駅前の雑居ビルの五階に、その団体の事務所はある。
表札には「再起支援コミュニティ《灯》」とある。宗教法人ではない。セミナー団体でもない。表向きは「人生の再設計を支援する市民グループ」だ。
最初は無料相談から始まる。借金、離婚、失職、親との不和。担当者は否定しない。静かに頷く。そして言う。
「あなたはまだ、本気で落ちきっていない」
落ちきる、という言葉を彼らは好む。
「中途半端に踏みとどまるから苦しい。本当に底まで落ちた人間だけが、反転できる」
ここで初めて、「反転」という概念が提示される。失敗を清算するのではない。自分を一度、社会的に死なせるのだという。
団体の中核には明確な教義がある。
「人は、自ら評価を失うことでのみ、真に自由になる」
方法は複数ある。会社を辞める。家族と絶縁する。全財産を差し出す。SNSを削除する。住民票を移す。どれも違法ではない。強制もしない。ただ、こう言う。
「今のあなたを支えているものが、あなたを縛っている」
説明会では成功例が紹介される。三千万の借金を抱えた男性が、全てを手放し団体の共同住宅に入った後、「本当の仲間」を得たという証言。鬱病で休職していた女性が、家族と距離を置いたことで「自分を取り戻した」という体験談。
彼らは具体的な数字を出す。「参加者の七割が一年以内に精神的安定を得ている」。調査方法は明かされないが、数値は繰り返される。
「怖いのは、失うことではありません。怖いのは、失わずに腐ることです」
やがて段階が進む。「断絶セッション」と呼ばれる儀式がある。参加者は壇上に立ち、これまでの人生で自分を縛っていたものを宣言する。親の期待。世間体。肩書き。貯金。拍手が起こる。
そして最後に問われる。
「あなたは、何を捨てますか」
具体的な指示はない。だが、先に壇上に立った者は、たいてい仕事や家族や財産を手放している。何も捨てない者は、その場では責められない。ただ、視線が違う。拍手の量が違う。
「本気度」が測られる。
団体は繰り返し言う。
「選ぶのはあなたです。私たちは強制しません」
実際に書面上の強制はない。だが、共同生活に入れば生活費は団体管理になる。外部との連絡は推奨されない。「反転前の関係性」は毒と呼ばれる。
途中で離脱した者についてはこう説明される。
「まだ落ちきっていなかったのでしょう」
失敗は常に個人の覚悟不足に帰される。教義は傷つかない。
ある青年がいた。起業に失敗し、自己破産寸前でここに来た。彼は最初、共同住宅に入るつもりはなかった。ただ話を聞いてもらうだけのはずだった。
だが、断絶セッションで壇上に立ったとき、拍手の中で奇妙な感覚を覚えたという。
「ここにいれば、俺は失敗者じゃない」
その夜、彼は会社を清算し、携帯を解約し、実家との連絡を断った。団体の記録では「自発的決断」とされている。
半年後、彼は共同住宅の運営側に回った。新しい参加者に同じ言葉を繰り返す。
「怖いのは、失うことじゃない」
団体の代表はよく言う。
「社会はあなたを条件付きでしか受け入れない。だが、ここでは無条件だ」
無条件、と強調される。しかし実際には条件がある。落ちること。捨てること。断つこと。それを証明し続けること。
団体を離れた女性が匿名で語った。
「外に出たら、戻る場所がなかった。全部、自分で切ったから」
彼女は団体を責めない。「選んだのは私だから」と言う。その言葉自体が教義の反復であることに、彼女は気づいていない。
この団体は「死ね」とは言わない。違法行為も勧めない。ただ、現状を徹底的に否定し、通常の再建手段を小さく見せる。その上で、極端な断絶を「純粋な選択」として提示する。
落ちることが救いだ、と直接は言わない。
だが、落ちない限り救われないと繰り返す。
彼らの本質は破壊ではない。設計だ。追い詰められた人間の思考に、「すべてを捨てる」という像を常設する。体験談、数字、拍手、共同体の温度。それらで輪郭を濃くする。
高さはない。舞台もない。飛び降りる必要もない。
だが一度、全てを断ち切った人間は、元の生活へは戻れない。
代表は最後にこう締めくくる。
「あなたがここに来た時点で、もう反転は始まっています」
相談室の壁には鏡がある。面談のたびに、その前に座らされる。背後には団体の理念が大きく掲げられている。
「本当のあなたに還れ」
鏡の中の自分は、確かに疲れている。弱っている。何かを手放せば楽になる気もする。
その瞬間、選択肢は増えたのではない。減っている。
だが本人は、自由になったと感じる。
[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]