが足裏にくる。

ギシッ、ギシッ。

私は歩く。なぜか、部屋の中央を円を描くように。止めようとしても足が止まらない。円が狭まっていく。中心へ寄っていく。歩調が少しずつ揃う。呼吸まで、それに合わせてしまう。

階下から声が漏れた。抑えた声だが、震えている。

「ねえ、上の人、また歩いてる」
「静かにしろ。気づかれる」

私はその場に立ち尽くし、床を見た。フローリングの継ぎ目に小さな節穴がある。今まで見たことがない穴だ。覗き込むと、暗い部屋が見えた。頼りない光の周りに、車座になった若い男女がいる。天井を見上げ、肩を寄せ、唇を噛み、恐怖に耐えている。

私は口の中に、あの臭いが満ちるのを感じた。舌が乾き、喉が渇く。穴の向こうの怯えが、足裏を通して心地よく伝わってくる。胸の奥の橙の点が、じっとり膨らむ。

私は床にしゃがみ、節穴に唇を寄せた。

言葉が喉ではなく、木の軋みになって外へ出る気がした。

ギシッ、ミシッ。

そして私は、囁いた。

「……二階なんて、ないんだよ」

(了)

[出典:16 :駄文その1 :03/07/15 11:10]

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