俺の実家は沖縄の、とある海辺の町にある。
観光客が必ず足を運ぶ大きな水族館があって、その周囲は広大な公園として整備されている。地元の人間にとっては、遠足や家族の休日に必ず一度は訪れるような場所だ。
子供の頃、母と三歳の妹と一緒にその公園に行ったことがある。父は仕事で来られず、三人だけで出かけた。母がトイレに立ったので、残された俺は妹の相手をしていた。まだ幼い妹は、芝生の上を駆け回ったり、石段を登ったりと落ち着きなく動き回る。その小さな背中を目で追いかけながら、転ばないように気を張っていた。
そのときだ。
本当に、ふっと消えた。煙のように、影が掻き消えるように。目の前を駆けていたはずの妹が、一瞬で視界から消失したのだ。隠れたわけでも、転んだわけでもない。俺のすぐ目の前で、何も痕跡を残さずに消えた。あまりのことに声も出ず、ただ立ち尽くした。頭の中が真っ白になり、時間の感覚すらなくなった。
やがて母が戻ってきて、震える声で事情を説明すると、周囲にいた大人たちも「確かに消えた」と証言して騒ぎになった。みんなで周辺を探してもどこにもいない。あれだけ広い公園を、警備員まで動員して捜索するも影も形もなかった。いよいよ警察を呼ぶべきかという話になったとき、園内放送が流れた。
「迷子のお知らせです……」
急いで案内所へ行くと、そこにはご機嫌でジュースを飲んでいる妹がいた。そして傍らには見知らぬ親子が立っていた。関西から来た観光客だと言う。彼らの説明によれば、公園の端の草むらから突然、妹が飛び出してきたのだという。周囲に誰もいないので迷子だろうと判断し、案内所まで連れてきてくれたらしい。
問題は場所だった。俺が妹を見失った場所と、見つかった場所は公園の端と端。大人の足で歩いても三〇分以上かかる距離で、園内バスに乗らないと到底移動できない。なのに、数分の間にどうやって……。不思議で仕方がなかったが、無事に戻ってきた安堵感の方が勝った。
ただ一つ奇妙だったのは、妹がその親子の男の子に異常になついていたことだ。小学校高学年くらいの少年で、困った顔をしながらも妹をあやしていた。俺や母が呼びかけても離れようとしない。なんとか引き剥がして礼を言い、家に帰ったが、あの光景はずっと頭に残った。
――そして二十年が過ぎた。
妹は成長し、地元を出て関西で働き、結婚した。夫は穏やかで真面目そうな人間で、家族も安心していた。結婚生活が始まって間もなく、母に一本の電話があった。
「アルバムを整理していたら、不思議な写真が出てきたの」
義弟の実家はすでに両親が他界しており、遺品の整理をしているときに見つかったそうだ。その写真には、幼い日の義弟と、妹そっくりの少女が写っていたという。妹が言うには、顔だけではなく髪型も雰囲気も、まるで鏡に映したように同じだったそうだ。
母は「他人の空似だろう」と答えたが、妹は「本当に自分にしか見えない」と言い張り、写真を送ってきた。メールで送られてきた画像を見た母は愕然とした。間違いなかった。当時、自分が手作りしたワンピースを着ている。裁縫が趣味だった母が、娘のために縫い上げた一点物だ。その柄も形もはっきり覚えていた。
母から話を聞き、俺も画像を見せられた。ぞわりと鳥肌が立った。どこからどう見ても妹だった。消えた当日の姿、そのままの。
俺たちは結論を出した。きっと、あのとき妹が少年になついて離れなかったから、少年の両親が微笑ましく思って写真を撮ったのだろう、と。そういうことにするしかなかった。だが、説明できないのはやはり「消えた瞬間」だ。煙のように掻き消えたあの感覚だけは、いまでも鮮烈に覚えている。
妹と義弟の出会いも奇妙だった。居酒屋で偶然居合わせたとき、店内で小さなボヤ騒ぎが起き、避難する途中で声を交わしたという。煙の中で出会い、煙のように消えた過去を持つ二人。偶然と片付けるには、あまりにも線が繋がりすぎていた。
あの日、妹はどこに行ったのだろう。あの数分間、誰と、何を見ていたのだろう。考えれば考えるほど、答えは遠ざかっていく。だが一つだけ確かなのは、俺が目の前で妹の姿を失った瞬間――あの不可解な消失感は、決して夢や勘違いではないということだ。
いまでもときどき思う。もしかしたら妹は、一度だけ「未来の夫」と出会うために、この世界から引き抜かれたのではないかと。二十年の時を飛び越えて。
そして俺の心には、あの光景が残っている。
芝生の上を走り回る小さな背中。ふっと、煙のように消えた刹那の感覚。
それだけは、どうしても拭い去れない。
[出典:406 :本当にあった怖い名無し:2013/09/25(水) 01:58:48.14 ID:kEsYxQnG0]