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帰れない道 r+3,866

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大正生まれの祖母が、生きているあいだ何度も繰り返し語ってくれた話がある。

私自身の体験ではないけれど、祖母の語り口や、そのときの目つき――うつろなのにどこか嬉しそうなあの表情が、今でも忘れられない。

祖母が亡くなったのは、今年の春。
九十をとうに越えていた。もう耳も遠く、ものの名前も出てこなくなっていたのに、この話だけは何度でも楽しそうに、まるで昔の唄を口ずさむみたいにして語ってくれた。

「……あれがね、人生で初めてキツネにやられたときだよ」

そう言っていた。

祖母がまだ小学校の低学年、つまり、昭和に入ってまもない頃のことだったらしい。
校舎も木造で、教室は土足。チョークが粉だらけで、冬になると便所の水が凍ったという。

友達と三人で下校していた日だったという。
いつもの帰り道。アスファルトなんか敷かれていない、土のぬかるみや、川沿いの砂利道、低い用水路と稲のにおいが染みついた風。
今の子供たちが見たら、「トトロの道みたい」と言いそうな風景だった。

けれど、その日、なぜか家に着けなかったのだという。

どんなに歩いても歩いても、着かない。

いつもなら十五分もかからず帰れる道を、どこまでいっても、見覚えのない田んぼ、同じような畦道、同じような電信柱、同じような野良猫。
友達二人も一緒に、何かおかしいねえ、と不安そうに笑っていたらしい。

それでも三人は、「たぶん、迷っちゃったんだ」と無理に納得しようとして、道を引き返したり、橋を渡ってみたり、途中で見つけた祠の前を通ってみたり……
でも、気がつけばまた同じ道に戻っていた。

――気づけば夕方になっていた。

小さな体に、じわじわと染み込んでくる不安。
祖母が言うには、そのとき、空気が急にぬるく、音のないものになったらしい。
虫も鳥も声をひそめて、風がないのに草が波打っていたと。

その頃、家では、娘の帰りが遅いことに気づいた曾祖母――私にとってはひいばあちゃん――が、心配して外に出たのだそうだ。
村人の誰かと一緒に、近所を探していたとき、ふと、村はずれの大きな木のそばで、三人の子供の姿を見つけたという。

驚いて駆け寄ると、三人は、その木の周りをぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると、反時計回りに回り続けていた。
無言で、ただ、歩いている。

「やめなさい!」

叫んでも気づかない。
まるで、魂が抜けたような顔で、前を見たまま足を動かしていたらしい。

ひいばあちゃんが、祖母の名を叫んで肩をつかむと、その瞬間――祖母は急にびくんと震えて、「あれ? ここどこ?」と、泣きそうな声を出したという。

それまでずっと、家に向かって歩いていると思っていたのに、実際はあの大木の周りを何周もしていただけだったと気づいたのは、それからだったそうだ。

友達二人も同じで、三人とも、ぐるぐる歩いていた記憶はない。
ただ、「帰り道を歩いていた」だけの記憶しかなかったと。

それを聞いた村の大人たちは、別に騒がなかったという。

「あーあ、やられたねぇ」
「キツネに化かされたな」
「こないだは隣の爺さんも、朝起きて歯を磨いたら夜だったって言ってたわ」

笑いながら、まるで天気の話のように語っていたと、祖母は言っていた。

不思議なのは、祖母もまた、その話を楽しそうに語っていたことだ。
「初めてキツネにやられたのが、あの日だったのよ」
「ほんとうにね、嬉しかった」

そう言って、くすくすと笑う。

私は子供の頃、それを「昔は面白いことがあったんだな」と、笑い話として聞いていたけれど……
いまになって思うと、どうにも、気味が悪い。

祖母が言っていた。

「昔の人は、皆一度はやられたのよ。子供も大人も、誰でも」
「でも、今はキツネもタヌキも山からいなくなっちゃったからね。もう、化かしてくれない」

そう言って、祖母は少し寂しそうな顔をした。

本当に、キツネやタヌキが人を迷わせるなんてことがあるのか?
現代の感覚では、笑い話でしかない。

だが、もし、そういうものが確かにいたのだとしたら……
そう思うたびに、私は今でも背筋がぞっとする。

大木の周りを、永遠に歩き続けていた祖母の姿。
見えていた道と、現実の風景のずれ。
三人一緒に、同じ幻を見ていたという事実。

あれは本当に、ただの幻だったのだろうか。
それとも、もっと別の「何か」が、あの時代には確かに存在していたのだろうか。

祖母は、死ぬまでこの話を語り続けた。
何十回も、同じ表情で、同じ語り口で。

そのたびに私は、あの大木の下で、何かがこちらを見ている気がしてならなかった。

それも、何十年も前に、
この世からすっかりいなくなったはずの、
狐や狸の顔をして――。

[出典:162 :2020/02/28(金) 03:08:23.17 ID:3hVcp4pn0.net]

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