おばあちゃんのことを書きます。
あまり書きたくないです。
でも、たぶん、ここまでの話と関係があると思います。
先週、おばあちゃんが急に亡くなりました。
家で倒れて、そのままでした。
通夜も葬式も終わりました。
白い花と、笑っている遺影。
そこだけ切り取られたみたいに、きれいでした。
でも家に戻ったら、リビングの空気が変でした。
重いというより、沈んでいる感じです。
棚の上に、あの壺がありました。
ずっと前からあった壺です。
つやつやしていて、少しだけ光を吸い込むみたいな色をしています。
誰も触りませんでした。
片づけようという話にもなりませんでした。
数日後、父と母が小声で言い合っているのを聞きました。
「なんでこんなになるまで黙ってたんだ」
「返せる額じゃない」
数字ははっきり聞こえました。
家が一つ建つくらい。
あとで分かりました。
おばあちゃんは、あの集まりに長い間お金を出していたそうです。
壺や印鑑を何度も。
「これで家系が守られる」と言われて。
借りてまで払っていたみたいです。
その夜、リビングで音がしました。
カン、と乾いた音。
金属がぶつかるみたいな。
壺のふたが、少しずれていました。
家族は誰も触っていません。
私は、触っていないはずです。
近づくと、あの匂いがしました。
濡れた鉄みたいな匂い。
中を見ないほうがいいと分かっていました。
でも、のぞきました。
暗くて、何も見えませんでした。
ただ、奥のほうで、ざら、と音がしました。
砂を少しだけ動かすような音。
そのとき、後ろで声がしました。
「まだ」
振り向くと誰もいません。
でも声は、知っている声でした。
やさしい声です。
怒っていませんでした。
「もう少し」
それだけでした。
次の日、父が通帳を机に並べていました。
赤い数字が続いていました。
その横で、机の端に丸いしみができていました。
黒っぽくて、じわっと広がるしみです。
拭いても消えませんでした。
私は、その丸を見ていて、思いました。
印鑑の跡に似ていると。
夢を見ました。
白い部屋に、壺が並んでいます。
どれも同じ形で、少しだけふたが開いています。
中は見えません。
ただ、全部の壺から、同じ声がしていました。
「まだ」
目が覚めたとき、手のひらが熱くなっていました。
前に押された印鑑の跡が、うっすら浮いていました。
消えたはずなのに。
最近、家の人数を数えるのをやめました。
四人のはずなのに、どうしても数が合わない日があります。
足りないのか。
多いのか。
どちらなのか分からなくなるからです。
借金は、お金のことだと思っていました。
でも、夜中にリビングで音がすると、
あれは数字じゃなかったんじゃないかと思います。
払うものが、まだ残っている気がします。
誰が払うのかは、聞いていません。
でも、壺のふたは、
今も少しだけ、ずれています。
[出典:608 :月うさぎ ◆x7J8mY2Q:2004/05/28(金) 23:42:26 ID:Zq3mLpXs]
[投稿者:志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]