これは、ある男性が三年前に関西へ出張に行った際に体験した出来事だ。
その日は、仕事が予想以上に長引き、ホテルにチェックインできたのは午前二時半を回っていた。深夜の疲れた体で、彼はエレベーターに乗り、自分の部屋のある階へと向かった。到着した階の廊下は、暗くひんやりしていたが、ビジネスホテルらしい普通の造りだ。エレベーターの前にあった案内プレートには「左の廊下」と示されている。彼はそれに従い、曲がり角を進んだ。
曲がってすぐ、一番奥の部屋と自分の部屋があるあたりに、ふと人影が見えた。遠目に見えるのは二人の人影。老人のような姿に見えたが、こんな夜更けに年配の女性が廊下に立っているなど、少し異様な光景だった。こんな時間にいったい何をしているのか――疑問に思いつつも彼はそのまま廊下を進んでいった。
だが、歩みを進めるごとに、空気が少しずつ冷たく、重くなっていくのが感じられた。異様な寒気が骨にまで染み渡る。近づくにつれ、二人の姿もはっきりと見えてきた。二人の老人はおそらく六十代か七十代ほどの女性で、髪はきちんとセットされ、服装は青い分厚い着物を羽織り、モンペのようなものを履いていた。
異様だったのは、彼女たちの目の周りだ。顔の中心が真っ黒にくぼんでいる。まるで両目が無いようで、顔面が異様な凹みを持っていた。
胸が激しく脈打つのを感じながらも、足を止めることはできず、早足で部屋番号を探し続けた。しかし、彼の不安とは裏腹に、廊下はさらに冷え込む。鳥肌が腕を覆い、恐怖で心臓が押しつぶされそうな感覚を覚えた。
とうとう二人のすぐ近くまで来てしまった。二人の老人は無言で立っているが、その場の空気には、ただならぬ圧迫感が漂っている。彼女たちのすぐ脇を通り過ぎる瞬間、彼は確信した。二人には、まったく「人の気配」がないのだ。まるで生者とは違う、空虚で冷たい存在が立ちふさがっているかのようだった。
気を取り直し、急いで一番奥まで歩いたが、目的の部屋は見つからなかった。さらに探すも、部屋番号がどこにもない。ふと気づいた。おそらく方向を間違えたのかもしれない。そう思い、恐る恐る振り返ったとき、視界に信じられない光景が飛び込んできた。
二人の老人は、こちらに向きを変え、じっと自分を見つめている――いや、目が無いはずだから「見ている」という表現が正しいかはわからない。だが、彼女たちの黒く凹んだ顔が、確かにこちらを向いているのだ。背筋が凍り、全身に悪寒が走ったが、なんとか足に力を入れ、逆方向へ走り出した。
再び二人の間を駆け抜けると、聞こえたのは、耳に直接響くのではなく、脳の奥で反響するような奇妙な声だ。
「……じゃあじゃあじゃあ……」
震える手で廊下を戻り、奥の端に辿り着くとようやく自分の部屋の番号が見えた。ほっとしたのも束の間、再び振り返ると、すぐ後ろに二人の老人が立っている。彼女たちは口をありえないほど大きく開け、黒く凹んだ目とともに、異様に暗い「穴」となった顔をこちらに向けていた。
「じゃあじゃあじゃあ……」という声が再び響き渡る。それは耳を通してではなく、脳に直接叩き込まれるような、得体の知れない恐ろしい響きだった。
全身の震えを抑えながら、彼は部屋の鍵を挿し、必死に扉を開けて部屋に飛び込んだ。中に入るなり、扉を閉め、息を整えることもなくフロントに電話をかけた。錯乱した声で、何かがおかしい、不審者がいる、助けてくれ――などと必死に訴えた。
ホテルのスタッフがやってきて、防犯カメラの確認を行ってくれたが、カメラには誰も映っていなかったという。そこには、彼一人しか映っていない。映像には、不審者も、老人の姿も見当たらなかった。
以来、彼の耳には時折、あの「じゃあじゃあじゃあ……」という声がよぎることがあるという。忘れようとすればするほど、その記憶が蘇り、頭の中に奇妙な音が響きわたる。どうやら、この話を聞いた友人も、その後似たような体験をしたというのだ。
今でも、その夜の出来事を思い出すたびに、全身が凍りつくのを感じる。
[出典:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1424981423/l50]