中学の同級生に会ったのは、二〇年ほど前の同窓会だった。
名前はここでは伏せるけれど、彼は妙に痩せて、背広もぶかぶかで、顔色は灰色に沈んでいた。酒も進まず、ぽつりぽつりと話すばかりだった。帰り際に呼び止められ、居酒屋の前の暗い路地で、打ち明け話のようなものを聞かされた。今となっては、それが本当だったのかどうか、いまだに判断できない。
彼は岡山に住んでいたらしい。中心部から少し外れた繁華街近くの、八階建ての古いマンション。その六階に部屋を借りていたという。
隣室は年配の女と、中年の男。ふたりは夫婦だと最初は思っていたが、妙な違和感があった。男は妙に老けて見え、けれど身のこなしはぎらぎらしていて、夜ごと壁越しに女の声や呻き声が漏れてきた。格安の家賃に釣られて入居したものの、最初の一ヶ月で彼は深く後悔したと語った。
ある夜、廊下に出ると、ちょうど男が鍵をかけるところに出くわした。
白いTシャツに染みがいくつもこびりついていて、腹は突き出ていたが、腕や指の形がどうにも歪だった。小指が短く、箸を握る時のように不自然に丸まっていたという。ちらりとこちらを見て、にやりと笑った口元には、前歯が欠けた隙間があった。
「……その顔を、どこかで見たことがある」
瞬間的にそう思ったが、記憶の底からは引き出せなかった。
奇妙なのは、それからだった。
郵便受けに、赤黒く擦れた紙片が挟まっていたのだ。新聞の切り抜きのような、古びたポスターの断片。「おい、小池!」と掠れた文字。その下に、見覚えのある顔写真。
震える指で紙を裏返すと、そこには殴り書きのように「死んだのは嘘だ」と書いてあった。彼は全身に鳥肌が立ち、慌てて紙を破り捨てたという。
それ以来、夜になると隣室から足音が響くようになった。スリッパを引きずるような音。深夜二時、三時に、何度も何度も往復する。壁を叩いて抗議しようかと考えたが、相手の顔を思い浮かべた瞬間に背筋が冷たくなり、何もできなかった。
「もし壁を叩いたら……あの目で見られる」
彼はそう言った。
やがて、そのマンションの廊下に焦げ臭い匂いが漂うようになった。
台所の排気のせいかと思ったが、匂いは夜だけに強まる。ある晩、耐えきれずに玄関をそっと開けると、隣のドアの隙間から黒い煙のようなものが漏れていた。慌てて身を引くと、ドアの向こうで低い声が響いた。
「……また燃やさなきゃな」
言葉の意味を理解した瞬間、彼は心臓を鷲掴みにされたように動けなくなった。
数日後、救急車のサイレンが夜を裂いた。
隣の女が呼んだのだと聞いた。男がトイレで倒れていたらしい。病院へ運ばれ、そのまま死んだと。新聞には「心臓疾患による病死」とだけ載っていた。
しかし翌日、マンションの郵便受けに、再びあの紙片が入っていたという。今度は真新しい印刷で、顔写真はより鮮明に、あの欠けた前歯もはっきりと映っていた。
「まだ生きている。名前を変えて、何度でも」
裏に、そう書かれていたのだと彼は震える声で言った。
そこまで語った彼は、酒を一滴も飲んでいないのに顔を真っ赤にし、冷や汗を滲ませていた。
「……今も、俺の部屋の壁から音がする。岡山を離れても、どこに移っても、必ず隣から。小池は、死んでいない」
それが最後の言葉だった。
同窓会のあと、彼と連絡が取れなくなった。電話番号も住所も変わっていた。消息を知る者は誰もいない。
けれど最近、郵便受けに一枚の紙が差し込まれていた。くしゃくしゃに折れた古い手配ポスター。「おい、小池!」の文字。
その下に、乱雑な筆跡でこう書かれていた。
「次はお前の番だ」