あれは、大学二年の夏だったと島田は言う。
サークルの連中六人で、夜通しドライブをしようという話になった。最初は海だの山だのと他愛ない案が出ていたのに、誰かが「どうせなら本物に行こう」と言い出した。廃墟も火葬場も経験済みで、怖がること自体が娯楽になっていた時期だ。島田が軽い調子で「じゃあ恐山でも行くか」と口にした。それが決まってしまった。
弘前を出たのは午後十一時過ぎ。青森市内の灯りを抜け、下北半島へ入るころには、窓の外は完全な闇だった。街灯も家もなく、対向車のライトだけが現実を証明する。途中で誰かが「屋根に婆さんが乗るって噂あったよな」と言い出した。冗談のつもりだったが、そのあと車内は妙に静まり返った。森田先輩が思い出したように怪談を語り始めたが、笑いは続かなかった。
午前一時過ぎ、恐山の門前に着いた。閉ざされた門は無機質で、観光地の顔をしていなかった。記念写真を撮り、引き返せばそれで終わるはずだった。だが門の脇に、簡単に抜けられそうな木の柵があった。誰も強く主張はしなかったのに、気づけば全員が中に入っていた。
岩がむき出しの地面は白く、硫黄の匂いが鼻を刺した。無数の風車が、弱い風に回っている。カラカラという乾いた音が、夜に溶けずに残る。生ぬるい空気がまとわりつき、汗とも湿気ともつかない感触が肌を覆った。
森田先輩が、近くの風車を一本引き抜いた。何の意味もない行為だった。軽い音がして、軸が地面から抜ける。それだけだ。その瞬間、風が止んだ。
次に聞こえたのは、低い声だった。
「オーン……」
どこからともなく、重く響く。続いてもう一度。「オーン……」。お経の一節のようでもあり、唸り声のようでもあった。方向がわからない。前からか、背後からか、地面の下からか。全員が立ち尽くした。冗談を言う者はいない。走ろうとも言えない。声は一定の間隔で繰り返され、近づいているのか遠ざかっているのか判別できなかった。
数分だったと島田は言うが、体感ではもっと長かったという。やがて声は薄れ、風車の音だけが戻った。誰からともなく出口へ向かった。柵を抜け、門の外へ出るまで、誰も振り返らなかった。
車に戻り、エンジンをかける。午前二時十四分。時計の数字を島田は覚えている。走り出して数十メートルで、突然エンジンが落ちた。ハンドルも重くなる。藤田がキーを回すが、空回りする音だけが続く。窓の外は闇で、先ほどの岩場がどこにあるのかもわからない。
誰も、さっきの声の話を口にしなかった。
デジタル時計が「2:15」に変わった瞬間、エンジンがかかった。拍子抜けするほど滑らかに。藤田は何も言わずアクセルを踏んだ。全員が無言のまま、下北の闇を抜けた。
翌日、現像した写真の一枚に、門の前を横切る光の筋が写っていた。白く細い線が、地面から浮いているように見える。ヘッドライトの反射にしては不自然で、フラッシュの不具合とも説明できない位置だった。撮影した瞬間の記憶は誰にもない。
島田は言う。「特別なことは何も起きていない」。事故も病気もない。ただ、あの夜以降、恐山の名を冗談で口にすることはなくなった。風車を見ると、無意識に数を数えてしまう癖がついたという。
あの声が、誰に向けられていたのかは、今もわからない。
(了)