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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

骨董屋 n+

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今でも、あの通りに差し込んでいた薄い橙の光を思い出すと、胸の奥がじわりと沈むのだと、彼は静かに話し始めた。

去年の秋のことだという。乾いた風が吹く夕方、大須観音の鐘の音がかすかに揺れていた頃だと。

中古や古物の匂いが混じる街を歩くのが癖になっていた彼は、その日もいつもの骨董屋に向かった。ところがシャッターが降りている。理由は貼られておらず、金属の匂いだけが残っていたらしい。

それで別の店を探そうと思い、手の中のスマホがわずかに温まるのを感じながら地図アプリを開いたという。検索結果に紛れて、一つだけ見慣れぬ屋号が浮かんでいた。細い路地を示す赤いピン。その位置がどうにも引っ掛かったそうだ。

大須観音のすぐ脇。観光客も地元の人も途切れない一帯だ。なのに、そこに向かう通りだけが急に音を失う。

曲がり角を踏み出した瞬間、靴底に伝わる響きが変わる。人の歩幅が作る微細な震えが消え、代わりに冷えた地面が沈黙していたと、彼は語った。
振り向いても、誰もついてこない。耳鳴りではないのに、鼓膜が内側へ押されるような感覚がしたらしい。

店は、無機質なマンションの一階にあった。ガラス張りのはずなのに、内側は闇に沈んでいて、照明の反射すら見えなかったという。

貼り紙も、看板も、そこに商いの気配を示すものは何ひとつ無い。
ただ、近づくほどに、ガラスの向こうに沈んだ空気がわずかに濁って見えたそうだ。
呼吸をひとつ置くと、冷んやりした金属の匂いが鼻に入った。鍵を触った後の手の匂いに似ていたと、彼は手のひらを擦りながら言った。

その日は踏み込めなかった。暗さが異常だったからというだけでなく、ガラスを隔てた向こう側で、何かが静かに身じろぎしたような気がしたという。
錯覚、と自分に言い聞かせたが、その瞬間だけ皮膚が粟立った。
通りには相変わらず誰もいない。風が吹いているのに、彼の服の裾だけが揺れなかったと。

後日、再び大須へ向かった彼は、あの暗い店をもう一度確かめようとした。
しかし地図アプリで検索しても店名が出てこない。履歴にも残っていなかったという。
仕方なく記憶を頼りに歩いたが、路地の形がどうにも違う。風の通り方も違う。
あの店があった通りそのものが、まるで元から存在しなかったかのように消えていたと彼は言った。

最初は単純に道を間違えたと思い、周囲を何周も歩いた。
しかし探せば探すほど、あの日の静けさだけが鮮明になり、現実の喧騒が薄っぺらく感じられていった。
観音前の鳩の羽ばたきが、やけに遠く聞こえる。
歩道に落ちた落ち葉が弧を描いて転がるのを目で追いながら、彼は自分が何かを踏み忘れているような気がしてならなかったという。

三度目の探索を決めたのは今日だ、と彼は締めくくった。
誰か、あの店を知る人はいないのか――その問いを口にした時、彼の声は妙に乾いていた。
手元のスマホを見下ろす彼の指先だけが、わずかに冷えていたと、同席していた者が付け加えた。

彼の話は、三度目の捜索に出かけた日の朝の空気から始まったという。

薄い曇り空で、湿り気はないのに、指先だけがやけに乾いていたらしい。スマホを握る掌と温度が合わず、画面が妙に冷たく感じたと同席者が証言している。

その日、彼はさらに慎重だった。前の二回とは違い、まず大須観音の境内で少し時間を置いたという。鐘楼の脇に座り、通りの音の混ざり方を確かめていたそうだ。鳥の足音、遠くの子どもの声、観光客の話し声。
普通の街のはずなのに、通りのざわめきが耳の奥で平たく潰れ、厚みがなく聞こえていたらしい。
この時点で彼の視界の端には、ずっとひっかかる揺れがあったという。形ではなく、空気の“継ぎ目”のような滲みだったと。

通りを歩き始めると、彼は前回と同じように、観音前のアーケードへ入り、土産物屋の軒先の匂いを確かめながら進んだ。
何十回も歩いたことのある道なのに、ひとつだけ違う点があったという。
角を曲がった瞬間の温度が急に落ちた。秋口の夕方ほどの冷えが、昼の真ん中にさっと乗ってきたと。
ほんの数歩で元に戻る。しかし戻る少し前で、彼は足を止めたらしい。
前回、あの骨董屋を見つけた時と同じ冷え方だったからだ。

彼は周囲を見た。人はいる。
だが、前回「誰もいなかったはずの通り」に入ろうとすると、通りに続くはずの路地が、なめらかに歪んで見えたという。
枝道のはずが、今は倉庫の壁に塞がれていた。貼られた古いポスターの角がわずかに剝がれ、そこから風が抜けていくのが見えた。
だが彼は言った。
「そこでは風は吹いていなかったはずだ」
以前、その路地に入った時、服の端は揺れなかったのだと。

その瞬間、彼は気づいたらしい。
自分の視界が“探している形”に寄っていけばいくほど、街の輪郭のほうが微細に逃げていく。
迷っているのはこちらではなく、街の方なのではないか――そう感じたと。

