これは、数年前に東北の山間部にある病院で一緒に働いていた古参の職員から聞いた話だ。
古びたバス待合所の前でぽつんと立っていた彼の前に、車のライトが照らされる。その日、業務を終えた職員が乗る終バスを待っていた時間は、夜も更けた闇の中。彼は、イヤホンから流れる曲を聴きながら、ただじっとバスの来る方向を見つめていたという。誰も通らないその道に、一台のワゴン車が音もなく停まったのは突然のことだった。
車の運転席の窓がゆっくりと開き、男が顔を出した。
「すみません……道を教えていただきたいんです」
疲れた顔のその男は、休みを利用して家族で遊びに来たが、子供が熱を出してしまい、救急病院に向かいたいのだが道が分からないという。車内のエアコンの冷気が外に流れ出し、真夏にもかかわらずその冷たさが肌を刺した。
男の隣には同じく青ざめた表情の女性が座っており、その後ろには4歳くらいの男の子が、隣に寝かされた小さな子を扇いでいた。よく見ると、後部座席のその小さな子供は、薄いタオルケットで全身をすっぽりと覆われている。
職員は親切心から道順を教えた。少し先でUターンして戻り、町まで下る道のりを辿れば、救急病院があることを丁寧に伝えると、男と女は何度も頭を下げ、感謝を述べてから再び車を走らせていった。
それから数週間が経ち、すっかり秋の気配が山を染める頃、あの静かな山村に物騒な噂が広がった。山菜採りに訪れた人が山中で子供の遺体を発見したという話だった。
小さな白骨化した遺体で、一部は野生動物に食い荒らされた痕跡があったという。その子供の遺体は、山の中の茂みで半ば埋もれた状態で発見された。
噂を確かめるように、職員は知人の運転手に話を振ってみた。「子供が亡くなっていたって話は本当か?」と尋ねると、運転手は渋い顔で頷きながら、こう話してくれた。
「犯人は捕まったらしいぞ。事件の当日、あんたに道を尋ねてきた夫婦だったって聞いた」
職員の頭の中で、あの日の出来事が急速に蘇った。助手席に座っていた母親、後部座席で懸命に小さなタオルケットを扇いでいた幼い男の子。そうだ、あの時彼らは確かに自分に道を尋ねてきた。だが、今思い返せば、あの冷たく異様な雰囲気、子供を冷やそうとしている割にどこかよそよそしい様子……。
警察の捜査で分かった事実は、彼にとってさらに衝撃的だった。夫婦の供述によると、出先で幼い娘が「事故」で亡くなり、彼らは逮捕を恐れてその遺体を埋めて隠そうとしたらしい。
ぞっとする思いが、職員を襲った。
娘を助けるためではなく、埋めるための人目につかない場所を探していただけだったのかもしれない……