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水に混ざる家 rw+3,270-0129

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今でも、あの夏の倉庫の匂いを思い出すと、鼻の奥がじんと痺れる。

鉄錆と、湿った木の粉が混ざったような匂いだ。北海道の乾いた空気の中で、そこだけが海に近い場所のように感じられた。

祖父はよく言っていた。「うちは北前船の末裔だ」。誇らしげでもあり、どこか言い聞かせるような声音だった。私はその意味を理解していなかったが、祖父が語るときだけ、家の中の空気が少しだけ古くなる気がしていた。

祖父の家には広い農地があり、裏手に大きな倉庫があった。脱穀機、錆びた鍬、用途の分からない歯車付きの器具。どれも使われなくなって久しいものばかりで、積み重ねられた時間がそのまま形になっているようだった。その隙間に、船の板材らしき木片が何枚も立てかけられていた。日焼けして、触るとざらつく。祖父はそれを指して、「先祖が乗ってきた船の一部だ」と言った。

私は頬を押し当て、潮の匂いを探した。もちろん、何も感じなかった。ただ、木の冷たさだけが皮膚に残った。

私は人形遊びよりも、虫籠や秘密基地に夢中になる子供だった。祖父はそれを咎めず、夏休みのたびに倉庫を自由に歩き回らせてくれた。梁の隙間に頭を突っ込むと、蜘蛛の巣が顔に絡み、乾いた麦殻が服に貼りついた。倉庫は私にとって遊び場であり、祖父はその案内役だった。

ある日、祖父は倉庫の奥から木箱を持ち出した。古い布で何重にも包まれていたそれを、慎重にほどく。中から現れたのは、手のひらに収まる黒い箱だった。装飾はなく、光を反射しない。振ると、中で硬いものが軽く触れ合う音がした。

「家宝だ」

祖父はそう言い、声を落とした。「中には守り神がいる」。海を渡る船を守り、嵐の中でも沈まなかったという。船が解体された後も、この箱だけは家に残された。水を司る存在で、湧水が現れたり、旅が無事に終わったりしたと、祖父は淡々と語った。

戦時中の話も、その延長で語られた。腹痛で出征を免れたこと、後から聞いた部隊の行方。祖父は笑っていたが、その笑顔がどこか遠くに向いているように見えた。「女は嫌われる」と、祖父は付け足した。その言葉だけが、私の中に棘のように残った。

それでも私は、箱の前に供物を置くのをやめなかった。飴玉、硝子玉、ヘアゴム。意味があるとは思っていなかった。ただ、置かずにはいられなかった。祖父に見つかると笑われたが、箱に触れると、ひんやりとした感触が手のひらに残った。

年月が過ぎ、祖父は入院した。家は空き、倉庫も閉ざされた。私は進学と仕事に追われ、帰省の回数も減った。

ある夏、祖父の見舞いの前に、家の掃除を任された。玄関を開けると、乾いた畳と古い穀物の匂いが混じって鼻を刺した。裏庭の倉庫に近づくと、蝉の声が壁の内側から溢れているように聞こえた。扉を開けた瞬間、熱気が吹き出し、肌にまとわりついた。

掃除を終えた夜、私は高熱を出した。身体は焼けるように熱いのに、指先は冷たかった。病院では夏風邪だと言われたが、点滴を受けても熱は下がらなかった。布団の中で意識が揺れ、波の音のようなものが耳に残っていた。

その夜、地面が大きくうねった。家が持ち上げられる感覚。停電した暗闇の中で、家族の声が交錯した。翌朝、テレビに映った沿岸の映像を見て、言葉を失った。もし、あの日の予定が違っていたら。誰も、その先を口にしなかった。

不思議なことに、私の熱はその直前に引いていた。理由は分からない。祖父にその話をすると、彼は小さく頷いただけだった。「昔から、そういう巡り合わせはある」。それ以上、説明はなかった。

地震の後、倉庫に入ると、蝉の声は消えていた。黒い箱は、元の場所にあった。埃を被っていないように見えたのは、光の加減だったのかもしれない。触れると、やはり冷たかった。

祖父が亡くなり、遺品整理の中で箱は私に渡った。家族は偶然だと言った。私も、そうだと思おうとした。ただ、箱を抱えると、胸の奥が静かになるのを感じた。

それから、私は水辺に行く機会が増えた。釣り、川沿いの散歩、理由はその都度違った。悪天候に遭わなかったかどうかは、今ではよく覚えていない。

ある晩、箱を机に置いたまま眠ってしまった。夢の中で、私は甲板に立っていた。濡れた木の感触、潮の匂い。足元に、同じ黒い箱があった。それを抱えた水夫がこちらを見る。髭のある顔は祖父に似ていたが、視線の高さが違った。次の瞬間、その顔は私自身のものになり、目が合った。

目を覚ますと、部屋は静まり返っていた。机の上の箱が、わずかに位置を変えているように見えた。中から、乾いた殻が擦れるような音がした気がした。私は手を伸ばしかけ、止めた。

祖父の言葉が、遅れて思い出された。「守り神は男を好む」。その意味を考えようとすると、胸の奥に冷たい水が溜まっていく感覚があった。守られているのか、選ばれているのか、それとも、もう戻れない場所に足を入れているのか。箱は何も語らない。ただ、静かにそこにある。

[出典:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1425021857/]

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