1989年11月14日、アメリカのタブロイド紙「ウィークリー・ワールド・ニューズ」は、驚くべき事件を報じた。その記事によれば、1989年10月12日にブラジルのポルト・アレグレ空港に、管制塔の許可を得ずにロッキード・スーパーコンステレーションが着陸し、機内の乗客・乗員92名全員が白骨化していたというのである。
さらに調査の結果、この機体は1954年9月4日に旧西ドイツのアーヘン空港からポルト・アレグレ空港に向かう途中で行方不明になった、サンチアゴ航空513便であることが判明したと伝えられている。この出来事は、その後、奇妙で超常的な事件として多くの注目を集めた。
この奇妙な事件は、日本の雑誌「ムー」1990年3月号や、2001年に放送されたTBS系列のバラエティ番組「USO!?ジャパン」にも取り上げられ、「逆バミューダ・トライアングル現象」として紹介された。この現象は、通常のバミューダ・トライアングル現象とは逆に、一度消えた航空機が年月を経て再び戻ってくるという意味合いを持つものである。このような話は超常現象好きの人々にとって非常に魅力的であり、長い間話題に上がり続けてきた。
事件概要
1989年10月12日、ブラジルのポルト・アレグレ空港で突然、一機の旅客機が管制塔の指示を無視して強行着陸したことから事件が始まった。この未確認の機体がレーダーに映し出されると、管制室は混乱に陥り、緊急対応が取られた。管制官たちは必死に交信を試みたが、応答は一切なかった。誰もこの機体がどこから来たのか、なぜ通信に応じないのかを理解できなかった。そしてその機体は、管制塔の許可なく滑走路に侵入し、最終的に着陸した。
緊急対応として空港関係者が調査と救助のため機体に乗り込むと、そこで目にした光景はまさに衝撃的であった。乗員・乗客全員が白骨化した遺体であり、その様子は長期間にわたり放置されたかのようだった。さらに驚くべきことに、パイロットまでもが骸骨となったまま操縦席に座っていた。機内には生命の気配は一切なく、その不気味な静けさは、隊員たちに強烈な違和感と恐怖を感じさせた。フライトレコーダーを調査した結果、この機体は1954年に忽然と失踪したサンチアゴ航空513便であることが判明した。
513便は、旧西ドイツのアーヘン空港を出発し、ブラジルのポルト・アレグレ空港を目指して飛行していた。しかし、大西洋上で突然通信が途絶え、行方不明となった。その後、長年にわたって何の手がかりも見つからなかったが、今回突如として姿を現したことで、世間の関心は一気に高まった。この出来事がどのようにして起こったのか、その理由については多くの憶測が飛び交うことになった。
真相と矛盾点
この怪事件を報じた「ウィークリー・ワールド・ニューズ」は、過去にも類似した奇妙な事件をいくつか報じており、それらも信憑性に欠ける内容であった。例えば、1992年や1994年にも「行方不明の航空機が数十年後に白骨化した乗客を乗せて戻ってきた」という記事を掲載しているが、実際にこれに該当する航空便の存在は確認されていない。これらの報道は超常現象を信じる読者層に向けたものであり、一般的な信憑性はほとんどないとされている。
さらに、サンチアゴ航空という航空会社自体がICAO(国際民間航空機関)の記録に存在しておらず、記事に登場するポルト・アレグレ空港という名称の空港も実際には存在しない。このことから、この記事には多くの矛盾点があることが明らかである。さらに、ドイツのアーヘンには国際空港が存在しないという点や、仮に存在しても1954年当時の技術ではブラジルへの長距離飛行がどれほど難しいものであったかを考慮すると、この物語の信憑性は一層疑わしい。
また、1954年当時の航空機には自動着陸装置は装備されておらず、操縦士が亡くなった状態での着陸は技術的に不可能であることも指摘されている。航空機が自動的に着陸するためには、現代の高度な自動操縦システムが必要であり、1954年の技術では到底実現できるものではない。フライトレコーダーも同様に、この年代の機体には装備されていなかったため、記録が残っているという点も不自然である。これらの技術的矛盾が、この記事の真実性を完全に否定する根拠となっている。
結論
この事件に関する物的証拠や公的な記録は一切存在しない。そのため、この出来事は「ウィークリー・ワールド・ニューズ」の創作、すなわちオリジナルフィクションであると結論づけられる。同紙はジョークやパロディ、超常現象に関する風刺的な記事を多く掲載しており、この事件もその一例であると考えられる。このようなタブロイド紙におけるフィクションは、読者を楽しませることを目的としており、事実に基づいたものではない。
結局のところ、このような奇妙な話は都市伝説やフィクションとして楽しむものであり、現実の出来事として捉えるべきではない。こうした話は、時に社会における集団心理や不安、あるいは冒険心を反映するものであり、人々が未知の世界に対する興味を失わないための一種のエンターテインメントと捉えることができる。この事件を通じて我々が学ぶべきことは、情報を鵜呑みにせず、冷静に事実を見極めることの重要性である。フィクションの面白さを認めつつも、現実との区別をつけることが重要であり、それによって社会全体が健全な情報環境を維持することができるのである。