あの風景が、いまも頭から離れない。
いつも、裸電球が一つぶら下がった薄暗い部屋で、私はじっと茶色の扉を見つめている。外に誰かがいる。扉に手を伸ばすと、男が現れる。縞模様の服。その色だけが不思議なくらい鮮やかで、目に焼きついている。
男が、私の代わりに扉を開けた瞬間、記憶はぷつりと途切れる。それ以上の情景が、どうしても思い出せない。幼い頃の夢か、それとも現実か。両親に尋ねても、そんな部屋に心当たりはないと言う。今の家は東京の郊外に建った、ごく普通の戸建てだ。あの古めかしい部屋の面影など、どこにも見当たらない。
だから私は、あれがただの夢だと思い込んでいた。
大学三年の春。夕方、家に戻ると、母が受話器を置いたところだった。田舎の祖母から電話があり、祖父の弟の三回忌をやるから帰ってくるようにとのことだった。
驚いたのは、私はそのときまで祖父に弟がいたことを知らなかったという事実だった。父に問いただすと、若い頃、祖父と一緒に上京して事務所を開いたものの、些細なことから仲違いし、田舎に戻って以来音信不通だったという。それ以上の話は、現地で話すとのことだった。
その夜、私と両親の三人は、最終の新幹線で父の故郷へ向かった。名前すら初めて聞く県だった。
駅に着くと、祖母が出迎えてくれた。私を見るなり、何やら含み笑いを浮かべて、「今日は珍しい日だよ、カミオロシの儀式があるから」と言った。
年に一度、死者の魂が村に還ってくる夜だという。子どもたちが神社にこもり、夜を徹してその魂を迎える……まるで土着のハロウィンだ。昭和の終わりに廃れていた風習だが、村が近くダムの底に沈むと決まってから、最後の記念に復活したという。
興味はあったが、私は妙な胸騒ぎがして、祭りには行かず祖母の家に残ることにした。
その家は、明治の面影を色濃く残す木造二階建て。屋根裏部屋には、かつて養蚕で使われていた飼育箱や手紡ぎの機械が雑然と置かれていた。史学科の私には、それだけでもたまらない宝の山だった。法要を終え、両親は神社と寺に分かれて泊まることになった。私は東京から持ってきた歴史書を抱え、祖母の家の屋根裏で一夜を明かすつもりだった。
夜の闇が深くなっても、私は夢中で書物を読み漁っていた。
いつのまにか眠ってしまい、ふと目を覚ましたのは深夜だった。階下から、なにか音が聞こえる。戸を叩く音。誰かが玄関に来ているようだった。
立ち上がった瞬間、脳裏に電撃のような感覚が走った。
あの記憶が蘇った。あの風景。裸電球、茶色い扉。そして誰かがいる——。
慌てて階段を降り、玄関に近づく。そこには、記憶と寸分違わぬ景色があった。裸電球の下、くすんだ茶色の玄関。……まるで、記憶が現実に溶け出してきたかのようだった。
次の瞬間、ひとりの男が私の前に立った。祖母の知人らしく、今夜の留守番だという。その顔を見た瞬間、私は思い出した。記憶の続きを。
男が扉を開ける。そこには別の誰かが立っている。そして、手にした何かを高く振り上げて——。
全身に悪寒が走った。胸が潰れそうな不安に突き動かされ、私は男の腕をつかんで引きとめた。
「開けないで!」
男は目を白黒させ、何を言っているのかと問うたが、私は必死で制止し続けた。二分ほど経つと、戸を叩く音は消え、静寂が戻った。
翌日、寺から戻った父に尋ねた。弟の死について。
父の話は想像以上におぞましかった。
弟は田舎に戻ってから精神を病み、ある晩、村の家を一軒ずつ回って、出てきた人々を次々に襲ったのだという。狂気のまま、手にした刃物で無差別に切りつけた。その夜は、まさにカミオロシの夜だった。
翌朝、弟の遺体は村の鉄橋の下で発見された。自ら身を投げたのだという。
私はその時、三つの事実がひとつに繋がったのを感じた。
死者が還るという夜。村の家々の玄関を訪れた男。そして私の記憶に現れる、何かを振り上げる男。昨夜、祖母の家を訪ねてきた正体不明の客。
恐る恐る父に尋ねた。
「あのとき、弟さんが手にしていたのは、もしかしてナタみたいなものだったの?」
父は一瞬、目を見開いた。
「ヨキっていうんだ。このあたりの言葉で、東京でいうナタのことだよ」
背筋が凍った。
あの記憶は、ただの夢ではなかった。あの夜、もし私が男を引きとめなければ、扉の向こうには、あの時と同じ風景が再現されていたかもしれない。
村はすでにダムの底に沈んだ。祖父の弟についても、事件についても、今ではもう何一つ調べようがない。
けれど、あの夜の風景だけは、今も鮮明に残っている。繰り返し、繰り返し、私の脳裏に現れる。
まるで、まだ何かが終わっていないかのように——。
[出典:706 :私の体験談:2001/05/02(水) 07:30]