話しても、たぶん誰も信じてくれないと思う。だから、話半分で読んでくれたらいい。
二年前の秋口、臨時職員として配属された町の役場で、俺の時間は止まったように感じていた。周囲は自分より一〇歳以上年上ばかりで、話が合うわけもない。テレビも見ない、音楽にも興味がない俺は、毎日黙々と机に向かっていた。ただの空気だった。
……いや、空気以下だったな。あるおっさんからは毎日のように「若いのに根性がねぇな」なんてからかわれ、それがエスカレートして半ばパワハラみたいになった頃、限界を感じて辞めた。
辞めたあと、二週間は廃人みたいに過ごした。テレビもネットも、何も見る気がしなかった。そんなある日、なぜか急に、外に出て歩こうと思った。
特に行き先はなかったけど、気づいたら小学校の近くにある山の前にいた。小さい頃によく友達と登ってエアガンで撃ち合った、あの山だった。
懐かしさと無意識の引力で、足は自然と登り始めていた。息を切らしながら頂上へ辿り着くと、そこにあるはずの神社の扉が、開いていた。
俺の記憶では、その扉は青く塗られた鉄製で、頑丈に閉ざされていたはずだった。子供の頃、石で叩いたり棒でこじ開けようとしたが、びくともしなかったのを覚えている。なのに今は……何も無かったように開いている。
中はがらんとして、綺麗だった。不気味なほどに。
境内の石段に座り、携帯をいじって一休みしていた時、違和感に気づいた。……妙にあたたかい。
一〇月だ。山の上だ。木々に覆われて陽も当たらないはずなのに、春の昼下がりのようなぬるさが肌にまとわりついてくる。
その瞬間、手に持っていた携帯がふっと暗転した。電源が落ちたのかと思ったが、次に画面に映ったのは、俺の背後の神社の奥。
……そこにいた。
女。人じゃないと、直感で分かった。異様に背が高くて、黒とも灰ともつかない着物をまとい、顔は……真っ白。真っ黒な髪が、風も無いのにふわふわ揺れていた。
スーッ……と滑るように、こちらに近づいてくる。
逃げようとした。でも体が動かない。凍りついたみたいに、硬直していた。
あと三歩。あと二歩。あと一歩。
俺の目の前に立つその女は、ゆっくりと屈んで、俺の顔を覗き込もうとした。怖くて、怖くて、心臓が張り裂けそうだった。
……顔が、画面に映った。
ぐちゃぐちゃなんかじゃなかった。整った中性的な顔立ち。でも、目が――白目がなく、全部真っ黒だった。呼吸が、異常に熱かった。
ゆっくりと手を伸ばし、俺の携帯を掴むと、グイッと引っ張ってきた。俺は無意識に必死で握っていたらしく、なかなか取れず、女は苛立ったように力を増した。
その瞬間、俺の中で何かが切れた。意味もなく叫びながら山を転げ落ちた。文字通り、転がりながら逃げた。
足をくじき、笹に手を切り、全身泥だらけになって家にたどり着いた時、ズボンのケツポケットに、携帯が入っていた。……いつの間に?
怖かったけど、何事もなかった。そのまま月日は流れた。
そして、去年の七月。祖母の三回忌で寺へ行った時、異変が起きた。
寺の住職が、俺の顔を見るなり目を見開いて、こう言ったんだ。
「君は中に入らなくていい。外で待ってなさい」
意味が分からなかった。俺も両親も親戚も呆然としていた。
法要が終わり、みんなで近くの店で食事していた時、住職がぽつりと漏らした。
「山口さんのところは……孫、諦めたほうがいいね」
場が凍りついた。親父が理由を問いただすと、住職は言った。
「真司君。君、あの山で……何かあったね?」
俺は観念して、あの時の出来事を話した。
住職は頷きながら、ため息をついた。
「あれは山の神様だよ。君は……選ばれちゃったんだね」
何に、と聞くと、住職は申し訳なさそうに言った。
「婿に、だよ。山の神様の」
俺は笑えなかった。そう言われた時、背筋を走ったあの寒さが、また身体を包んだ。
「神様は強い。簡単には諦めない。結婚とか、子供とか……人間相手には無理だろうね」
母親が、涙声で「じゃあ、真司はもう……」と聞いた。
「うん。付き合ったり結婚しようとすると、その相手に……災いが起きるかもしれない」
妙に納得してしまった。俺自身、イケメンでもないし、オタク趣味だし、結婚なんて元から望んでなかった。けれど、それを他者に断言されるのは、思ったよりも重かった。
家に帰ると両親は、冗談めかして「真司がダメでも兄がいるし」と言っていた。俺は笑えなかった。
それ以来、大きな怪異は無い。でも、夜寝ていてふと目が覚めたとき、誰かが部屋の隅に立っている気がする時がある。視界の端に、黒髪が揺れているのが見える。
……俺はあの山で、何を連れてきてしまったんだろうな。
[出典:152 :本当にあった怖い名無し:2014/04/20(日) 01:58:28.80 ID:CS0vbw2M0.net]