義父は外面だけは穏やかな男だった。
近所では「無口で真面目な人」と評されていたらしい。しかし家の中では違った。義母と一人娘である俺の妻に対し、機嫌ひとつで怒鳴り、殴り、物を投げる。湯飲みの置き方、味噌汁の温度、返事の間。理由は何でもよかった。
妻は結婚を機に家を出た。それだけで夜眠れるようになったと言っていた。長年、家の中で呼吸を浅くして生きてきたのだろう。残された義母は、暴力の矛先を一身に受けることになった。
やがて義母は睡眠薬を大量に飲み、未遂に終わる。次は酒をあおって山の展望台から飛び降りた。奇跡的に生き延びたが、頸椎を損傷し長期入院となった。警察からの連絡で駆けつけた俺に、義父は言った。
「死んでも葬式なんか出さん」
その一言で、俺はこの男に一切の期待を捨てた。
義父は人工透析を受けながら市営住宅で暮らしていた。家事はせず、家政婦を雇い、年金はすべて自分のものだと主張する。義母の医療費や介護費用を説明しても、「盗んだだろう」と騒ぎ、警察に電話する。支離滅裂な言動は増え、家政婦への暴言とセクハラも止まらなかった。
施設入所の手続きを進めながら、俺は通帳を管理した。親族の了承も取った。義父は「十五万よこせ」と怒鳴ったが、渡さなかった。金は治療と生活に使われるべきであって、酒と見栄のためではない。
ある日、入院準備のため部屋を整理していると、居間のあちこちに紙片が挟まれているのを見つけた。「○○は悪い奴」「金を盗まれた」「呪ってやる」。なぜか自分のシャチハタまで押してある。誰に見せるつもりだったのか。証拠か、遺書か、それとも被害者である自分を演出するためか。
俺はすべて集め、ベランダで燃やした。十二階から灰を風に乗せた。感情の整理でも呪い返しでもない。虚偽の記録を残させないためだ。最後まで加害者でありながら被害者を装う、その構図を断ち切りたかった。
ほどなくして、義父は無気力になり、暴言も減った。透析設備のある山奥の病院へ転院が決まり、俺が車で送った。道中、義父は黙り込んでいた。問いかけても答えない。怒鳴る元気もなかった。
入院から一か月後、多臓器不全で死んだ。
葬儀は最小限で済ませた。義母はまだリハビリ中で出席できなかった。妻は式場の隅で、ただ静かに立っていた。
俺は棺を見下ろしながら思った。この男は最後まで、自分が何を壊したのか理解しなかっただろう。
だが、壊された側は生き続ける。
それで十分だ。
[出典:116 110 sage 2012/03/24(土) 15:18:22.76 ID:PTsjFvjL0]