今でもあの夜の影を思い出すと、胸の奥が微かにざわめくような気配が立ち上がる。
家の壁を這っていたのは、ただの幼虫ではない。幼い私が無邪気に「どこ?」と探していたものは、今ふり返ると、輪郭の曖昧な“何か”の痕だった。
家は築年数の古い平屋で、木材が乾ききらず、指で触れるとわずかに湿りが返ってくるような壁だった。夜になると天井の梁がかすかに鳴り、その下を冷たい風が細く通っていた。風が止むと、耳の奥に自分の脈だけが響く。廊下の電球は白熱灯で、ゆっくり明滅しながら、影をゆらゆらと長く引き延ばした。
壁にその影が現れたのは、決まって夕食が終わり、家族が自室に散った頃だった。光の向きからして、物理的な“元”があるはずなのに、どの角度を探しても本体は見えない。ただ影だけが、ねっとりとした輪郭を保ちながら移動していく。
その影の形は、どこからどう見ても大きな幼虫だった。手のひらを広げても収まりきらないほどの長さで、節ひとつひとつが呼吸のように膨らんだり萎んだりしていた。
不思議なのは、部屋を暗くしてもその影が薄れないことだった。むしろ闇の方が輪郭を明瞭にし、まるで自ら発光しているかのように滑らかに伸びていく。
台所の蛍光灯を消しても、影だけはそのまま。扉の向こうの父の寝息さえ、遠い水底の泡のように小さく聞こえた。
壁紙には古い石鹸の匂いと、湿り気を帯びた木の香りが染み付いていた。その中に、ときおり、土を濡らしたばかりのような匂いが混じった。影が現れるのは、決まってその匂いが漂う時だった。
私は当時、昆虫が好きで、影の幼虫にも同じ感覚で接していた。指先で追おうとしても触れられず、影はただ逃げるように伸びていく。触れられないのに、そこに質量だけはあるように見えて、どう言い表せばいいのか幼心にも不思議だった。
夜、布団に入ると、父の体温が布越しに伝わる。父はいつも私の質問に短く答えた。「あれはおまえを守りに行ってるんだよ」。その声は低く、眠気の底から引き上げるような響きがあった。
私はその言葉の意味を深く考えなかった。ただ、父に身を寄せながら、布団の中の空気がじんわり暖まっていくのを感じていた。影が現れる夜は、いつもより寝つきが早かった。背中のあたりに、ゆるい安心が沈んでいくようだった。
これまで何度も肺炎で入院し、病院の匂いを覚えてしまうほどだった私は、影が現れ始めてから、なぜか急に寝込まなくなった。息を吸うたびに肺が泡立つような感覚もしばらく途絶えていた。
ただ、それを不気味と感じることはなかった。むしろ、息の入り方が軽くなった日の朝、私は窓辺の風を深く吸い込み、内側がすうっと広がるのを確かめていた。
父の言葉が、どこか胸に引っかかる瞬間もあった。「守る」というのは、どういう動きなのだろう。影はいつも壁を這うだけで、私の布団に寄り添うわけでもない。私が眠る前に姿を消すことも多かった。
それでも私は気にせず、「守ってる」という言葉を曖昧に受け止めたまま、影の方向をじっと見続けていた。
影を見ると身体が少し緩むのは、期待のようなものだったのかもしれない。熱の気配が遠ざかっていく日に、理由のわからない安堵が胸の底で揺れていた。
反面、その影に触れられないもどかしさや、誰にも説明できない孤立感もあった。両親は影の存在を覚えていないと言う。父の返答だけが、私と影を繋ぐ唯一の線だった。
影が動くたび、私の眼球の奥が微かに疼いた。光では説明できない刺激が、じんわり走る。幼い私はそれを「影がこっちを見てるんだ」と考えた。
身体が少しあたたまる夜もあれば、足先だけ冷えて眠れない夜もあった。その温度の揺れが、影と関係しているように感じる時があった。
影が現れた日の翌朝は、必ずといっていいほど、身体の節々が軽かった。階段を降りる時、膝の裏に残るはずのだるさが消えていた。
そのたび、私はふいに視線を壁へ向けた。見ると影はいない。いないとわかっていても、探してしまう癖だけが残った。
だが小学校高学年のある日、私は影の“本体らしきもの”を外で見つけてしまう。
その日が、影の働きの意味を反転させる転機になるとは思いもしていなかった。
あの日、下校路にある植え込みの影が、やけに濃かった。
午後の陽が沈みかけ、地面の色が急激に冷たくなる頃、路肩に何か転がっているのが見えた。
近づく前から、胸の奥がひりつくようなざわめきが走った。あの湿った土の匂いと、家の壁で見た影が漂わせていたものが、風の中に紛れていた。
それは緑色の巨大な幼虫だった。地面の砂利に押しつぶされず、むしろそこだけ湿りが残っているようで、身体の節がゆっくり脈打っていた。
