今から十年ほど前。
世間が妙に浮ついていて、夜の街でも昼のテレビでも同じ曲が流れていた頃、俺は西新宿の雑居ビル地下にある、いかにもグレーな店で日銭を稼いでいた。
表向きは運送や清掃の派遣だが、実態は「名前を聞かないほうがいい仕事」が回ってくる場所だ。地下に降りる階段はいつも湿っていて、壁紙は人の皮膚みたいにたるんでいた。そこに集まる連中も似たようなものだ。人の名前をしているが、中身は別の何かに見えた。
その男も、そんな一人だった。顔立ちは妙に整っているのに、目の焦点が合わない。語尾に濁音が混じる喋り方が癖で、いつの間にか俺の横に立っていた。
煙草に火をつけようとした瞬間、耳元で囁かれた。
「今度さ、片付けがあんだよ」
日給十万。金曜の夜から日曜の朝まで。場所は教えられないが、山奥にある事務所跡の後始末だという。タコ部屋だったらしい、とだけ言われた。
胡散臭さはあった。だが三十万という数字は、理屈より先に体を動かす。気づいた時には、指定された場所に立っていた。
集まったのは俺を含めて三人。あとは運転と監視を兼ねた男が一人。車に乗り込むと、窓は黒く、ナビは外されていた。走り出してからも奇妙だった。高速を降りたかと思えば、意味もなく路肩で三十分止まる。携帯はすぐ圏外になった。
気分が悪くなる頃、車は山道に入った。生暖かい風が窓の隙間から入り込む。カーブのたびに胃が揺れた。
着いた場所は、産業廃棄物の処理場のようだった。金属と油と、水の腐った匂い。地面は黒く、どこが地表でどこが染みなのか分からない。
仕事は単純だった。落ちているものを拾い、まとめて燃やす。それだけだ。半日もかからず終わった。
昼飯を食い終えた後も、監視役は帰ると言わなかった。
「明るいうちは動けねぇ」
理由を聞いても、それ以上は答えない。仕方なく、俺は一人で敷地の外に出た。あの匂いから逃げたかった。
雑木林に入ると、空気が変わった。湿って重く、音が吸い込まれる感じがする。気づくと、足元に崩れた石垣と、瓦の破片が散らばっていた。何があった場所なのか分からない。ただ、長い間、人が関わっていないことだけは分かった。
携帯を取り出す。圏外。電源を切ろうとした瞬間、音がした。
「……オーン……」
遠くで、低く、伸びる音。誰かの声にも、獣の鳴き声にも聞こえない。妙に湿っている。
振り向くと、同僚の一人が立っていた。いつ来たのか分からない。顔色が悪いとか、怯えているとか、そういう印象すらなかった。ただ、目が地面を見ていた。
「ここさ」
それだけ言って、足元の土を見つめている。
音は、確かに地面の下から響いていた。そう思った瞬間、彼の手に木の枝が握られていることに気づいた。次の瞬間、土が飛んだ。
掘っている、というより、土を避けているようだった。彼自身も、何をしているのか分かっていないように見えた。声をかけるタイミングを失ったまま、俺は立ち尽くしていた。
やがて、土の中から何かが現れた。
石だった。丸い。首の形をしているようにも見えるが、断定できない。ただ、顔らしき凹凸があり、目の部分が影になっていた。
その時、音がはっきり聞こえた。
「オーン……」
石からだ。
同僚はそれを両手で抱えた。重さを感じている様子がない。そのまま、山の奥へ歩き出した。呼び止める声は出なかった。夕日が差し込み、彼の影だけが異様に長く伸びていた。
次に気づいた時、俺は産廃の敷地に戻っていた。喉が焼けるように痛い。走った記憶があるような、ないような。
車に戻ると、監視役ともう一人の同僚がいた。
「どこ行ってた」
六時間も姿がなかったらしい。俺は、さっきの出来事を話した。掘ったこと。石のこと。連れて行かれた同僚のこと。
二人は顔を見合わせた。
「そいつなら、ずっとここにいたけど」
言われて見渡すと、確かに一人多い。だが、誰が誰なのか、はっきりしなかった。
バイト代は支払われなかった。後日、店に行くと、上司が封筒を押し付けてきた。一万円だけ入っていた。
「もう関わるな」
理由は言わない。その目だけが、やけに真剣だった。
それから十年。今でも、夜中に低い音を聞くことがある。地鳴りか、耳鳴りか、判断がつかない。ただ、土の匂いが混じる。
掘った覚えはない。触った覚えもない。
だが、あの山に何が残っているのかを、俺は知っている気がする。埋まっているのは、石だけじゃない。あそこに関わった人間の一部が、まだ下で鳴いている。
[出典:64 :本当にあった怖い名無し:2014/06/27(金) 01:12:32.89 ID:YZIwNUmx0.net]