高校時代の友人から聞いた話。
その男――仮にKとする――は、金のかからない趣味を模索していた矢先、旧車を手に入れたのを機に、ひとり気ままに各地を巡る「小さな放浪」を始めたのだという。ルートも宿も定めず、気に入った道の駅に停まり、眠くなったら24時間風呂に浸かって仮眠を取る。そんな生活をもう何度も繰り返しているらしく、本人にとっては日常の延長だったそうだ。
その旅の、四日目の夜。秋田か宮城のどこかから青森へ抜ける「津軽街道」に入ったあたりで、異変が起きた。
その道は、山を巻くように延々とうねり、ガードレールのない崖も珍しくなかった。灯りは疎らで、バックミラーに映る光源は自身のヘッドライトだけ。空気は濃密で、湿気を含んだ杉の匂いが窓の隙間から染みこんできた。
「おかしい」と思ったのは、左の路肩に片方だけ落ちていた白いスニーカーだった。歩道も民家も見えない山道で、片足だけの靴が落ちている意味。想像したくなくても、頭の片隅に何かがよぎる。
しかしそれ以上の関心も抱かず、車を走らせ続けた。すると、ほどなくして、左の車線の中央に、人影。
ライトに照らされた女だった。服装は普通、年齢も二十代そこそこに見えたらしい。妙に生気のない顔をしていて、靴は片方しか履いていなかったという。
Kは反射的に車を停めた。声をかけるべきか、それとも通報か。いずれにしても、放っておける状況ではない。そう思い直し、ドアを開けようとしたその瞬間、女が走ってきた。
次の瞬間、フロントの前に突っ伏す。両手をバンバンとボンネットに叩きつける音。無表情のまま、それを何度も繰り返す。意味が分からない。ただただ、車を攻撃するように、両手が動く。
Kは本能的にロックボタンを押し込んでいた。
「ドアを開けられたら終わる」
そう感じたという。だが女の行動はさらに異様だった。今度は這うように車体をなでまわしながら、運転席のドアへ。取っ手をガチャガチャと引き続ける。
「やめてくれ……やめてくれ……」
そのとき、女は突然ドアから離れ、林の中へと消えた。ホッとしたのも束の間、木々の間から、今度は大きな石を両手で抱えて現れたという。持てるはずのない重さの石。にもかかわらず、にこにこと微笑みながら、女はKの車へ歩いてきた。
あの笑顔が、いちばん恐ろしかったとKは言う。怒りや狂気ではなかった。ただ、嬉々として破壊を楽しむような、子どものような無邪気さ。理屈の通じる顔ではなかった。
Kはアクセルを踏み込み、その場を離れた。バックミラーには、石を振りかぶる女の姿。衝撃音はなかったが、振り返る気にはなれなかった。
しかし山道は長く、くねりながら下るヘアピンの先――いた。再び、その女が。
Kは右車線に出て、なんとか追い抜いた。だが、すぐに思い至った。歩きであれだけ先回りできるはずがない。……直線で、山を下りている?街灯も何もない夜の山道を?
再び現れた女は、今度はトンネルの出口に立っていた。裸足の片足が血に染まっていたように見えたが、Kには確認する余裕もなかった。すれ違いざまに見たその顔は――笑っていた。
とっさにブレーキを踏んだ。直後、対向車線から大型トラックが現れた。もしKが右にハンドルを切っていたら、正面衝突だった。
トラックのライトに照らされて、女の影はまた林の方へと消えていった。
Kはそのまま一気に山道を抜け、ようやく人の気配が戻った町に入った。弘前に着いた直後、交番に駆け込んだが、具体的な被害がない以上、取り扱いは難しいという。徘徊か、酔っ払いの可能性がある、という曖昧な言葉で済まされた。
Kはその夜、カプセルホテルのサウナで一睡もできなかったという。そこに人がいるだけで、安心できたのだ。
翌朝、ニュースや事故情報を探しても、該当する話はなかった。
ただ……この話を聞いた数日後、試しに津軽街道を調べたらしい。すると、奇妙なスレッドが見つかった。
「山道に、靴だけ落ちてるの見た人いる?」
日付は、Kがあの女と遭遇する前日だったという。
[出典:454:本当にあった怖い名無し 2016/11/07(月)23:47:45.87ID:WzjNEpLx0.net]