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中編 r+ 洒落にならない怖い話

黒階のある家 r+4,340

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あの家のことを、私はまだ夢に見る。

長崎の、地図にも小さくしか記されていない島。祖父の家。もう取り壊されて存在しないはずの、その屋敷のなかを、私は夜ごと彷徨っている。

父が生きていた頃は、一切語られなかった家系の話。父が死んだとき、私は三十を過ぎていたが、それでも、初めて聞かされる「血」の話には頭がくらくらした。

名家だったらしい。古くは島の庄屋のような立場にあり、明治には議員も出し、島では顔役として知られていたという。島の誰もがその家を敬い、恐れ、口にすることを避けていた。

家の名も、今となってはもう意味を持たない。父が家出同然に島を出て、東京で母と出会い、私が生まれた。祖父の死後、あの家は取り壊され、家系も私の代で潰えた。名実ともに絶えたのだ。

だから、書ける。もう、誰も咎めない。

高校一年の夏、初めて一人で島を訪ねたときのこと。祖父は奇妙に饒舌で、私を連れて家の奥を案内してくれた。私が血筋を継ぐ最後の人間だと知っていたのだろう。

「口外するな」と言いながらも、祖父の口からは、まるで長年語りたくてたまらなかったかのように、次々と言葉がこぼれ出た。

曰く、この家は、人を売っていた。

それも、ただの人身売買ではない。全国の農村を巡る仲買から子供を買い取り、ある程度の教育を施し、仕立てて、欧州へ送る。表向きには孤児の保護とされていたが、実態は違う。

室町の終わりにはもう始まっていたという。とても信じがたい話だった。だが、明治にも、昭和の初めにも、それは確かに続いていた。祖父の口ぶりからして、あの人は「関わらずとも見た」のだろう。それはつまり、見た上で沈黙してきたということだ。

子供は、当時の金で二十円から五十円。十円が一万円に相当する時代だから、安すぎる命だ。

だが、島に連れてこられた子らは不思議と、悪くは扱われなかったらしい。

洋服を与えられ、美味な食事を口にし、清潔な部屋で眠る。遊び道具まで与えられ、まるで養子のように暮らしていたという。だがそれは、見せかけの天国だった。

子らが住まわされたのは、屋敷の「見えない二階」だった。外観には二階など存在しない。屋根裏にも見えない。だが内部には、窓もない暗い空間があり、子供たちはそこで「教育」されていた。

言葉、礼儀作法、読み書き、洋食の礼儀……。女子には調理と仕立て。すべては、異国で恥をかかぬための訓練だった。

二階へは一方通行の階段で昇る。だが降りるには、下から橋のように板を渡してもらうしかない。つまり、誰かの許しがなければ、子供は一生降りられない。

しかも、階段の最上段には、片方からしか開かない仕切りがあり、閉ざされれば鉄壁の檻となる。

逃げられない。

そう、最初から仕組まれていたのだ。そのことに気づいたとき、私の背筋には冷たい水が流れたような感覚があった。

祖父が語った中で、最も背筋が凍ったのは、その先の話だった。

十歳を過ぎて発育の悪い子、買い手がつかない女子、十五歳を超えた者たちの行く末。

殺され、井戸に落とされたという。使いものにならぬ子を処理する「捨て井戸」が屋敷の奥にあった。口伝だが、何度も聞いたという。声がしたらしい。

「しにぞこない」

「なかまいり」

夜な夜な井戸の中から、そんな声が響くと……祖父は顔をしかめたまま黙った。

私は実際に、その井戸を見た。いや、正確には、井戸の「痕跡」だった。庭の隅、鳥居が立ち、風化しかけた岩に梵字が刻まれていた。供養塔とでもいうのか、それが何を鎮めているのかを思うと、胃が冷たくなる。

父がなぜ島を出たのか、ようやく理解できた気がした。祖父は語ったが、父は語らなかった。語れなかったのだと思う。

取り壊しのとき、私は立ち会わなかった。父の遺言どおり、財産も土地もすべて、家を管理していた島の者に渡した。私にできることなど、何もなかった。あの家に触れず、ただ忘れることしか。

それからしばらくして、私は奇妙な夢を見るようになった。

あの家にいる。階段を昇っている。だが、降りられない。

誰かが下で笑っている。

そして……その声は私の声だった。

目覚めたとき、冷や汗をかいていた。夢は何度も繰り返された。暗く、窓のない部屋。白い洋服。子供の笑い声。……それから、ぬるりと滑るようなロープの感触。

もう島に行くこともない。家もない。けれど、家系というものは、どこまでも内側に残る。

私はあの家の、最後の子孫だ。

いや、ちがう。そうではないのかもしれない。

たとえば、売られた子供たちのなかに、ひとりでも逃れた者がいたとしたら?
その子の血筋が今も、どこかで静かに生きているのだとしたら?

そう思うと、夜の静けさが少し、ざわついてくる。

この話を語るのは、これで終わりにする。そうでなければ、また夢を見る気がするからだ。

あの階段の先に、誰かが待っている。……その者は、私を、仲間だと思っているのかもしれない。

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