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中編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

口だけが笑っていた nc+

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小学生の頃、同じクラスに好きな子がいた。

美人ってタイプじゃなかったが、笑うと口元がぱっと明るくなる子で、狭い顎に大きな前歯が窮屈そうに収まっていた。行き場をなくした八重歯が一本、笑うたびに顔を出す。それが当時の俺にはたまらなく可愛かった。

なのに、そこは大バカな消防男子だ。俺は仲間と一緒にその子にちょっかいを出しまくって「牙持ち吸血鬼」とか言ってからかい続けた。嫌われた。自業自得だ。

うちの小学校は全員同じ公立中学に進む。卒業式も、どうせまた会うという空気があった。あの頃はサイン帳を回して、将来の夢とか、住所とか、くだらない絵とかを書き合うのが流行っていたけど、俺たちバカ男子は「中学でも同じじゃん」と言って、俺は自分のサイン帳すら用意しなかったし、人のにも書かなかった。

後で死ぬほど後悔することになる。

頭の良かったその子は、俺たちと違う私立の女子校に進学した。小学校の最後に、彼女の机が空いた。あれだけ毎日見ていた八重歯も、俺の視界から消えた。からかっていたはずなのに、いなくなると妙に落ち着かなくて、俺は一度だけ、彼女の家の方角に向かって歩いてみた。途中で引き返した。理由はない。怖かっただけだ。

中学卒業が近づいた頃、小学校のサイン帳の話になった。友人Aがぼそっと「牙、どうしてるかな」と言って、唐突に「俺、あいつちょっと好きだった」と爆弾を落とした。「サイン帳もこっそり書いた」と追加で言った。友人Bも「俺も書いたよ。違う中学行くって聞いてたから」と続いた。結局、書かなかったのは俺だけだった。俺は、牙が好きだったなんて言えないまま、その日は解散した。

高校に入って、親父の都合で地方へ引っ越した。転校。故郷の連絡先はすぐに薄れて、気づけば俺の中学時代は丸ごと遠くなった。

引っ越してしばらくした頃だ。夜中、試験前の付け焼刃で数学をやっていた。教科書とノートを机に広げて、シャーペンの芯だけが減っていく。ふと、背中に視線の針が刺さった気がして、振り返った。

セーラー服姿の牙が立っていた。

背も髪も伸び、大人びているのに、笑うと八重歯がそのままだった。夢だと思った。疲れた脳が昔を引っ張り出しただけだと思った。けれど彼女は机の上のノートを覗き込み、指先で俺が詰まっていた問題を叩いた。

「その問3、間違ってるよ」

声が、妙に現実だった。牙はさらさらと説明した。「ここをこうして、次にここをこうして、最後はこうなる」。俺が何日も引っかかっていたのが嘘みたいにほどけていった。理解した瞬間、喉の奥が熱くなった。

「牙」

呼んだ。二度目は叫んだ。返事はない。目の前からすっと消えた。電気も点いたまま。机の上もそのまま。ただ、空気だけが少し冷えていた。

俺は、牙が死んだと勝手に悟った。根拠はない。そう思うしかなかった。問3を見つめたまま、鼻水を垂らして泣いた。情けないくらい泣いた。

翌日のテストで、最後の大問が問3と同じだった。クラスの連中が「お前、あれ解けたのか」と騒いだ。俺は誤魔化してその場を離れた。胸の奥がつんとして、泣きそうになったからだ。理屈じゃない。あの説明の声が、まだ耳に残っていた。

それから何人か好きになった子もいたし、彼女がいた時期もある。けれど、誰かをスケベ心抜きで思うなんて、高校生の俺にはもう無理になっていた。まして相手がこの世にいないと決めつけた存在なら、余計に。

数年後、俺は三流大学に進み、三流なキャンパスライフを満喫した。

サークルで遊び、バイトをして、コンパを渡り歩き、流行に乗ってバンドを組んだ。ギターを抱えて、小汚いライブハウスに出るために金をつぎ込んでいた。

ライブを三日後に控えたある日、些細なことでボーカルと大喧嘩になった。意地の張り合い。前日になっても修復できず、ドラムもベースも呆れて「解散かな」と顔をしかめた。

その夜、牙がまた現れた。

長い髪の先にだけ緩いパーマがかかり、メイクもしていた。高校の時に見た彼女より、さらに大人だった。幽霊って年を取るのかと、馬鹿みたいなことを考えた瞬間、牙は俺の顔を見て笑った。

「カッツン。自分を曲げるのがかっこいい時もあるんだよ」

「俺は謝らない」

口が勝手に言った。言い終わってから、何言ってんだ俺と思った。牙はニヤリとした。八重歯が光ったように見えた。次の瞬間、消えた。

俺は腹が立って、同時に恥ずかしくて、原チャリでメンバーの家を回った。結局、ボーカルも頭を下げてくれて、ライブはやった。バンドは就職とともに解散したが、いまだに飲みに行く仲として続いている。あの時、牙がいなかったら、俺は意地だけで全部壊していたと思う。

