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空白の一年とひまわり畑 r+3,187

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風邪をひいていた。身体の芯がずっと冷えていて、骨の奥で氷が溶けないような感覚があった。

その日、耐えきれず大久保の病院へ行くことにした。西武新宿線の吊革に片手をかけ、電車の揺れに合わせて身体を預ける。頭はずっと重く、ぐわんぐわんと鼓動のような痛みが内側から響いていた。まぶたを閉じ、眉間に皺を寄せて、その波をやり過ごそうとしていた。

……そこで、記憶が途切れた。

次に気がついたとき、夕方だった。
あたりは見知らぬ街並み。冬とも夏ともつかない、湿った空気。立っていた場所も、着ている服も、自分の記憶とは一致しなかった。買った覚えのない服。鏡代わりにラーメン屋の窓に映る自分を見て、さらに混乱した。髪が茶色く染まっている。染めたことなど、一度もなかったのに。

足が勝手にその店の戸を開けていた。湯気の向こうで、店主がこちらを見る。
「ここ、どこですか」
それは思わず漏れた声だった。

大阪市――福島駅の近くだという。耳に馴染まない地名に、頭がついていかない。
さらに衝撃だったのは、時間が一年近く経っていたことだった。

ポケットから携帯を出した。形が違う。持っていたはずの機種ではない。アドレス帳には「ま」「ひ」など一文字の名前が十件ほど並んでいたが、家族や友人の番号は一つもなかった。それらの知らない番号を、なぜか直感的に恐ろしく感じ、川へ投げ捨てた。

警察に行き、実家へ連絡を取ってもらった。受話器の向こうで母が泣き声をあげる。捜索願が出ていた。私は一年間、行方不明だったのだ。

家に戻っても、何も思い出せなかった。元の会社には戻れず、今は派遣で働いている。月に一度、精神科に通っている。医師は「心因性健忘」とだけ言った。だが、自分ではもっと物理的な理由――心臓振盪(しんぞうしんとう)――のような現象を疑っている。胸を植木鉢台か何かに強くぶつけた衝撃で、心臓が一瞬不整脈を起こし、脳への血流が途絶えたのではないか。

血流が途切れた前頭葉は、生きる上では致命的ではないが、性格や記憶に深く関わる。もしそこが損傷していたなら、あの空白の期間に私が何をしていたのか、完全に消えてしまっていてもおかしくない。母も昔、同じように半年ほど記憶を失っていたことがある。交換日記をしても、それを覚えていなかった。

だが私の空白は、半年どころではない。

一度だけ、あの一年間の断片が夢に出てきたことがある。
見知らぬ部屋。壁には誰かの写真が無数に貼られている。笑っている顔もあれば、こちらを睨みつけている顔もある。その中に、自分がいる。茶髪で、見覚えのない服を着て。隣には、顔にモザイクをかけたように思い出せない人物が立っている。

それだけだ。目が覚めても、鼓動は早く、吐き気がした。

その後も生活は続いたが、ある日、奇妙な出来事があった。
派遣の帰り道、駅で人混みの向こうに姉の後ろ姿を見つけたのだ。姉は、もう十年以上会っていない。実家に帰ったとき、母に姉のことを尋ねても、必ず話を逸らされた。

気づくと私はその背を追っていた。姉はどんどん歩いていき、やがて見知らぬ路地に入った。引き返すよりも前へ進むことを選び、気づくと長いトンネルの入口に立っていた。中は薄暗く、出口らしき光が遠くに見えた。

進んでも進んでも、その光は近づかなかった。姉の背中も見えなくなった。時間の感覚が失われ、二時間は歩いたと思ったのに、外はまだ明るいままだった。やがて背後から誰かが走ってくる気配がした。振り向かずに全力で前へ駆けた瞬間、出口の光が急に近づいてきた。

飛び出したそこは、見渡す限りのひまわり畑。一本道の向こうに田園が広がっていた。農家の家に助けを求め、電話を借りると、番号は「現在使われておりません」と告げた。警察に連れて行かれると、住所は自分のものなのに、そこは見たことのない街だった。

両親はいた。だが、姉はいなかった。

あの日見たのは、本当に姉だったのか。
それとも、あの一年間に私のそばにいた「誰か」だったのか。

その答えは、まだ出ないままだ。

[出典:31 :おさかなくわえた名無しさん:2005/06/27(月) 09:45:58 ID:vLg9Gq2N]

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