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開けなければよかった rw+1,875-0507

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十年以上も前のことになる。

伯父と叔母が、観光でエルサレムへ行った。ふたりとも信仰心が厚いわけではなく、歴史のある土地を一度見てみたい、という程度の気持ちだったらしい。旧市街から少し離れた丘の近くに、石を積んだだけのような古い宿があり、そこに一晩泊まることになった。

ホテルと呼ぶには頼りない建物だったという。壁には細いひびが走り、窓枠は歪み、夜になると砂を含んだ風が隙間から入り込んだ。部屋にはベッドが二つと、小さな机と、低い棚があるだけだった。窓の外には丘が見えた。昼間は乾いた土と石ばかりの、何の変哲もない場所に見えたらしい。

その夜、伯父は宿に戻るなり酒を飲んで眠ってしまった。旅先で気が緩んだのか、鼾が壁を震わせるほどだったという。叔母は反対に眠れなかった。ベッドの上に観光地図を広げ、翌日はどこを歩くか考えていた。外は静かだった。虫の声と、風が壁を撫でるような音だけが聞こえていた。

真夜中を過ぎたころ、馬の鳴く声がした。

最初は気のせいかと思った。けれど、しばらくするとまた聞こえた。低く、喉を裂くような、確かに馬の声だった。こんな時間に、と不審に思い、叔母は窓辺へ寄った。

窓を開けると、丘の上に黒い影が並んでいた。

一人や二人ではなかった。丘の稜線に沿って、馬に乗った人影がずらりと立っていた。月明かりのせいで、顔も服もはっきりとは見えない。ただ、長い槍のようなもの、旗のような布、そして大きな十字の形だけが、黒い輪郭になって浮かんでいた。

列は動いていなかった。

風は吹いているのに、旗だけが不自然に遅れて揺れていた。馬の脚も動かない。人影も身じろぎしない。なのに、そこにいる数だけが、ゆっくり増えているように見えたという。丘の端から端まで、黒い影が少しずつ詰まっていく。

叔母は強盗団だと思った。軍隊かもしれない、とも思った。とにかく普通ではない。慌てて伯父を揺さぶったが、伯父は目を覚まさなかった。肩を叩いても、名前を呼んでも、鼾が返ってくるだけだった。

その間も、丘の上の列は動かなかった。

ただ、どこかおかしかった。最初は横を向いていたはずの馬の首が、少しずつこちらへ向いているように見えた。叔母は窓を閉めようとしたが、手が震えて、掛け金に指がかからなかった。

そのとき、部屋の扉が叩かれた。

宿の主人だった。中年の痩せた男で、昼間は無愛想だったが、そのときはひどく焦った顔をしていたらしい。英語で「大丈夫か」と聞かれ、叔母は鍵を開けるなり、外に人がいる、馬に乗った人たちがいる、と訴えた。

主人はすぐには窓の方を見なかった。

まず、叔母の顔を見た。それから伯父の寝ているベッドを見て、最後に窓を見た。窓が開いているのに気づくと、表情が変わったという。

「開けましたか」

そう聞かれた。

叔母は意味が分からず、「外を見ようと思って」と答えた。主人はそれ以上何も言わず、窓辺へ行った。叔母も振り返った。

丘には何もなかった。

月明かりの下に、ただ乾いた斜面が広がっているだけだった。人影も馬も旗もない。さっきまで黒い列で埋まっていた稜線は、最初から誰もいなかったように白く冷えていた。

「見間違いじゃありません」

叔母がそう言うと、主人は窓を閉め、内側から掛け金を下ろした。さらに自分の手で何度も確かめた。

「馬でしたか」

「馬でした。大勢いました。旗も、十字架みたいなものも」

主人はしばらく黙っていた。それから、低い声で言った。

「あの列を見た人は、たまにいます」

叔母は「何なんですか」と聞いた。

「昔の兵士だと言う人もいます。ここで死んだ人たちだと言う人もいます。でも、私には分かりません」

主人はそこで言葉を切った。

「ただ、窓は開けない方がいい」

叔母は腹が立った。怖がっている客に向かって、迷信めいたことを言うのが無責任に思えた。どうしてかと問い詰めると、主人は叔母を見ずに言った。

「外から見えるからです」

それ以上、主人は説明しなかった。

その晩、主人は部屋から出て行かなかった。椅子を扉の近くに置き、明け方まで座っていた。叔母はほとんど眠れなかった。何度か丘の方で馬の鼻息のような音を聞いた気がしたが、主人が窓を見るな、と小さく言ったので、見なかった。

伯父は朝まで一度も起きなかった。

翌朝、丘は何事もなかったように明るかった。宿の前では、主人の息子らしい若い男が掃き掃除をしていた。叔母が昨夜のことを尋ねようとすると、主人が先に口を開いた。

「昨日のことは、あまり人に話さない方がいい」

「どうしてですか」

「聞いた人が、見に来るからです」

それが冗談なのか、本気なのか、叔母には分からなかった。ただ、主人の目の下にはくっきりと隈ができていた。

帰国してから、叔母はその話を何度か親戚にした。伯父はいつも「夢でも見たんだろう」と笑った。自分は眠っていたから、何も知らないと言った。けれど叔母は、話すたびにひとつだけ同じところで口をつぐんだ。

窓を開けたあと、丘の列がこちらを向いた気がした、というところだ。

私は中学生のころ、その話を初めて聞いた。十字架を掲げた黒い騎馬の列が、月明かりの丘に並んでいる光景を想像して、単純にぞくぞくした。歴史の本の挿絵が、そのまま夜の外に出てきたように思えた。

だが、大人になってから、叔母の話し方が少し変わったことに気づいた。

「あれは十字軍だったのかもしれない」とは、もう言わなくなった。

代わりに、こう言う。

「あれが何だったかは、もうどうでもいいのよ」

そして必ず、部屋の窓を見る。

「問題はね、向こうもこっちを見たかもしれないことなの」

数年前、叔母の家で古いアルバムを見せてもらったことがある。エルサレム旅行の写真が何枚か残っていた。昼間の市場、石畳の道、古い教会。その中に、あの宿の部屋で撮った写真が一枚だけあった。

伯父がベッドに座って、笑っている写真だった。叔母が撮ったものらしい。背後に、問題の窓が写っていた。

ガラスには昼間の丘が映っていた。

その丘の上に、細い黒い筋が横に伸びていた。影か、傷か、現像のむらかもしれない。けれど、よく見ると、その黒い筋は途切れ途切れになっていた。ひとつひとつが、馬に乗った人の形に見えた。

私は気づかなかったふりをした。

叔母も、何も言わなかった。

ただ、アルバムを閉じる前に、その写真だけを裏返した。写真の裏には、叔母の字で日付と場所が書かれていた。その下に、あとから書き足したような小さな文字があった。

「開けなければよかった」

[出典:233 :彼氏いない歴774年:2011/07/03(日) 22:50:23.27 ID:Vwty7/Mz]

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