その日、俺は再びあいつに出会った。
火曜日だけ、体育館は使えなかった。バレー部が優先で、俺たちバスケ部は校舎裏から道路を渡り、古い公園まで走らされる。アスファルトの照り返しと土埃の匂いの中で、無言のまま腹筋と腕立てを繰り返す。誰も文句は言わなかった。そういう決まりだったし、逆らえば練習量が増えるだけだと、全員が知っていた。
その公園に、いつからか女が現れるようになった。
髪は絡まり、色の抜けたワンピースは汚れていた。年齢は分からない。若くも見えるし、妙に老けても見える。ベンチに座っているわけでもなく、遊具を使うわけでもない。ただ、公園の端に立ち、俺たちを見ていた。
最初は誰も気にしなかった。見ないふりをするのが正解だと、全員が無言で理解していた。だが女は、毎週そこにいた。俺たちが公園に着く前から、もう立っている。練習が終わるまで、位置を変えず、視線だけを向けてくる。
視線は重かった。刺すようでもなく、怒りでもない。懐かしむようで、同時に品定めするような、用途の分からない目だった。
そのうち、視線は俺だけを追うようになった気がした。気のせいだと思おうとしたが、体を動かすたび、背中にぬるい感触が貼りつく。振り返ると、必ず目が合った。逸らしても、次に見たときには、また合っている。
雄二が怒鳴ったのは、夏の盛りだった。
「おい、あんた。見てんじゃねーよ」
唐突で、場違いな大声だった。誰もが一瞬、動きを止めた。雄二は短気だが、普段は余計なことをしない。その雄二が、女に向かって一歩踏み出していた。
女は何も言わなかった。視線を落とし、口元を歪めただけだった。その表情が、怒りなのか、失望なのか、俺には分からなかった。
その日、女は最後までそこにいた。
翌週、公園に女はいなかった。空気が軽くなった。誰かが笑い、誰かが冗談を言った。練習は妙に捗り、俺も、背中の感触を感じなかった。
終盤、水道で顔を洗うために雄二が列を外れた。俺は腕立ての合間に、何気なくそちらを見た。
女が、いた。
いつから立っていたのか分からない。さっきまで、確かにいなかった。女は雄二の横に立ち、水道の蛇口を見下ろしていた。雄二は気づいていない。水音だけが響いている。
女の手に、白いタオルがあった。雄二のタオルと、ほとんど同じ色だった。
女は動いた。迷いがなかった。雄二が顔を上げる一瞬、その隙に、女の手が伸びた。置かれていたタオルが入れ替わる。あまりにも自然で、俺は声が出なかった。
雄二がタオルに手を伸ばす。
その瞬間、喉が裂けるほど叫んでいた。
「雄二!」
何人かが一斉に叫び、雄二が振り向いた。女は、その隙に消えた。走った様子もない。ただ、いなくなっていた。
地面に落ちたタオルを拾い上げた。重かった。折り畳まれた内側に、無数のマチ針が刺さっていた。針の先は内向きだった。
雄二は何も言わなかった。ただ、ぼんやりと俺たちを見ていた。
その後のことは、断片的にしか覚えていない。顧問が来た。学校が動いた。誰かが、もう近づかない方がいいと言った。女は、それきり現れなかった。
卒業して数年後、街で雄二に会った。昔より少し太り、穏やかな顔をしていた。
「あの公園のこと、覚えてるか」
雄二は考え込んでから、笑った。
「なんか変な女がいたな」
それだけだった。
「怪我、しなかったよな」
「してない。何も」
嘘には見えなかった。本当に、何も覚えていない目だった。
別れ際、雄二は俺の顔を見て、首を傾げた。
「なあ、お前」
距離が近かった。あの日と同じ距離だった。
「赤い点、増えたな」
俺は何も言えなかった。雄二の目は、あの女と同じだった。焦点が合っていないのに、俺だけを見ている。
「最近さ」
雄二は低い声で続けた。
「知らない人に、よく見られるだろ」
俺は後ずさった。雄二は、それ以上追ってこなかった。ただ、じっと見ていた。
その夜、鏡を見る気になれなかった。だが翌朝、通勤電車の窓に映った自分の頬から、目を逸らすこともできなかった。
赤い点が、確かに、そこにあった。
気づいたときには、向かいの席の女が、俺を見ていた。
[出典:282: 本当にあった怖い名無し 2006/11/12(日) 16:09:33 ID:+YleTXQu0]