鹿児島県の奄美大島の横にある喜界島出身の先輩から聞いた話だ。
先輩の実家の集落の外れに、使われなくなった病院があるという。建物は小さく、昔は普通の個人病院だったらしい。廃業の理由ははっきりしない。ただ、地元では「写真だけがおかしくなる場所」として知られていた。夜に物音がするとか、幽霊を見たという話はない。写真を撮ると、なぜか変になる。それだけだ。
先輩は学生の頃、友人たち数人とそこへ行った。昼間だった。立ち入りは禁止されていて、中には入れない。フェンス越しに見ると、ただの古い建物で、特別な雰囲気はなかった。
「つまらないな」
誰かがそう言い、記念に写真でも撮ろうということになった。病院を背にして何枚か撮り合い、それで終わった。怖いことは何も起きなかった。
数日後、現像した写真を受け取った。
廃病院の前で撮った写真だけが、すべて白くなっていた。光に焼かれたような白さで、人影も建物も消えている。他の場所で撮った写真は普通だった。
最初は失敗だと思った。だが、よく見ると完全な白ではない。濁った紙の奥に、かすかなムラがある。
「これ、何か写ってないか」
一枚を指でなぞると、薄い影のようなものが見えた。輪郭がなく、形も定まらない。ただ、そこに「並び」があった。偶然とは思えない間隔で、影が連なっている。
誰かが言った。
「字に見えない?」
はっきりとは読めない。読もうとすると、すぐに形が崩れる。それでも、写真全体に大きな文字が浮かんでいるように感じられた。
その時、先輩の一人が病院の名前を口にした。
「……あそこ、何て病院だっけ」
誰も答えなかった。名前を出すのをためらう空気があった。
写真を見返すたびに、影の並び方が違って見えた。ある時は文字のように、ある時は人の形のように見える。共通しているのは、白衣の色だけだった。
先輩は言っていた。
「近づいて撮った覚えはない。でも、遠かったとも言い切れない」
その写真は、しばらく先輩の部屋に置かれていたらしい。ある日を境に、誰も話題にしなくなった。
私は一度だけ、見せてほしいと言ったことがある。
先輩は少し考えてから、こう言った。
「やめといたほうがいい。あれ、見るたびに距離が変わるから」
それ以来、その写真を見せてもらっていない。
残っているのかどうかも、聞いていない。
(了)