私は無意識に膝を折り、顔を近づけた。ふわりと、家の壁に見えていた影と同じ輪郭が脳裏をよぎった。
ただ、その実体は、影よりもずっと重々しく感じられた。
普段なら両手で包み込んで家へ持ち帰るところだが、指先が勝手に止まった。触れたら駄目だ、と身体の深いところで誰かに言われたような感覚があった。
それでも家へ連れて帰りたい気持ちは抑えきれず、ためらいの末、靴先でそっと転がすことにした。
幼虫は蹴るたび、ゆっくりと向きを変え、地面に擦れる音がほつれた糸のように細く響いた。数歩と進まないうちに、緑だった体表がじわじわと黒に染まりはじめた。
濡れた墨が滲むようなその変化は、陽の位置とは無関係に進み、節の隙間に溜まる影がどんどん濃くなった。
「死んじゃったのかな」と思った瞬間、目の奥に刺すような痛みが走った。まるで光を急に浴びた時のような刺激だったが、周囲は薄暗く、光源はなかった。
涙が止まらず、視界が波打つ。幼虫を気にする余裕は消え、私は駆け足で家へ向かった。
家に着く頃には、まぶたが破裂しそうに腫れ、視野が霞んでほとんど見えなかった。靴を脱ぐ時、足裏の触覚だけがやけに鋭く、世界がその一点に寄っていくようだった。
父も母も驚いていたが、病院へ連れて行く話は出なかった。家にある薬を塗り、冷たいタオルで目を覆うと、痛みは次第に鈍くなっていった。
翌朝、腫れは引いたが、明らかに見え方が変わっていた。遠くが滲み、輪郭のはずが煙のように揺らいで見える。鏡を見ると、黒目の縁がわずかに濁っていた。
その日を境に、家の壁にいた影が完全に消えた。光を変えても、廊下の電球の下でも、どこにも現れない。
影がいた場所からは、湿った土の匂いだけが消えていた。代わりに、空気が急に軽くなったような、どこか乾いた感触が残った。
影が消えた途端、私は再び原因不明の痛みに襲われるようになった。
目の痛みは周期的に戻り、耳の奥が熱を帯びて腫れることもあった。
まるで何かが身体の内側でゆっくり蠢き直すようで、そのたびに以前の影の脈動を思い出した。
両親に影のことを話しても、二人とも「そんなものはなかった」と言い切った。
「一緒に見たじゃない」と言っても、父は苦笑いを浮かべ、「疲れてるんだよ」とだけ言った。その目は、何かに触れないようにしている人の目つきに思えた。
私はそれでも、影が戻らないかと壁を眺め続けた。夕暮れ時、明るくもなく暗くもない時間帯、壁の木目がわずかに揺れたように見えることがあった。
だがそれは、幼虫の輪郭を成すには弱すぎ、私の願望の断片にしか見えなかった。
夏休みの夜、布団の中でじっと横になっていると、目の奥の古い傷のような痛みが静かに浮かび上がった。痛みと共に、かすかな脈動が瞼の裏で明滅する。
まるで影が、もう一度そこに宿ろうとしているみたいだった。
私はふと、父が夜な夜な囁いていた言葉を思いだした。「守りに行ってるんだよ」。
その言葉の意味は、影がどこかへ“行く”ということではなく、私のどこかに“入る”ことなのではないかと、直感した。
緑の幼虫を蹴って黒く染めてしまったあの日、私の目に走った痛み。あれは外側を追い払った反動として、内側へ戻る道を開いてしまったのかもしれない。
影が消えたのではなく、私の視界が影を外に置けなくなっただけなのかもしれない。
影が現れなくなった夜、瞼を閉じると、薄暗い空間を何かが這う音が微かに聴こえる。節と節が擦れる、あの細い音が内耳の奥でわずかに震えている。
それは幼虫の影よりもずっと近く、息を吐くたびに胸の内側をゆっくり触れていく。
そして今、私は気づきはじめている。
あの影は“家”を這っていたのではなく、“私”を這っていたのだと。
幼かった私は、自分の輪郭の外側を動くそれを、家の壁だと勘違いしていただけなのだ。
父が言った「守りに行っている」という言葉は、単純な優しさではなかったのかもしれない。
私の身体が弱り、影が外へ溢れそうになるたび、父はそれを見ていたのだろう。
影はいつも、私が眠る頃、そっと元の場所へ戻っていたのだ。
だから両親は影を覚えていない。
父が添い寝をしなくなった頃、影は帰る道を変えただけで、消えたわけではなかった。
影は今も、視界の端の濁りの中で微かに脈打っている。
あの時、外の幼虫を蹴り続けて黒く変えてしまったのは――
私が、自分の外側にいた“私の一部”を、無理に連れ戻そうとしただけなのだ。
影はもう、壁には宿らない。
私の内側に戻る道を見つけた以上、外に出る必要がなくなったのだ。
[出典:823 :本当にあった怖い名無し:2012/08/09(木) 08:05:05.31 ID:hPOzUTwp0]