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短編 事故・事件

少年工科学校渡河訓練事故

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1964年(昭和四十三年)七月二日、陸上自衛隊少年工科学校(現陸上自衛隊高等工科学校)がその日、三年生のある区隊の午後の課業は野外戦闘訓練だった。

天候は梅雨真っ只中の雨。

最初は訓練場にて訓練を行っていたが、先任教官の思いつきで予定変更し、当時『安らぎの池』と言われていた人工池で渡河訓練を行うことに。

当時、安らぎの池は降り続いた雨の影響もあり水かさが増していたが、先任教官は決行を決意。

区隊員数十名を連れ池に入って行った。

区隊員の服装は乙武装で、作業服にテッパチ、弾帯を付け、M1ライフルを携行していた。

当然、作業服は水を吸って重くなり、泳ぐことが困難になる。

さらに銃は肌身はなさず持っていなければならないという鉄則があるので、重りになる銃も離せない。

先任はともかく、そんな経験のない区隊員は、

「銃を離さなければやばい。だが離せばキツい罰直が待っている」と半ばパニックに。

池の中ほどまで進んだ時、溺れる者が続出。

さすがにマズいと思った教官および区隊員で救出に当たったが、一〇数名が水中に没し、さらに救出のために池に入った区隊員一名も行方不明に。

その後陸上自衛隊各隊や、海上自衛隊の潜水員も動員し救出活動に当たったが、結局13名が死亡した。

今は安らぎの池は埋め立てられ、慰霊碑が立っている。

何度かその場所に建物を建てようとしたが、毎回必ず作業員が原因不明の怪我等をし、毎回中止になっている。

また、毎年七月二日に慰霊祭が行われるが、前日に工科学校の生徒がおかしくなることがよくあるらしい。

当時の増田国務大臣(防衛庁長官)の国会での報告内容(抜粋)

去る七月二日発生いたしました陸上自衛隊少年工科学校生徒の訓練事故において、前途ある純真なる少年生徒十三名のとうとい犠牲者を出しましたことは、まことに遺憾にたえませんことをここに表明いたします。この事故について、その概要を御説明申し上げます。

少年工科学校三年在学の生徒の一部七十八名は、七月二日午後一時から、同校内において、当日の先任教官田村一尉の指揮のもとに教官高林二尉及び助教四名の指導により、雨中、野外の戦闘各個訓練を実施していたのでありますが、田村一尉は午後二時ころ、臨時に、同校内のため池、通称やすらぎの池を川と見立てて、夜間の渡河動作訓練を行なうことを決心し、午後二時三十分ころ渡河を開始したのであります。

そのときの生徒の服装は、作業衣に弾帯をつけ半長靴をはきM1ライフル銃を背負った姿でいわゆる乙武装であり、隊形は池の西側寄りに南北に展張したロープを境に東側に三区隊の主力、西側に四区隊の主力がおり、北側の岸辺に蝟集しておりました。生徒は田村一尉を先頭に、やや蝟集した隊形のまま池の北側から一斉に水に入りました。そして先頭グループが池の中ほどに達したころからおぼれる者が出始め、生徒の相当数が中ほどに差しかかったとき、おぼれる者がふえ、泳ぎに困難を感じて北岸に引き返そうとする者、近くの西岸に泳ぎ着こうとする者、ロープ伝いに岸へたどり着こうとする者等が続出したのでございます。

教官、助教は事態の重大さに驚き、直ちに岸にいた者に溺水者の救助の指示するとともに、みずからも池の中に入り救助活動に全力をあげました。訓練実施部隊を主とするこの初動救助活動により、事故発生後五、六分でおぼれかかった八名をはじめ、水没直前にあった生徒二名が救助され、水没直後の一名が発見されました。その後急を聞いてかけつけた副校長をはじめ学校幹部、教官、生徒等が逐次事故現場に到着し、海上自衛隊横須賀地方隊の水中処分隊員の応援も加え、総勢約五百名をもって救助活動を続行し、午後四時二十五分ころまでにさらに濁水者十二名を逐次発見、これらの者について直ちに医官、職員、生徒による人工呼吸、注射等の応急措置を行なった後、病院に後送してさらに手当を加えたのでありますが、そのかいなくついに生徒十三名が殉職いたしたのでございます。

(以下略)

出典:http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/059/0020/05908230020004c.html
第五十九回国会 内閣委員会 第四号より

(了)

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