それから先も、牙は時々現れた。いつも俺が煮詰まっている時だけ。転職の背中を押し、プロポーズの勇気を渡し、離婚のときは子供を引き取る決心を支えた。男手ひとつで娘を育てるのは、想像よりずっと面倒で、想像よりずっとしんどかった。けれど不思議なことに、どうにもならなくなりそうな夜ほど、牙は短い言葉を置いていった。

娘が小学校に上がる頃から、牙はぱったり出なくなった。俺が四十を過ぎて、娘が小六になって、反抗期の入口で口数が減り始めた頃には、牙のことを思い出す夜も少なくなっていた。助けが要らないと判断されたのか。俺がようやく親になれたのか。そんなふうに、勝手に綺麗にまとめそうになっていた。

盆休み、娘を連れて旅行に出かけた。高速の割引を狙ったせいで混んでいたが、普段あまり連れていけないから、娘は機嫌よく景色を眺めていた。途中のパーキングエリアに寄った。昼の日中の人混みの中で、俺は自分の目を疑って固まった。

牙がいた。

しかも家族連れだ。イケメンの旦那と、それに似たイケメンの息子が二人。笑顔は昔のままなのに、そこだけ現実で、俺の胸は変な音を立てた。あれだけ夜の部屋にしか現れなかった牙が、こんな場所で、こんなふうに。

娘が横で「お父さん、知ってる人」と聞いた。その一言に押されて、俺は声をかけてしまった。

「すみません。失礼ですが、○○さんではないですか」

牙は俺を見た。目を丸くして、きょとんとした。俺は一気に血の気が引いた。他人の空似だ。やってしまった。だが牙は、あっさり頷いた。

「はい。旧姓は○○ですけど」

「僕、K小学校で同じクラスだった□□です」

牙は少し考えてから、笑った。

「もしかして、かっつん」

その呼び方で、俺の中の時間が一気に戻った。俺は喉が詰まって、変な声で笑った。牙は懐かしそうに話し、俺も当たり障りのない近況を言った。大阪にいること。これから旦那の実家に帰省すること。長男が高二で次男が中二だということ。俺は「ちっとも変わってない」と言い、昔は密かに人気があったとか馬鹿なことも言った。息子たちが「へえ」と反応して、牙は嬉しそうに笑った。

それが、あまりにも普通だった。

普通すぎて、怖かった。

別れ際、牙はあの笑顔で手を振った。高級車に乗り、家族ごと流れていく車列に吸い込まれていった。娘はイケメン兄弟にはしゃいで、俺の腕を引っ張った。

「お父さん、誰と話してたの」

「今の人だよ。ほら、あの車」

娘は眉をひそめた。

「お父さん、一人で手振ってたよ」

背中が凍った。笑って誤魔化そうとしたが、声が出ない。俺は慌てて周囲を見回した。さっきまで牙が立っていた場所は、人が通り過ぎるだけで、誰も立ち止まっていない。高級車も見当たらない。車列は途切れず動いているのに、どれがその車だったか、指が定まらない。

娘は続けた。

「知らないおばさんじゃない。お父さん、空に向かって話してた」

俺はスマホを取り出して、さっき無意識に撮ったはずの写真を探した。撮っていない。動画もない。代わりに、カメラロールの一番上に、見覚えのないアップの写真が一枚だけあった。何かの口元。歯。大きな前歯と、窮屈そうな歯並び。八重歯が一本。白すぎる歯が笑っている。顔は写っていない。背景もない。口だけが、暗い画面に浮いていた。

娘が覗き込み、顔をしかめた。

「これ、なに」

俺は答えられなかった。指が震えて、画面が勝手に拡大される。八重歯の先が、こちらに向かって伸びてくるみたいに見えた。

その夜、旅館で娘が寝た後、俺は一人で部屋の灯りを落とした。静かすぎて耳が痛い。昔みたいに牙が現れたら、聞きたいことは山ほどある。あの問3は何だったのか。なぜ俺を助けたのか。生きていたのか。死んでいなかったのか。そもそも、今のは何だったのか。

期待している自分が、気持ち悪かった。

しばらくして、娘の寝息が変わった。寝言だと思った。小さく、はっきりした声が、暗い部屋で鳴った。

「お父さん、問3、間違ってるよ」

俺は息が止まった。娘は目を開けていない。寝返りも打たない。ただ、その口元だけが、薄く笑った気がした。歯の間から、八重歯が一本、見えた。

俺は娘の顔を覗き込んだ。確かに娘には八重歯なんてなかった。なのに暗がりの中で、あるはずのない白い尖りが、そこにいる。確認しようと照明を点ける勇気が出ない。点けた瞬間、消える気がした。消えたら、今度こそ逃げ場がなくなる気がした。

娘の口がもう一度動いた。

「ほら、ここをこうして、次にここをこうして」

俺は、布団の端を握り潰しながら聞いた。声は娘のものだった。けれど調子は、あの夜の牙と同じだった。

[出典:21 :2009/09/01(火) 11:19:06 ID:AkeBpdxc0]

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