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藤原清衡の影:夢と現実を越えた古代の遺恨 r+4209

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作家、民俗学者として知られる山田野理夫氏の話。

氏が語るこの体験は、日本の民俗的信仰と歴史的事象が深く結びついた稀有な例として注目に値する。この体験は、個人の身体的異常と、歴史的背景を持つ呪術的な要素が重なり合うことで、その独自性が際立っている。

ある春の朝、山田氏は目覚めた瞬間に右膝に激しい痛みを感じ、立ち上がれなくなった。知己である鍼灸師に治療を依頼したものの、その原因不明の痛みは全く軽減することがなかったという。

この異常な症状と並行して、山田氏は連夜のように奇妙な夢を見るようになった。

夢の中で、彼は乾いた風が吹き荒れる荒涼とした池の畔に立っており、池の水面は青黒く静まり返っていた。そのそばには苔むした古びた石碑が一基佇んでおり、碑面には風雨に削られた文字がかすかに見える。その場面は突然転換し、山田氏はいつの間にか杉の巨木に囲まれた坂道を登っている。やがて杉木立が途切れ、右手の崖下には川が流れ、そこで彼は膝をさすりながら物見台に佇む。そこからは寺の本坊らしき建物が見えるのだ。

その場所では常に僧侶に出会うが、「ここはどこか」と尋ねても、僧侶は沈黙を守り、決して答えようとはしない。そのままさらに奥へ進むと、右手の奥に微かな光が見え、ゆったりとしたカーブを描く丘の上に建つ建物が黄金色に輝いているのが見える。そして、その瞬間に夢は必ず途切れるのだった。

この夢を繰り返し見るうちに、山田氏は「夢に出てくる寺は平泉の中尊寺ではないか」という推察に至った。夢に登場する池は毛越寺の庭園、また池畔に立つ石碑は松尾芭蕉の「夏草や……」という句碑であると確信するに至ったのである。

さらに、山田氏は右膝の痛みが藤原清衡の呪詛によるものではないかと推測するに至った。というのも、彼は奇妙な経緯から金色堂に眠る藤原清衡のミイラの一部を所持していたからである。

ことの発端は、昭和25年に行われた朝日新聞文化事業団による本格的な調査以前に遡る。ある学者たちが清衡の棺を開け、その遺体を直接観察して調査を行った際、清衡の遺体の右膝に触れたところ、筋肉組織と思われる茶褐色の小片が剥離してしまったのである。そして、学者たちはその欠片を持ち帰ることにした。

ところが、その後すぐに不可解な出来事が彼らを襲った。学者Aは電車事故に遭遇し、Bは自宅の階段から落下、Cは激しい関節炎に苦しむこととなり、いずれも右膝に関わる災難に見舞われた。Aは歴史学者として著名で、Bは考古学の専門家、Cは人類学に精通しており、それぞれの立場で清衡の研究に深く関わっていた。この事態に学者たちの妻たちは「これは清衡の呪いではないか」と疑い、どうすべきか途方に暮れた末に民俗学者である山田氏に相談した。そして彼らは、遺体の一部を山田氏に譲り渡したのである。

こうして山田氏は、藤原清衡の遺体の一部を所持することになった。

山田氏は、この遺体を元の場所に返さねばならないと強く感じ、後に中尊寺の貫主となる僧侶・今東光氏に連絡を取った。山田氏は事の次第を詳細に説明し、ミイラの一部の取り扱いについて相談を持ちかけた。これを聞いた今東光氏は驚き、「金色堂の棺を開けるのは、日本銀行の金庫を開けるよりも遥かに難しい。清衡公を元の場所にお返ししたいとは思うが、棺は今後二度と開かれることはないだろう」と述べた。

最終的に、遺体を元の場所に戻すことは叶わなかった。

その後、山田氏はこの体験を『文芸春秋』に投稿したところ、予想を超える反響があった。新聞社からは遺体の一部の写真撮影を依頼されたり、霊媒師が「私も同じ夢を見た」と主張してきたりと、騒ぎは収拾がつかなくなり、山田氏は非常に困惑したという。

最終的に、山田氏は藤原清衡の遺体の一部を中尊寺境内のどこかにひっそりと埋葬した。それ以来、山田氏はその場所を「清衡塚」と密かに呼んでいるが、その場所を知る者は彼以外には存在しないのである。

(了)

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