ネットで有名な怖い話・都市伝説・不思議な話 ランキング

怖いお話.net【厳選まとめ】

短編 r+ 奇妙な話・不思議な話・怪異譚

白い靄の男 r+1,851

更新日:

Sponsord Link

もう異動してしまったが、あれは去年の冬のことだった。

社会人になって六年目、誰に話しても信じてもらえないと思う。だが、あれを体験して以来、俺は毎朝手を合わせてから職場に入るようになった。

名前も場所も伏せさせてほしい。いまもその土地で働いてる人たちがいるからな。
あそこはもともと旧陸軍の士官学校だった。戦後、民間に払い下げられ、うちの会社が東京ドーム四つ分の土地を買い取って研修所を建てた。広大で、山も林も残っている。いわば、自然と近代の合成物だ。

昔、終戦の詔勅が流れたその日、士官候補生たちが飼っていた軍馬の首を斬り落とし、そして自らも割腹して死んだという話を、着任してすぐの頃、酒席でOBに聞かされた。
聞いた瞬間は作り話だろうと流したが、敷地の一角に立つ慰霊碑や、毎年春に桜がやたらと咲く区画を見ると、ただの伝説とも思えなかった。

初めの頃は一般にも開放されていて、毎年のように花や酒を供える老人たちが来ていた。
だが、業績の都合で研修施設の増築が決まり、慰霊碑は撤去。跡地には無機質なコンクリ建ての宿泊棟が立ち、慰霊の気配は断ち切られた。

俺があの体験をするまでの六年間、霊障らしきものは一度もなかった。
ラップ音、気配、影。そんなのは風や木の軋みのせいだとずっと思ってた。だが、あの日を境に、全部が変わった。

一月。記録的な大雪が降った日。朝から雪かきをし、施設周囲の巡回をしていたときだった。
林の中で、大木が二本、根元から折れて倒れていた。一本はまるで雷に焼かれたように裂け、もう一本は建物の窓を突き破っていた。

呆然とした。あんな大木が、まるで息を止めるように無造作に倒れるなんて。
現場に駆けつけた業者が言った。「撤去に二百万円かかりますね」
もちろん、そんな予算はない。財務課長が怒鳴り散らし、そのまま放置されることになった。

あとで調べたが、あの倒木の場所は、ちょうど慰霊碑が建っていた跡だった。
そこから、毎晩のように、あいつは現れるようになった。

警備体制の簡素化で、夜間は係長と俺と警備員の三人で回すことになっていた。
俺は人事・総務担当だったが、コスト削減のためならと、交代で夜の宿直を受け入れていた。

その夜、いつも通り定時で国旗と社旗を下ろし、施設の施錠を終えて、真っ暗な研修棟に入ったときだった。
空気が明らかに違っていた。重たい。肺に鉛でも流し込まれたように、息が詰まる。
その直後、腹がきりきりと痛み出し、トイレに駆け込んだ。照明は消灯済み、ぼっとん便所の冷気が骨に染みた。

戻ろうとしたとき、廊下の向こうに、人が立っていた。
非常階段の手すりにもたれ、こちらをじっと見ている。十代後半くらいの男。
真っ暗なはずなのに、顔だけが白い靄の中に浮かんでいるように見えた。悲しそうな、うつろな目をしていた。

「お兄ちゃん、そこ立ち入り禁止だよ」
そう声をかけながら近づくと、奴は階段の陰に消えた。
降りていったのかと思い、急いで駆け寄ったが、どこにもいない。そもそも、研修棟の階段は下まで封鎖されている。

まぁ気のせいだろう、で済ませた。
だが、仮眠室で寝ていると、今度は汗びっしょりで目が覚めた。
冬の夜中、部屋は五度程度なのに、体が焼けるように熱い。
喉が渇いて、枕元の水を飲もうとしたら……ペットボトルが空になっていた。

寝ぼけて飲んだか?そう思ってまた横になったが、眠れない。
布団の中から、視線を感じる。気味が悪くて振り返ると、カーテンの隙間から、またあの男がこちらを見ていた。
反射的に怒鳴ってカーテンを開けたが、そこには誰もいなかった。
二階の仮眠室だ。人が立てる場所ではない。

それからは地獄だった。
巡回中、窓の外、廊下の奥、カーテンの隙間、必ずあの男が見ていた。
追いかけても、声をかけても、触れようとすれば煙のように消える。
そして、また現れる。哀しみだけを宿した目をこちらに向けて。

何度も「何を訴えたいんだ」と言いかけた。
怒りか、哀しみか、恨みか、祈りか、分からない。ただ、確かに何かを求めていた。

ひと月後、ようやく倒木の撤去予算が下りた。
俺は決意した。新しい木を植え、その根元に、実家から送られてきた越乃寒梅と、魚沼産コシヒカリで握ったおにぎりを供えた。

それ以来、あの男は現れなくなった。

幽霊を見た、という事実よりも、彼がいなくなったあとの静けさの方が怖かった。
何年も、誰にも知られず、供養もされず、そこで佇んでいたのかと思うと、身がすくんだ。

異動が決まった四月、最後の朝。
いつものように手を合わせると、微かに、誰かの声が聞こえた。

「ありがとう」

確かに、聞こえたんだ。耳の奥に、冷たい水が落ちるように。

もう戻ることはないが、いまもあの木の下で、誰かがそっと、花を置いているかもしれない。

[出典:249 :哀しい顔をした男 1:2011/09/19(月) 23:27:47.27 ID:kFe6hBPB0]

Sponsored Link

Sponsored Link

-短編, r+, 奇妙な話・不思議な話・怪異譚

Copyright© 怖いお話.net【厳選まとめ】 , 2025 All Rights Reserved.