彼はさらに歩いた。
建物の隙間を覗き込み、路地に続きそうなところを指で辿り、匂いの途切れ方を確かめたらしい。
たしかに、ひとつだけ奇妙な角があったという。
周りが焼き鳥の匂いで充満しているのに、その角だけ匂いが薄い。
空気が素通りしている感触。
まるでそこだけ、街の皮膚がひと欠片、剝がれているような無臭だったと。

彼はそこに足を踏み入れた。
すると、角を曲がった瞬間、世界の音が一度だけ吸い込まれたらしい。
呼吸の前に、肺だけが膨らむ不可思議な感覚があったと語った。

次の瞬間、彼の前には、見覚えのあるマンションの一階があった。
外壁のくすんだ薄茶、郵便受けに貼られた色の抜けた名札。
そして――ガラス張りの、あの真っ暗な店。

ガラス越しに覗いても、やはり照明はついていない。
しかし前回より、黒さが濃い。
奥の奥に、凹むような闇が沈んでいる。
まるで、店の形をした穴がそこに口を開けているようだったと彼は言った。

ガラスに近づくと、冷気が頬に触れた。
温度ではなく、質感としての冷たさ。
彼が指を伸ばした時、ガラスがかすかに曇ったという。
吐息ではない。彼の指先とガラスの間に、何か薄い膜のようなものが存在しているようだったらしい。

その膜が、ゆっくりと、呼吸のように膨らんで、しぼんだ。

そこで彼はようやく気づいたという。
ガラスの向こう側から、ほんのわずかに「光」が動いた。
照明でも外光の反射でもなかった。
湿った眼のような、表面に浮く光沢だけが、闇の底でほんの一瞬、揺れた。

彼は反射的に後ずさりした。
背中に冷たい影がくっついたような重さがあり、足が地面に沈む感じがしたという。
そして気づいた。
今度は通りに“誰もいない”。

前回と同じだ、と彼は思ったらしい。
いや、前回以上だった。
通り全体の色が、ひとつ分だけトーンを落として見えたと。

そのとき、ガラス越しの闇の奥で、何かがゆっくりと動いた。
形は見えない。
だが“こちらの背中の角度に合わせて”頭を傾けたような気配だけがあったと、彼は語った。

彼は逃げようとした。
しかし足が半歩遅れた。
片足の甲の上に、冷たい風がひとすじ落ちてきたからだという。
風向きと逆だった。
本来吹くはずのない方向から、何かがすぐ近くで息を吐いたような、湿り気を含む冷たさだったと。

その瞬間、彼は視界の端で“通りが揺れた”と感じた。
建物の縁が微細に振動し、歪み、それが静かに元に戻る。
その揺れ方が、まるで何かが通り全体を撫でた後の波紋のようだったと。

そして、彼は気づいた。
揺れが戻る位置が、先ほどと違う。
街の“地の形”が、ほんの少しだけ、違っている。

彼は逃げるようにその場を離れたという。
角を三つ曲がったあたりで、ようやく人の声が戻ったらしい。
振り返ったが、もうあの通りは見えなかった。
ただ、ポケットの中のスマホが、妙に温かくなっていたと。

帰宅した彼は、その日の夜になってようやくスマホを開いたらしい。

地図アプリを立ち上げると、履歴に“表示できない地点”がひとつだけ残っていた。
前に消えていたはずなのに、その日は復活していたという。

しかし、その地点を押すと、画面の中央に小さな黒点が出てきた。
ストリートビューは見られない。住所情報もない。
ただ黒点が、ゆっくりと脈打つように明滅するだけだったと。

そして、彼は声を潜めて言った。
「その黒点、薄く反射してた。……あの店のガラスの、曇った部分みたいに」

そこまで話すと、彼は言葉を切った。
喉の奥に何かが貼りついたように動かなくなったらしい。
しばらく沈黙してから、ぽつりと漏らした。

「たぶん、あれ、店じゃなかったんだと思う」

彼の言葉の意味を聞く前に、スマホが震えた。
着信ではない。通知でもない。
画面が勝手に明るくなり、地図アプリが起動し、あの黒点だけが中央に拡大されていたという。

黒点の輪郭がゆっくりと滲む。
それは店の形をしていた。
しかし店の内部は、建物の間に残った“影の余白”のようだった。

そして彼は最後に、こう言った。

「……あの日、通りが揺れたろ。あれ、向こうが**こっちに寄ってきた**んだと思うんだ。
店を探してたのは俺じゃなくて、向こうだったんじゃないかって」

話を締めたあと、彼はスマホの電源を落とした。
だが翌朝、起動すると、ホーム画面の隅に小さな黒点が浮かんでいたという。
アプリでも通知でもなく、触っても消えない黒い染み。
それが、彼の指先の動きにあわせて、わずかに角度を変える。

――まるで、ガラスの向こうからこちらを覗くように。

その後、彼は大須へは行っていない。
しかし黒点は、日によってわずかに位置を変えるという。
画面の端から端へ、じわりと移動する。
あの日見た通りが、今もどこかで形を変えながら、彼の生活の近くを漂っているように。
彼は最後に、こう漏らして話を終えた。

「……あれは道を探してる。次に“開く場所”を探してる。
俺が見つけたんじゃない。向こうが、俺を見つけたんだと思う」

そう言った時の彼の指先は、妙に冷たかったという。

[出典:311 :本当にあった怖い名無し 警備員[Lv.8] (ワッチョイ 0d37-vurs):2025/03/15(土) 12:16:43.34ID:mJxvl8c70]

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