子供の頃、神社で遊んでいた。
家から歩いて七分、裏はすぐ山だった。鳥居をくぐると、昼でも薄暗い。社殿は小さく、参拝客もほとんどいない。名前はもう思い出せない。ただ、裏手の造りだけは、今でもはっきり覚えている。
社殿の背後に、土が盛り上がった一角があった。自然にできた丘ではない。登ると足裏に硬さが伝わる。踏み固められ、形が揃いすぎていた。上から見下ろして気づいた。あれは正五角形だった。
辺はまっすぐで、角は鈍く崩れているのに、全体は崩れない。子供の目にも、偶然ではないと分かった。それでも意味は知らない。だから僕らはその上で戦いごっこをし、相撲を取り、転げ回った。決まって、誰かが塚の中心に立ちたがった。
社の横から山へ続く細い道がある。獣道のようで、少し進むと空気が変わる。奥に、石組みの井戸があった。これも正五角形だった。縁は低く、覗き込むと底は見えない。水面は黒く、光を返さない。
喉が渇くと、僕らはそこへ行った。山に入る前、なぜか必ず「一口だけ」と決めていた。誰が言い出したのか覚えていない。決まりだった。手ですくって飲む。冷たい。甘いようで、土の匂いが混じる。飲み込むと、体の熱が引く。二口目は飲まなかった。飲めなかったのかもしれない。
僕は昔から、変な子供だったらしい。
祠の前を通ると、背後に足音を感じる。振り向くと、藪の中に白いものが消える。寺社では喉が渇き、頭が重くなる。近所の老婆は笑って言った。「犬を連れてる子だね。ちゃんと護りなされ」
意味は分からなかったが、やがて山伏に会わされた。歩き方、息の整え方、護摩の作法を教わった。吉野にも連れて行かれた。だが、あの神社の話は、ずっとしていなかった。
あるとき、ふと口にした。五角形の塚と井戸のこと。山伏は遮らず、最後まで聞いた。その場では何も言わなかった。
数か月後、神社で神事があった。見慣れない白装束が境内に立ち、読経と祝詞が重なった。裏手の塚へ向かう一行の足取りは重い。僕らは木陰から見ていた。風はないのに枝葉が揺れ、土が鳴る。塚の中心に立った僧が、何かを低く唱えた。言葉は聞き取れない。ただ、土がかすかに震えた。
その夜、井戸は縄で囲われた。
後日、山伏は言った。「あの塚は、本来、近づくものではない。子供であったことは関係がない。関係があるとすれば、近づけたという事実だけです」
井戸の水についても尋ねた。「……水は、出ていましたか」
出ていた、と答えると、彼は視線を逸らした。「記録では、何十年も前に涸れています。地元で水を飲んだ者はいない」
慈悲だとか、赦しだとか、そういう言葉は使わなかった。代わりに、こう言った。「五角形は、封じる形でも、呼ぶ形でもある。どちらかは、形だけでは決まらない」
それきり、神社の裏には立ち入り禁止の札が立った。井戸は板で覆われ、塚の上には入れないよう低い柵が設けられた。やがて僕らは成長し、遊び場を失った。
怪我はしなかった。誰も倒れなかった。ただ、あの味だけは残った。
大人になってから、五角形を見ると喉が渇く。
建物の意匠、路面のひび、子供の落書き。形を認識した瞬間、口内が乾き、冷たいものを一口欲する。飲めば収まるが、二口目は飲めない。
夢を見る。井戸を覗き込む。水面は黒い。覗いているのは自分のはずなのに、底からこちらを測る視線がある。手を伸ばすと、水面がわずかに盛り上がる。形は五角形のまま、静かに歪む。
最近、息子が紙に図形を描いていた。星ではなく、角を結んだだけの五角形。理由を尋ねると、「なんとなく」と言う。山へ行こうとせがむことが増えた。喉が渇く、とも言う。山に入る前、「一口だけ」と呟いた。
教えていない。決まりは、伝えていない。
あの井戸は、もう水がないはずだ。板で覆われ、縄で縛られ、誰も近づけない。けれど、形は消えていない。形は残る。封じたつもりのものも、呼んだつもりのものも、形だけは残る。
あの五角形の底に、何があったのかは分からない。分からないまま、僕は一口だけ飲んだ。二口目を飲まなかった理由も、思い出せない。
今も、ときどき喉が渇く。水を含むと、体の熱が引く。甘いようで、土の匂いが混じる。美味いとも、不味いとも言えない。
ただ、一口で足りる。
足りているのかどうかは、分からない。
井戸の底から、誰かがこちらを数えている気がする。
[出典:186 :本当にあった怖い名無し:2006/01/01(日) 13:43:22 ID:owCMNkWP0]